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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第二十回
「人のうわさも75日」ということわざがありますね。現代は、時間の回転がずっと早くなっていますから、いまは「人のうわさも49日」とか「人のうわさも35日」といったほうが、実情にあっているのかもしれません。
ましてや、昨年の出来事のことなど話題にすると、「去年のことをいうと釈迦があくびする」といって(言わないか)、みなさまに笑われるのがセキノヤマかもしれません。
でも今回は、あえて、昨年おこったことについて、申し上げます。
みなさん、おぼえていますか? 昨年12月に起きた「佐世保猟銃乱射事件」。猟銃を持った男が突然スイミング・クラブにやってきて、猟銃を乱射し、スイミングの指導員だった女性と、自分の友人だった男性を射殺。男もその後、猟銃自殺を遂げた事件です。
犯人が自殺してしまったので、その後の事件の「真相」がどう解明されたのか、あるいはまだ解明されないのか、岩手の新聞には追跡記事が載らないので、詳細はまったくわかりません。
なぜ、この事件をいまさら蒸し返すかというと、理由があります。わたしもこの事件に、少しながら影響を受けたからです。
第5回「百姓は、武器を持つ」でも書いたのですが、わたしは憲法9条を護るべきだと考える立場ですが、100%完全な非武装主義ではありません。
「国家への抵抗権」を国民は持つべきだと思っています。そのために、個人個人がその人の意思で武装することはかまわない、と思っています。
そして、わたしも1975年以来、猟銃(散弾銃)を33年間所有しているからです。
佐世保事件が発生した直後、あらゆるマスコミが大きくかつ激しく反応しました。
単なる報道だけではなく、ニュースキャスターとか論説委員とかいう立場の方たちが、熱狂したように「銃社会のこわさ」「銃所持の法規制強化」「警察による銃の取締まりの強化」などを論じていました。
「犯人の男の銃をなぜ警察が保管しておかなかったのか」と、批判する識者もいました。
「銃はふだん警察に預けておいて、使用するときだけ警察から請け出すようにするべし」とヒステリのように声高に唱える著名ジャーナリストもいました。
これら過熱する報道や解説をみながら、わたしは「またかよ」とおもっていました。
「またかよ」というのは、この種の事件が起こるたびに、銃に関する法律や規制が厳しくなるからです。
たとえば、いまから30年ぐらい前でしたか、瀬戸内海で銃を持った男によるシージャック事件が起こりました。あるいは静岡の山間の温泉で在日朝鮮人の男が銃を持って人質をとってたてこもる、という事件がありました。シージャック犯の男が警察のライフル隊によって射殺されたシーンを、いまでも鮮明に覚えています。
これらの事件のあとで、それまで5年に1回だった免許更新が3年に1回になりました。銃の免許の更新というのは、自動車の免許更新にくらべたら、3倍~4倍ぐらい面倒な手続きが必要なのです。それまでの頑丈な箱(木箱でもOK)に施錠して銃を収納、という規定も、金属製の3箇所に鍵がかかるガンロッカーに銃をしまうこと。そのロッカーを鎖や金具で固定すること。弾丸は、またちがう金属製の収納庫にいれて、家の中のなるべく判りずらいところへ、別々に置く、ということになりました。
今回の事件の反応は、すぐ現れました。その点、日本の警察官僚は実に優秀ですね。松戸市の「すぐやる課」くらい迅速でした。厚生労働省あたりの役人も、是非見習ってほしいところです。
3年ごとの免許更新とは別に、例年ですと新年度になった4月上旬に、銃の検査(改造してないかなどのチェック)があるのですが、今年はそれを前倒しして、1月に検査がありました。
これまでは、ガンロッカーの写真1枚か、その配置の見取り図のどちらかを提示すればよかったのですが、今年はガンロッカーの外観の写真と銃を収納した内部の写真、弾丸ロッカーの外観と収納した内部の写真、合計4枚の写真と、ロッカーを配置した家の見取り図も合わせて提出、ということになりました。弾丸も、狩猟用は○発、クレー用は○発、残弾があると、用途別に報告です。
昨年までは必要な書類がそろっていれば「はい、ご苦労様」だったのですが、今年はひとりに30分前後の「面談」までありました。わたしの場合「ガンロッカーには、一見してわからないよう、毛布のような布をかぶせるように」という指導もありました。さらに「その写真を1週以内にもってくるように」という指示です。まったく、念には念をいれたご指導で、ありがたくて涙が出そうになりました。
つまり、かように日本における銃の所持には、厳重なシバリがかけられているのです。日本の「銃社会」の実情は、秀吉時代の刀狩レベルの厳しさなのです。
「許可を受けた銃による殺傷事件」というのは、この5年で21件起きているそうですが、これが「銃社会の恐ろしさ」の証明なのでしょうか。その「許可を受けた銃」のなかには、ストーカー行為の挙句、女性を自分の貸与された拳銃で射殺した警官の銃も含まれているのでしょうか。
日本で年間何件殺人事件が起きているのか知りませんが、その凶器別分類と件数を知りたいとおもいます。
「許可された銃器による殺人」より「無許可の銃器による殺人」の方が多いのは、たぶんたしかでしょう。そのほか、ナイフ・包丁などの刃物による刺殺殺人。バール・瓶・石のような鈍器による殴り殺す殺人。ヒモ・ネクタイ・ロープなどによる窒息死させる殺人。毒物・劇薬・睡眠薬などによる薬物殺人。自動車などでひき殺す殺人。高所などから墜死させる殺人。油をまいて火をつけて焼き殺す殺人・・・、と凶器ややりかたはいろいろありそうです。どれが、凶器としていちばん多いのでしょうか。
もし、包丁による殺人がいちばん多いとなったら、包丁は危険だからふだんは警察に預けておいて、使うときだけ警察から請け出すのが、社会の安全のためにはいいのでしょうか。
あの佐世保事件後の熱狂を利用して、上記のように、国家は確実に「銃の取り締まり」を強化しました。「銃をもっと取り締まれ」という世論が熱いうちに、それに反対する人間は非国民だというムードがあるうちに、さっさと規制を強化してしまえ、ということでしょう。
うまいやり方です。だれも表だって反対をする人間はいません。ふだんは政府に辛口の識者たちが口をそろえて「もっと銃を取り締まれ」といっているのですから、何の遠慮もいらない。国民のみなさまの強いご要望にこたえてそれを実現しました、で通ってしまう。
先々週号でしたか、この「マガジン9条」誌上で、小林節先生との対談のなかで伊藤真塾長がいっておられたことが、頭によみがえります。
「憲法9条は国家からの自由を求める権利。それに対して憲法25条は国家の介入を求める権利。だから、25条の扱いは気をつけないと危険。元来、人権の本質は国家から自由であること、国家から自立した個人であること、が出発点なのだ」と。
国家への抵抗権を持つべきだ、そのために個人の武装は銃を含めて認められるべきだ、というわたしは、おそらく、あの佐世保事件の熱狂のあとでは極々少数派でしょう。ひょっとしたら平成の「非国民」かもしれせんね。
もっとも、現在のわたしは、国家へ抵抗するのに銃を使う気などはさらさらなくて、いまはヤマドリやキジを求めて、雪をかぶった近くの山を歩いているのがほんとうのところです。やまねこムラでは、わが家から15分で猟場に着けるのです。町の警察署に銃を預けたら、往復するだけで1時間以上もかかってしまいます。
わたしの猟でのルールはただひとつ。あそびでは殺さない。撃った以上は、そのいのちをありがたくいただいて食べること、です。
もっとも、わたしに撃たれるような間抜けなヤマドリやキジがいないのが、悩みなのですが・・。
(2008.1.25)
11月15日から2月15日までが、岩手の猟期です。
水平2連、両引き(引き金が二つ)。33年間使っている鉄砲です。
もっとも、獲物はさっぱり。雪中散歩のつもりで歩いています。
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