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森永卓郎の戦争と平和講座

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お久しぶりの登場となった森永さん。
今回は、最近のニュースの中から聞こえてきた、
ある一つのフレーズについて考えます。

第20回:二つのしょうがない

 久間章生防衛大臣が6月30日に千葉県柏市の麗澤大学で行った講演のなかで、米国の広島、長崎への原子爆弾投下について「しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない」と述べたことに関しては、平和団体だけでなく、政府与党内にも批判が広がり、結局久間防衛大臣は7月3日に辞任に追い込まれた。

 「しょうがない」という発言を英字新聞は”unavoidable”あるいは”inevitable”と書いた。両方とも「避けられない」という意味だ。もちろん原爆投下は避けられないものではない。避けられないという言葉は、核廃絶にむけての努力の放棄につながるから、現職大臣としては許される発言ではないのだ。

 ただ、政府はまだ心のなかでは「しょうがない」と思っているフシがある。7月3日に米国のロバートジョセフ核不拡散問題特使が記者会見で「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語った。このことについての見解を問われた小池百合子新防衛大臣は、「ジョセフ氏は前から言っているので目新しさはないが、日本の見解とは異なる」と答えただけで、米国に抗議をするとは言わなかった。実際に抗議もしていない。

 もし、本当に被爆国として原爆の悲惨さを世界にアピールする気持ちがあるのなら、こうした発言が出るたびに政府として抗議を繰り返すべきだ。そうしなければ、核の廃絶ができるはずがない。

 そして、もう一つの「しょうがない」が世界に広がっていることが、私はどうしても気に掛かっている。北朝鮮の核問題だ。6か国協議でアメリカの首席代表を務めるクリストファー・ヒル国務次官補が6月21日に北朝鮮を電撃訪問して以来、世界は北朝鮮の国際社会への復帰に向けて一気に動き始めている。北朝鮮を悪の枢軸と呼び、徹底的な制裁を訴えたアメリカがなぜ変わってしまったのか。軍事専門家の意見によると、アメリカは北朝鮮が核兵器を保有した以上、強硬策は採れないと判断したのだという。核を持たれてしまったから、もう「しょうがない」というのだ。確かに、北朝鮮は寧辺の核施設封鎖に向けてのIAEAの査察には協力姿勢を打ち出しているが、すでに開発した核兵器については一切触れていない。アメリカも、その点については、あえて触れない姿勢をみせている。

 一番恐ろしいのは、こうした状況を踏まえて、「核を持てば、国際社会で発言権を持てる」と考える人たちが、日本の核武装論を持ち出すことだ。そっと隠れて核を持ってしまえば、国際社会は「しょうがない」で許してくれる。そう考える人が、必ずいるのだ。

しょうがいない禁止

 私は反戦・平和の戦いのなかでは、「しょうがない」を一切禁止すべきだと思う。しょうがないと思うから、核がなくならないどころか、どんどん拡散していってしまうのだ。

唯一の被爆国である日本が、人類の代表として、
米国の誤った原爆投下について抗議しないで、一体どこの国がするというのでしょうか?
ぜったいに許してはいけない「しょうがない」に、
しっかりと「NO」を突きつけなくては、日本だけでなく世界は、
とりかえしのつかないことになります。森永さん、ありがとうございました。

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