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2007-04-11up

シリーズ・国民投票を考える

憲法改正の手続き法である国民投票法の成立が目前となってきました。国民投票法及び、国民投票について、さまざまな視点からのコラムを、不定期で掲載していきます。記名での投稿も受けつけます。

「憲法改定国民投票」は、
誰にとってもフェアになり得るのか?
小石勝朗(新聞記者)

 「国民投票」という言葉は、とても口当たりがいい。大事なことを国民投票で決めようと言われて、反対する人はそう多くはないだろう。間接民主制だからと、なんでもかんでも議会に勝手に決められては困る。自分たちの意見を投票で直接施策に反映させろ、という主張に異存はない。
 でも、その仕組み自体が「フェア」でないならば、どうだろう?
 いま国会で審議されている憲法改定のための国民投票法案は、条文以前の根っこの部分に、そんな重大な問題を含んでいるように思える。今週中にも衆議院で可決される見通しになり、どうしても拭いきれない疑問を記してみる。

 仮に、国民投票法が成立して、憲法9条の改定が国民投票にかけられたとする。そして、「改定反対」が多数を取ったとしよう。その時、どうなるのか。
 答えは「現状維持」である。法的には何も変わらない。自衛隊も、今のまま。解釈改憲の状態が継続する。憲法施行から60年にわたってさんざん解釈改憲を積み重ねてきた改憲派は、実は何も困らないのだ。9条を向こう何年かは変えてはいけない、という制約もつかないから、ほとぼりが冷めたら、また改定に動くだろう。
 逆に、「改憲賛成」が多数になったらどうだろう。その結果をもって、憲法は変わる。自衛隊は晴れて軍となり、名実ともに合憲の存在になる。条文によっては、交戦権や徴兵制が認められるかもしれない。強力な法的効果が伴うのである。
 これではいわゆる護憲派は、改憲派に国民投票をふっかけられ、さんざん苦労して一生懸命に運動をした揚げ句、ようやく勝っても何にもならない。くたびれもうけなだけだ。もちろん、負ければ9条は変わる。どっちにしても、良いことは何もない。
 「国民投票は価値中立だ」などと、おっしゃる方がいる。確かに、誰もが平等な1票を投じることができるという意味では、その通りかもしれない。でも、解釈改憲が進んだ今の状態で実施する投票の効果は、平等にも中立にも見えない。とくに護憲派にとっては、著しく「不公平」な制度なのだ。

 ならば、国民投票の前にマニフェストを発表して、「賛成が多数ならこうします」「反対が多数ならこうします」と示しておけば良い、という主張がある(もっとも、今の国民投票法案には、そんな規定はどこにもないが…)。
 これも一見、口当たりが良いけれど、やはりくせ者だ。その理由を述べておきたい。
 憲法改定の国民投票は、厳密に言うと、ある特定の改憲条文案に「賛成か」「賛成でないか」を問うだけである。「賛成」の人たちは発議された条文の内容を望むという点で一つだが、「賛成でない」人たちが、ではどんな内容を望むかというと意見はさまざまだ。
 例えば、同じ「9条改定反対」でも、解釈改憲をやめて自衛隊の廃止まで求める人もいれば、自衛隊はあっていいけれど条文を変えてはダメという人もいる。改定反対の理由は、実に多様にあるのだ。
 改憲を発議=推進する側に、反対が多数を占めた場合のことにまで触れられ、「自衛隊はなくなります」とか「なくなりません」とか言われるのは、護憲派にとって、よけいなお世話だ。発議する側が、そのようなマニフェストを提示したところで、それは、護憲派に対する分断工作でしかない。おそらく国民投票になれば、改憲派は国際情勢などを意識しながら意図的にそうした情報を流すだろう。
 逆に、改憲を発議された側(=護憲派)は国会の3分の1以下の勢力ということになり、少数派で政治的な権限を持っていないから、国民投票にあたってマニフェストの提示を求めること自体がナンセンスである。
 発議された条文をイエスかノーかという二者択一で選ぶしかない国民投票のこの性質は、改憲派にとって、とても都合がいい。
 もし9条改定反対が多数を占めたら、改憲を発議した側は、こう言えば良い。「今の自衛隊には賛成だけれど、憲法の条文を変えるまでではないという人が多かった」と。国民投票は、改定反対の人の意見の中身までを数値化するものではないから、なんとでも「分析」できる。そこからまた新たな解釈改憲が始まる危惧もある。

 そもそも、今のような解釈改憲の状態にしたのは誰なのか、国民投票法を制定してこなかったのは誰なのか、考えてみたい。
 それは、ほかならぬ改憲派だ。あえて明文の改憲を具体化せず、国民投票法もつくろうとせず、都合が良いからと、解釈改憲をどんどん既成事実にしてきた結果である。たまたま与党が衆議院の3分の2を占めた今になって、「立法不作為」などという理屈を持ち出し、その場合に問われるべき自分たちの責任には頬被りをしたまま国民投票法を定めようとする。ずるい、の一言しかない。
 もし、フェアに改憲を企てると言うのなら、自衛隊や日米安保を含めて、まずは60年前の憲法施行時の状態に戻し、「白紙」で国民投票をするのがスジだと思う。そうすれば、ここまで書いてきたような「不公平」は起こらない。
 国民投票の法制化に、私は決して反対ではない。しかし、民意を問う手段であるからこそ、仕組みや方法、制定過程が誰にとってもフェアであるべきことだけは譲れない。憲法がテーマとなるならば、なおさらである。いずれにしても、制度の本質的な議論は、まだまだ足りない。
 一案だが、いきなり憲法改定を問うのではなく、まずは一般的な事項について諮問型の国民投票制度をつくり、自衛隊や安保、集団自衛権など憲法をめぐる個別のテーマへの賛否を尋ねることから始めてはどうか。時間をかけて国民投票に慣れ、民意の中身をあぶり出しながらでも、憲法改定の国民投票法を定めるのは遅くないだろう。

 小石勝朗(こいし・かつろう)/新聞記者/国内各地の住民投票の現場を取材。憲法改定の国民投票法をめぐる「市民案」づくりにも一市民として関わる。

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