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2012-02-08up

鈴木邦男の愛国問答

第93回

全ては「マガ9学校」から始まった

 「もう右も左もありませんよ」と口で言う人は多い。でも、〈実行〉する人は少ない。まだまだ偏見があるのだ。ところが最近、左右を越えた〈実行〉があった。二つも。一つは、2月13日(月)の「グリーンアクティブ」の設立記者会見だった。中沢新一さんらが発起人になって脱原発などを目指す運動体、「グリーンアクティブ」を作ったのだ。そこに僕も賛同人として参加した。「僕なんかが出たらマズイでしょう。裏で応援団として支えますから」と言ったが、「いや、運動の広がりが出来ていい」と中沢さんは言う。「鈴木さんがからむと何か面白くなりそうですね」と新聞記者に言われた。そうかな。買いかぶりですよ、と言った。

 もう一つの〈実行〉は、2月19日(日)の反原発・杉並デモだ。6千人が集まった大きなデモだった。共産党、民主党、社民党、新社会党、素人の乱の他、保坂展人・世田谷区長、雨宮処凛さんなどが賛同人で参加。僕までが賛同人だった。「いいのかよ」と思った。それに、画期的なことだが、保守派論壇の大御所・西尾幹二さんまでが賛同人になっていた。当日、本人は来れなかったが、賛同人に名を連ねたことだけでも勇気がある。

 去年4月に僕は、チャンネル桜の討論番組に出た。原発をめぐり、賛成・反対の4対4の討論だった。西尾幹二さんも出ていた。そして、こんな衝撃的な発言をした。「自分は今まで原発は必要だし、絶対安全だと思い、そう発言してきた。しかし今回の事故で、それが間違いだと分かった。今までの自分の発言を反省し、謝罪したい。これからは反原発にまわる」と。なかなか言えないことだ。勇気のある学者だと思った。

 今回、賛同人になることも、勇気があると思った。「自分のあやまちを認めるのはいい。しかし、何も共産党と一緒に賛同人になることはないだろう」と、まわりから批判もあっただろう。ところが、「反原発には右も左もない」と思い、決断したのだ。これは文句なく立派だと思った。それに共産党も変わった。一昔前ならば、どんなに「いい集会」でも、保守反動の西尾幹二や右翼の鈴木などと一緒に賛同人に名前を出すことはない。一緒にデモをすることもない。それなのに〈実行〉した。当日は、日本共産党のノボリが多数立っていた。民主党、社民党、新社会党のノボリも…。そこに僕も参加し、デモをした。

 出発前の集会では、司会者が「今日は右から左まで、こんなに沢山の人が…」と言っていた。保坂区長がトップの挨拶。次が何と僕だった。「脱原発に右も左もありません」と言った。「そうだ、なかよくだ!」と叫ぶ人がいた。いい雰囲気だ。沖縄のミュージシャン・喜納昌吉さんが初めに言い出した言葉だ。「右翼も左翼もない。なかよく(翼)だ!」と。さらに宮崎学さんは言っていた。「右翼も左翼もない。混浴(混翼)だ!」と。

 当日は、「日大全共闘」の旗を持った人もいた。昔、学生運動をやったオジさんは沢山いる。でも当時は「日共となんか一緒にやれるか!」と言っていた。右翼以上に、共産党は敵だった。それが今は、皆、なかよくデモをしている。反戦自衛官だった小西誠さんもいる。三上治さんや、元・反日共系の学生活動家も多い。まさか今、共産党と一緒にデモをやることになるとは夢にも思わなかっただろう。「ML派」というヘルメットをかぶった若者もいる。これは遊び感覚だ。又、デモの先頭は、車の上でカラオケをやっている。凄いデモだ。右翼・左翼を超えた。日共・反日共も超えた。まさに革命的な日だった。

 では、もう一つの、「グリーンアクティブ」だ。記者会見の翌日、朝日、東京、毎日などには大きく取り上げられていた。記者会見に出たのは8人だ。発起人の中沢新一さん、いとうせいこうさん、宮台真司さん、マエキタミヤコさん。そして賛同人の加藤登紀子さん、鈴木耕さん、鈴木幸一さん、鈴木邦男だ。鈴木が3人もいる。「まるで"鈴木の党"だね」と中沢さんが言っていた。「グリーンアクティブ」は党ではなく緩やかなネットワークを目指す、という。賛成だ。中沢さんは発起人代表として挨拶した。「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えてゆく国民戦線をつくる」。

 この運動とも通じるのだろう。最近、デレク・ウォール著、白井和宏訳の『緑の政治ガイドブック―公正で持続可能な社会をつくる』(ちくま新書)という本が出た。巻末で、中沢新一さんと鎌仲ひとみさんが対談している。又、本の帯には、ズバリと、こう書かれている。

  〈右でも左でもなく
   前へ進む政治を!〉

 これはいいと思った。右だ左だと、言い合っているが、それは、ただ横に揺れてるだけだ。現状維持だ。いや、退歩だ。そこを超えて、前へ進むのだ、と言う。

 その時、気がついた。思い出したことがある。あっ、そうだったのか! と、記者会見が終わってから気がついたのだ。あの時、中沢さんは、この「グリーンアクティブ」のことを言ってたのか。じゃ、全ては、「マガ9学校」から始まったのだ。発起人のマエキタミヤコさん、賛同人の鈴木耕さんとは、「マガ9学校」で知り合った。それだけではない。去年の11月19日(土)の「マガ9学校」の時だ。脱原発の中学生アイドル、藤波心ちゃんと僕の対談が行われた。司会は鈴木耕さんだった。とても楽しいトークだった。そして、終わって二次会になった。その時、誰かと電話していた鈴木耕さんが、僕に携帯を渡す。それが、中沢新一さんだった。

 「あの時はどうも」と話をした。上野で偶然、会ったのだ。お互いが家族連れで、パンダを見に来てたのだ。違ったかな。美術館でもないし。そうだ。オペラを見に来ていたのだ。僕も昔は高尚なものを見ていた。かなり前だ。電話で、その話をした。中沢さんは、すぐ話を切りかえて、震災、原発以後の日本について憤る。怒っている。憂えている。この現状を変えたい。そのために〈実行〉するという。「その時は、鈴木さんも協力して下さいよ」と言う。「勿論、協力しますよ」と言った。しかし、その時は、具体的な話は何もなかった。それから3カ月。そうか、これが〈実行〉だったのか。と思った。

 伊勢崎賢治さん、マエキタミヤコさんとも前に、「マガ9学校」で一緒に出た。大きな仕掛けがあり、面白かった。今週の土曜日、2月25日は、伊勢崎さんと蓮池透さんだ。聞きに行こう。楽しみだ。又、何か面白いことが始まるだろう。

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「もう右だ左だという時代ではない」。
何度も言われてきたそんな言葉が、
ようやく、本当の意味で実現しつつあるのかもしれません。
そして鈴木さんの飛び入り参加もあり!? の今週末マガ9学校、
まだまだお申し込みも受付中です。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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