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2013-03-20up

鈴木邦男の愛国問答

第121回

国家の「転向」と日本人の「自由の力」

 河合塾コスモに行ったら、「吉田剛が鈴木邦男をぶった切る!」 というポスターが掲示板に貼られてました。驚きました。いいのかな、こんなこと書いて。と思いましたが、3月5日(火)の「特別ゼミ」のお知らせなんです。英語の吉田剛さんと僕の対談です。吉田さんは若くて、実力があり、そして生徒には圧倒的な人気があります。僕とは正反対です。その人気講師が何故、「対決」を申し込んできたのか。原因は「マガジン9」なんです。だから、これも「マガ9学校」です。

 当日の「対決ゼミ」に向けての「申し入れ書」というか「手紙」が書かれ、生徒にも配られてました。なぜ「ぶった切る」かの理由です。
 <それまでの僕の邦男さんのイメージはかなりステレオタイプなもので、「ああ、昔行動右翼だったけど今言論で闘うって言ってる新右翼の人」くらいの知識しかありませんでした。初めてコスモで目にした時にも(3・11のすぐ後だったと思いますが)、「意外と普通のおっさんだなー」(本当にすみません)くらいにしか思っていませんでした>

 多分、皆そう思うんでしょうね。雨宮処凛さんも初対面の印象を、「ボーッとした普通のオッサンだった」と書いてました。雨宮さんは、その後、右翼運動に入り、そこから進化して、プレカリアート運動に行きます。ただ、「鈴木邦男」と会った圧倒的に多くの人は、「なんだ、ただのオッサンか」で終わってしまいます。「昔は暴れていたけど、今は力尽きて、羊になったのか」と軽蔑し、それで終わりです。英語講師の吉田さんだって、そうだったのでしょう。それまでは。
 <ところが、この人面白い本書くなあ、と私が思っていた中島岳志さんのことを追いかけていたら、たまたまマガジン9というインターネットマガジンで、彼と邦男さんとの対談にぶつかりました。マガジン9もそれまでよく知らない存在でしたが、それにしてもなんで? って思いました。タイトルからして、左だろう、と。それからマガジン9の邦男連載を読んでみたら、面白くてびっくりです。「ありゃー、右翼とか左翼とかいうより自由人だな、自由人。しかもやっぱりドスが利いてる!」と(蛇足ながら、だから『秘めてこそ力』という邦男さんの本のタイトルはすごくいいと思います)。>

 「マガジン9」がなければ、この「特別ゼミ」もなかったんですね。中島岳志さんとは「マガジン9」で以前、対談をした。今、戦前の右翼思想・運動の研究をしていて、「血盟団」についての本を出すと言っていた。又、NHKに出て、大本教を訪ねて話をしていた。6月11日(火)には、再度、中島さんと対談をする予定だ。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」だ。札幌時計台の中に、広いホールがある。音楽の演奏会や講演会に使われている。そこで、シンポジウムをやることになった。第1回は4月9日(火)で、鈴木宗男さん。第2回は6月11日(火)で中島岳志さん。第3回は8月13日(火)で山口二郎さんだ。主催は札幌の出版社で、柏艪社だ。吉田さんが書いてるが、『秘めてこそ力』を出した出版社だ。
 「どうして左のマガジン9に連載するようになったんですか」「なりゆきで…」という話から始まりました。3月5日(火)の合同ゼミは。生徒も沢山集まりました。受験には全く役に立たないゼミなのに…。
 吉田さんは言います。「マガジン9」は9条を守る、護憲のインターネットマガジンだ。邦男さんは闘うスタイルは変わったが、今でも右翼だし、改憲派だ。それなのに、どうして護憲派のインターネットマガジンに連載できるのか。マガジン9も、「(敵である)改憲派に質問してみました」というのならわかるけど、連載までさせるのか。そう言うんですね。吉田さんは。
 そうだ。「初めはそれだったんですよ」と僕は言いました。「でも、その後、連載してるんでしょう。邦男さんが変節したのか。マガ9がもの凄く寛容なのか。デタラメなのか。どうなんでしょう」と吉田さん。
 そう問いつめられても困る。そんなに論理的に考えて生きてはいない。ただ、「変な奴だけど、ちょっと書かせてみるか。クレームがあったら切ればいいんだし」とマガ9側は思ったんでしょう。信じられないほどの寛容さですよ。多分、クレームもあったんでしょう。でも、連載させてくれた。だから、もしかしたら「左」ではないのかもしれない。
 右にしろ左にしろ、こんなことはしない。反対する考えを載せるなんてことはない。自分たちと同じ考えの人だけを載せて、「そうだ」「そうだ」と言う人を増やそうとする。自分たちは「変革の原液」だ。それを広げてゆけば、世の中は良くなる。そう考えている。他人のことは言えない。ついこの前まで僕もそうだった。考えの違う人は、批判し、打倒する対象だ。そんなものを載せたり、紹介したり、認めたら、「敵との妥協」であり、自分たちの存在が否定される。そう思ってきたのだ。いや、今でもそう思っている人達は多い。
 そういう原理主義者から見たら僕は、転向者であり、堕落した人間だ。「敵」である左翼と話し合い、時には理解し合っている。「獅子身中の虫」であり、裏切り者なのだ。
 多分、マガ9だってそんな批判をされてるんだろう。「護憲一筋」に頑張るべきなのに、改憲派にも発言させている。保守派の中島岳志さんも載せている。反動右翼の鈴木にも連載させている。マガ9学校では、サギなどで捕まった人間をゲストに呼んでいる。節操がない…と。
 日本人は真面目だから、そう考えるのか。あるいは融通性がないからか。特に<運動>にかかわる人々はそうだ。右であれ左であれ、一旦始めたら、最後までやり抜け、という気持ちがあるようだ。途中でやる気をなくしたら、「日和った!」と馬鹿にされる。考えを変えたら、「転向だ!」と罵倒される。寛容さがない。人間は身長も思想も成長するはずなのに、思想だけは「成長」を認めない。「小さいままでいろ!」」と強制される。20才位で思想を持ったら、死ぬまでその思想で生きろと言われるのだ。運動の仲間だけでなく、一般の人々も、世間もそう思う。「転向者」は、だから、誰からも軽蔑される。
 これは、もしかしたらお上の治安対策かもしれない。左翼や右翼を取り締まる側が考えだしたのかもしれない。そして広めた。だって、右、左とキチンと枠にはまってくれてた方が取り締まりには都合がいい。記事を書くマスコミにも都合がいい。それなのに「枠」を越えて、あっちこっちに行く人間が出来ると、面倒だ。さらに全体が流動化したら、やりにくい。取り締まるのは大変だ。マスコミも面くらう。それで、「一度思想を持ったら、死ぬまでやるべきだ」と言い出した。そうだ、そうだ! と、当時の右や左のリーダーも賛成した。つまり、「取り締まる側」と「取り締まられる側」が「共犯」関係で作り上げた幻想だ。「転向は人間として恥ずべき行為だ」「主義者は転んではいけませぬ」「思想を持ったら、死ぬまで貫くべきです」と。これこそが日本人としての生き方、人間としての守る道だ。そう思わせたのでしょう。
 何故、そんなことを考え、強制する必要があったのか。だまっていると日本人は、どんどん変わるし、成長するからです。日本の歴史を見ても分かります。大化の改新。明治維新。終戦後。これらは国家の「転向」です。個人の転向どころではありません。本来の日本は、そして日本人は、このように自由なんです。権力者はその「自由の力」を恐れたんでしょう。と、これは僕の仮説です。河合塾コスモで吉田さんと話し合い、その後、考え抜いて、こんな仮説に至ったのです。もう少しまとまったら、又、吉田さんと、「マガ9学校in河合塾コスモ」をやってみようと思っています。よろしくお願いします。

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吉田剛さんの言うとおり、
右と左の壁を軽やかにひらりと飛び越える鈴木さんこそが、
一番「自由の力」の持ち主のような…。
今後ともよろしくお願いいたします!

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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