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森永卓郎の戦争と平和講座
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しばしば聞かれる“戦争責任”ということばですが、
戦争で最も責任が重いのは果たして誰なのでしょうか?
それはどのようにして裁くべきことなのでしょうか?

第9回“戦争の事前責任と事後責任”
 ある会議で、東京大学の神野直彦教授が、「戦争は事後責任より、事前責任の方が重要だ」という発言をした。私は、久しぶりに目からうろこが落ちるのを感じた。
 私は戦争責任というのをずっと不思議な気持ちで見つめていた。もちろん、戦犯は裁かなければならない。多くの人命や財産を失わせて、それで責任を取らないというのは、やはりおかしいと思う。
 ただ戦争の事後責任で一番おかしいのは、戦勝国が敗戦国を裁き、戦勝国の「戦犯」は裁かれることが決してないということだ。
 片方が完全な正義という戦争が本当にあるのだろうか。例えば、太平洋戦争は一方的に日本だけが悪かったのだろうか。
 もちろん日本の戦争責任を否定するのではない。しかし、アメリカに責任はないのだろうか。例えば、広島、長崎に原爆を投下して、何十万人という人命を一瞬にして奪い、生まれ育った街を消失させ、長い後遺症に苦しませ、愛する人を永遠になくした心の悲しみを与えても、それでも一切責任はないのだろうか。
 私はアメリカを裁けと言っているのではない。いまさら、新たな犠牲者を生み出しても何にもならない。戦争を行った当事者は多かれ少なかれ、どちらにも責任があるのだ。
 問題は、その裁き方だ。私は、事後責任を追求するのではなく、事前責任を追求すべきなのだと思う。戦争で一番悪いのは、戦争になるような仕組みや世論を作り出した人たちなのだ。その罪は、戦争になる前に裁くことができる。そうしたことをする議員は、選挙で落選させればよいからだ。
つまり、戦争の事前責任を裁く裁判官は、国民自身なのだ。だから我々は戦争の事前責任を負うべき人が生まれていないか常にチェックして、それを裁いて行かなければならないのだ。それが戦争を防ぐ一番の近道なのだ。残念ながら、私はいま裁かなければならない議員が急速に増えてきていると感じている。
イラスト1
戦争の事前責任を負うべき人は、私たち国民自身が
“選挙”という手段で裁くことができるのです。
そして今がまさにその時ではないでしょうか。
目からうろこのコラムを、森永さん、ありがとうございました!
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