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2005年に我々は二人の大きな人物を相次いで失った。一人は4月2日に84歳で亡くなったローマ法王、ヨハネ・パウロ二世だ。26年半の在位の間、「空飛ぶ聖座」と呼ばれるほど世界各地を飛びまわり、世界平和実現のために力をそそいだ。
もう一人は、官房長官や副総理を歴任し、9月19日に91歳で亡くなった元自民党衆院議員の後藤田正晴氏だ。後藤田氏は、常に憲法9条の大切さを訴え続けていた。
二人に共通するのは、どちらも太平洋戦争を目の当たりにして、その経験から二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないと心から思い、そして主張し続けたことだ。戦争の体験がなければ、平和を語れないわけではない。しかし体験があると、平和への決意は、より深いものになる。最近、若手を中心に平和憲法を踏みにじる発言が増えてきたことは、戦争体験がないことと無関係ではないだろう。
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さて、2005年を振り返るために、後藤田正晴氏から話を始めたい。後藤田氏は、護憲派であると同時に、行きすぎた新自由主義、弱肉強食システムにも警鐘を鳴らし続けた。後藤田氏は、自民党のなかで、旧田中派に所属する議員だった。
旧田中派というと「抵抗勢力」というイメージがつきまとう。しかし、そうしたイメージは本質を理解することを阻害する。 自民党は、思想的に大きく二つのグループに分かれている。一つは旧福田派を中心とするタカ派グループだ。彼らは、新自由主義で、市場での競争で強い者が生き残り、その結果、強い者がより強くなることで国がよくなると主張する。 民営化、規制緩和、小さな政府を推し進める「構造改革」が彼らの信条だ。そして、外交面でも力の論理が持ち出される。戦ったら勝てないアメリカには全面服従し、そのうさをアジアで晴らそうとするのだ。
これに対して旧田中派を中心とするハト派グループは平等主義だ。国民全体が幸せになることが国益であり、だから地方や中小企業や低所得者など、力の弱い者を政府が守ろうとする。 田中角栄元首相の日本列島改造論も、公共事業という地方への資金の流れを大きくすることで、地方の所得水準を引き上げようとする意図を背後に抱えていた。ただ、そうしたことがバラマキにつながり、そこに利権や癒着や腐敗が生まれたことが、このグループのイメージを悪化させてしまった。もちろん、利権や癒着や腐敗がよくないのは当然だが、直すべきは利権や癒着や腐敗であり、彼らの思想ではないのだ。そして、もう一つ重要なことは、自民党ハト派グループは平等主義であると同時に平和主義だということだ。 日本のなかで、憲法9条を護ろうとしたのは、日本社会党と日本共産党だけではない。自民党のなかのハト派もまた、護憲だったのだ。これまで権力を握ってきた彼らが平和を愛していたからこそ、自主憲法制定が党是の自民党が政権を担うなかでも、憲法9条が護られてきたのだ。
そうしてみると、2005年9月11日の総選挙が、日本の進路にとっていかに大きな意味を持ったかが分かる。 総選挙の意味は自民党が296議席を獲得したとか、与党で327議席を獲得して衆議院の3分の2以上を押さえたということではない。
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自民党タカ派によって自民党が完全に支配され、自民党のなかからハト派の力が一気に奪われるという事態が起こったということなのだ。 ご意見番の後藤田氏を失っただけではない。この選挙で、橋本龍太郎元首相のように年齢制限を口実に選挙に出させてもらえなかった人、郵政民営化についての意見の違いで公認を得られず刺客を送り込まれた人、閣僚人事ではずされた人、さまざまなパターンでハト派の掃討は行われた。そして、選挙の圧勝で力を増した執行部は、ハト派の意見を完全に封じ込めようとしている。
その典型が靖国問題だ。12月20日に決まった2006年度予算の財務省原案で、無宗教の国立戦没者追悼施設を建設するための調査費の計上が見送られたのだ。 中国や韓国との外交関係を考えるのであれば、調査費を計上するだけでも大きな効果がある。それなのに、靖国問題に中国や韓国が口を出すのは内政干渉と言わんばかりに、予算を否認したのだ。
「改革を止めるな」、「殺されたっていいんだ」。そうした小泉首相のキャッチフレーズから始まった小泉劇場に国民は酔った。しかし、それがいかに危険な進路を日本にもたらそうとしているのかに気づいている人は少ない。
平和と平等を愛する国民の受け皿を早い機会に整備しないと、日本は大変なことになるだろう。 我々に残された時間はあまり多くない。 |