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2012-12-12up

鈴木邦男の愛国問答

第114回

日教組委員長と語った憲法改正問題

 「何で反日的な集会にばっかり出ているんだ」と右翼の人に批判された。面と向かって批判してくれる人はまだいい。街宣車で大音量でおしかけられたらどうしよう。そんな心配ばかりだった。だって昔は、自分自身がこんな集会には「許せん!」と言って抗議に押し掛けたんだから。抗議・攻撃する側の心理、論理もよくわかる。
 12月1日(土)は、新潟の日教組に呼ばれて講演した。正確には、日教組加盟の新高教(新潟県高等学校教職員組合)の第39次教育研究集会だ。4日(火)は、山形・佐高塾で佐高信さんと対談した。社民党が主催している集会だ。8日(土)は、オーディトリウム渋谷で、従軍慰安婦の映画『ガイサンシーとその姉妹たち』の上映があり、その後、班忠義監督と対談した。9日(日)は、連合赤軍事件〈体験〉ツアーに参加した。有名な史跡「あさま山荘」を見て、連合赤軍の人達が潜んでいた洞窟や山小屋跡を訪れる。殺された人達が埋められた場所で祈る。案内するのは元連合赤軍の兵士たちだ。道なき道を分け入り、崖をよじ登り、岩や蔦と格闘しながら進む。大変だ。厳寒の冬によく彼らはこんな所まで来たもんだと思った。連赤関係者だけでなく、漫画『レッド』を描いている山本直樹さんや出版社の人。さらに、「連赤ファン」の筆者もいた。15人ほどだ。
 僕は9日だけ参加したのだが、皆は前日から参加し、総括した現場、殺した現場、埋葬した現場を訪ねたという。夜は国民宿舎に泊まって話し合いを持ったそうだ。激論になり、総括も追体験したのだろう。
 僕にとっては、この9日一日だけの体験ではない。12月1日から9日までが全部、左翼運動の〈体験〉ツアーだ。「反日ツアーだ!」と右翼には言われるだろう。実際、三つの集会は「右翼が襲撃するのではないか」と心配し、警察官も警戒していた。連赤〈体験〉ツアーは、警察こそ来なかったが、地元の人や巡回パトロールの車に不審がられて何度も訊かれ、山をおりるまで付きまとわれた。
 新潟・日教組や山形・佐高塾では、「マガジン9を見てます」という人に何人か声を掛けられた。全国どこに行っても、マガ9の読者はいる。また、渡された資料の中にマガ9に僕が書いた文章が入っていた。それで驚いた。
 資料としては、朝日新聞に僕が書いた二つの記事のコピーをはじめ、いろんなものが入っている。朝日新聞は9月19日付の「オピニオン 愛国」で「心の痛みがない愛は偽り」。それに11月22日付のインタビュー記事だ。「天敵いなくなった右」だ。〈軸が動き右翼増長。「生態系」が危うい。左翼は理想を語れ〉と言っている。左翼にエールを送っている。又、こんなことも言っている。「日本人は謙虚な民族。『弊社』『愚妻』にならって『弊国』『愚国』でいいんじゃないですか」。右翼の人たちからは随分と批判された。「反日だ!」「天敵はまだいる。お前もそうだ!」と批判された。
 でも新潟・日教組、山形・佐高塾にとっては、ちょうどタイムリーで、いい資料になったようだ。質問コーナーで「資料の朝日新聞は分かるんですが、この〈マガジン9〉って何ですか?」と質問する人がいた。両方の集会で聞かれた。まさか同じ人が質問したわけじゃないだろう。「ウェブマガジンですよ」と私は答えた。それは分かるが「9」が分からないと言う。「9人で立ち上げたからですか?」「さー、分からん。3人の女性が始めたんじゃないだろうか。〈ビックスリー〉と呼ばれているし」。近くの席の人が言う。「9はQにかけたんじゃないですか、クエスチョンですよ。政治、社会、経済、思想など、あらゆることに疑問を持ち、考えるからでしょう」。ウーン、どうかな。そんな意図もあったかもしれない。
 「あのー、もしかして憲法9条と関係あるんですか?」。その「もしかして」です。やっと正解が出ました。「それにしても分かりにくいですね。元の〈マガジン9条〉に直してください」という人もいた。僕も賛成だ。「帰ったらビックスリーに言っておきますよ」と言った。
 「関連してもう一つ質問があるんですけれど」と別の人が手を挙げる。「マガジン9条と言うからには憲法9条を守ろう、ということですよね。でも鈴木さんは改憲派ですね。矛盾してませんか?」
 鋭いところを衝いてきた。僕は、「憲法は一度、見直すべきだと思います。議会で論議し、〈これでいい〉となったら、初めて〈自分の国の憲法〉になるでしょう。それに平和を守るという9条の精神は大切だと思っております」と答えた。「そうですか」と言ってたが、果たして納得したのかどうか。
 「マガジン9」というから、何がなんでも9条死守という人だけが書いているわけではない。ここは自由な場だ、と説明した。
 そういえば、7年前、森越康雄さん(日教組委員長)と『論座』(2005年6月号)で対談した。森越さんは憲法擁護だ。ただ「不磨の大典」ではない、と言う。思い切ったことを言っている。つまり「改憲」もありうる、と言っているのだ。勇気がある発言だ。〈大体、日教組は守りに終始してきた。でも守るというのは、よくて現状維持だ。あとは落ちていくだけ。つくる運動というか、自分たちで打って出ようという姿勢が、いままで弱かった。私自身の反省です〉
 その上で、憲法の話をするのだ。
〈憲法についても、不磨の大典ではないと思っています。ただまずきちんと議論をすることから始めたらいいんじゃないでしょうか。それと、今のところ前文と9条は変える必要はないと判断しています。私、いろんな国際会議とかに出させてもらっているんですが、平和な社会を目指して基本的人権を認め、民主主義を大事にしようという理想は、国際社会共通です。
 日本では「9条を守れ」ということが時代遅れみたいに叩かれるんだけれど、むしろようやくよその国が追いついてきてるというか、みんな日本にならえ、と言ってきてるんじゃないかと。
 「戦争ができるふつうの国になりたい」などとキナ臭いことを言っている人たちがいますが、えてして自分は安全なところにいて、国民に戦争をさせたがっているんです〉

 これは勇気のある発言だと思った。現状維持の「死守」なんていわない。いいものだから、守る。またそれを世界に広め、訴えていく。積極的だ。
 ところが小さな点をほじくり出して批判する人間がどこにもいる。日教組の中にもいろんな人がいる。委員長が右翼と対談したことも気に食わない。「立場の違う人間と話し合ったのが悪い」とは言えない。そこで、こう文句をつけた。
 「日教組委員長は、"改憲派"だ。こんな人間を委員長にしておいていいのか!」と。僕も実際、そのビラを見た。だからかなり広範囲に撒かれたビラだ。この森越さんの発言のここにケチをつけたのだ。森越さんの「今のところ全文と9条は変える必要はないと判断している。」この部分だけを取り上げて批判したのだ。「今のところ」必要ない。じゃ「そのうちに」「いつか」は改憲しようというのだ!と。
 ひどい理屈だ。森越さんの発言を全部、素直に読めば、そんなことは言っていない。でも上げ足をとるなら、どんなことだってケチをつけられる。
 その後、どうなったのか。それほど大きな問題にはならなかったと思うが聞いてみたい。僕だって似たような立場にある。見直すべきだ。改憲は必要だといいながら、「今のところ」は、改憲すべきではないと言っている。「じゃ、ずっと占領憲法を守るのか」と文句も言われそうだ。憲法をめぐってもねじれ現象が起こっている。この話は新潟の日教組でも話しをした。森越さんはもう委員長を辞めているが、この7年前の「総括」をやってみたい。次は新潟・日教組でやってみたらどうだろう提案した。しかし「マガ9対談」の方がいいかもしれない。9条を考える「ウェブマガジン」なんだし、何はおいても、やるべきだと思うが、どうだろうか。

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そう、「マガジン9」の9は、もともとは憲法9条の「9」
(それ以外に込めた意味は、こちらの、2010年5月12日付記事をお読みください)。
それが再び、ますます大きな意味を持って響きつつあることに、
強い危機感を覚えます。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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