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2011-07-20up

鈴木邦男の愛国問答

第79回

仙台で同窓会に行った

 7月16日(土)、再び仙台に行ってきました。震災後2回目です。前は4月2日(土)、3日(日)に救援物資を届けるボランティアで行ってきました。仙台、石巻、女川に行きました。これが現実だとは信じられませんでした。悲惨な状況に胸がつぶれる思いでした。
 今回は高校の同窓会です。「こんな時期に…」という声もあったそうですが、こんな時期だからこそ、現状を確認したい。これからの東北を考えたい。そして僕らの人生も見つめたい。という思いがあったようです。
 夕方5時半から総会があり、そのあと懇親会。そして、僕ら一期生だけで二次会に行きました。牛タンを食べながら、皆、しんみりとした話になります。震災、津波で同窓生が何人も亡くなってます。「○○君は奥さんと一緒に流された」「○○君は息子さんを亡くした」「俺も父親を亡くした」という話が出ます。家が全壊した、半壊したという人も。「あの時は車に乗ってたけど、車を捨てて逃げた」という人もいます。「普段はスキンシップもないのに、あの時は女房と抱き合って震えていた」という人も。「あの瞬間、女房に覆いかぶさって守った」という人も。
 「クニオ、東京はどうだった?」と聞かれたけど、仙台の状況を聞いたら何も言えませんでした。あの時は、揺れが大きくて、本箱から本がドドーッと降ってきた。慌てて外に飛び出した。でも仙台に比べたら、何も言えない。牛タンでビールを飲みながら、話は続く。家をどう建て直すか。地震の話。保険の話…と。
 地震と津波の話は尽きない。12時を回り、そろそろお開きにしようかという時に、「歴代の校長は今でもあんなことを言ってんだね」と一人が言う。「んだ、んだ」と皆、方言で相槌を打つ。わが母校、東北学院榴ケ岡高校が出来て今年で52年だ。牛タン屋で飲んでる我々は一期生だ。50年以上も前なのに、高校生活のことはよく覚えている。特に入学式の時の校長の挨拶は。
 「君たちは決して自分から希望してこの高校に来たわけではないだろう。悔しいだろう。でもその悔しさをバネに必死で勉強し、3年後は、今度こそ希望の大学に入ってほしい」
 これじゃ、まるで予備校の入学式だ。そうか、あの3年間は「予備校」だったのかもしれないな、と思った。少し説明しよう。仙台には昔から東北学院大学というキリスト教の大学がある。その下に、中学、高校の一貫校がある。途中からは入れない。でも、当時は子供の数が多く、高校が足りない。それで、一貫校とは別に高校を作った。それが「榴ケ岡高校」だ。
 つまり、県立一高、二高を落ちた人の「受け皿」だったのだ。一期生の僕らは、135人。全員が県立を落ちて、失意の中、この高校に来た者ばかりだ。だから入学式で校長はズバリと、その点を衝いたのだ。「君たちにおめでとうとは言わない。それは3年後にとっておく」とも言ってたな。「自分より出来ない人間が一高や二高に入ったと、悔しがってる人も多いだろう。でも、3年後、見返してやれ」と言う。モロに「復讐心」を煽る。
 でも、これは僕らが一期生だからだ。そう思っていた。なんせ、出来たばかりだ。〈実績〉を示さなくてはならない。135人のうち、3年後何人が東北大に入ったか。それで成果が分かる。そのために先生たちは必死になったんだ。生徒たちの「悔しさ」を利用し、「復讐心」を煽り、勉強させた。キリスト教の愛を説きながら、復讐心を煽るなんて、変だなと思ったが、出来たばかりの高校だったから必死だったんだろう。その甲斐あって、3年後には輝かしい成績を上げた。榴ケ岡は一高、二高に負けない「進学校」になった。
 それで「校長の挨拶」は終わったはずだ。ところが、それからもずーっと続いていたという。今、創立52年だ。校長は何人もかわった。しかし、何故か、入学式の校長挨拶はずっと同じだったという。「君たちは決して自分で希望してこの学校に入ってきたわけではないだろう」と…。「今日はおめでとうと言わない。3年後にとっておく」と…。
 これには驚いた。「おかしいよ」と僕も言った。卒業生の何人かもそう言った。だって今は、昔と違い、服装は自由だし、男女共学だ。校舎もきれいだ。いろんなサークルもある。自分から希望して入ってくる人もいる。又、自分の子供を入学させる人もいる。
 「そうだな。もう、あの"伝説の挨拶"はやめてもらうように言いますよ」と先生たちも言っていた。そうだよ、あの「復讐心」は我々一期生だけでいいよ。
 そうだ。この日は、人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦さんも来ていた。別に来賓ではない。彼も同窓生なんだ。「二高を落ちて入りました」と言っていた。彼は17期生だ。「僕も入学式の時、復讐心を煽られました」と言う。「でも、悔しい気持ちは全くなかったです。漫画を描きたいだけだったし」と言う。そして、授業中も隠れて、ずっと漫画を描いてたという。17期生というと、僕より17才も若いのか。
 「鈴木さんが入学した時、僕が生まれたんです」。ウッ、そういう計算なのか。時代の差を感じる。

 この52年間で、同窓生は10800人もいる。同窓会総会の時、同窓会会長が言っていた。「でも、会費を払ってくれる人は、700人しかいません。せめて1割か2割にしたい」。夢のない話だ。だったら、荒木さんを同窓会会長にしろ。何なら、校長にしてもいい。名前も、「東北学院榴ケ岡ジョジョ高校」にしたらいい。ドッと人が入ってくる。同窓会だって、皆入るよ。
 「そんなの困りますよ」と荒木さん。「それに僕は東京に住んでますから」。いいんじゃないの。ネットでつないで、「校長挨拶」をやれば。「もう復讐の時代は終わりました。新たな冒険に立ち上がりましょう!」と言ったらいい。そして、「漫画科」も作ったらいい。同窓会も宣伝してもらう。他の学校の卒業生だって、「同窓会に入りたい」と殺到する。その人たちは、特別会費をとって入れてやればいい。そうしたら、「1割か2割」どころか、20割、30割の人が同窓会に入会するよ。
 そうだ。荒木さんは、「被災した人々への励ましのメッセージを書いてほしい」と同窓会の事務局の人に頼まれていた。「映像でも、お願いしたい」と。「いや、僕は芸能人じゃないから」と荒木さん。いやいや、人気絶頂の漫画家だ。十分、芸能人ですよ。何なら、校歌も荒木さんに作ってもらったらいい。今までの校歌は捨てて…。
 と思っていたら、その時、吹奏楽部の演奏があった。「先輩の皆様方に心をこめて演奏したい」といろんな歌をやる。女の子が8割くらいいて、かわいい。おどろいた。そして、一曲目は校歌だ。その瞬間、何と。涙がボロボロと流れた。あんなに厳しくて、いやな高校だったのに。先生にはよく殴られていたのに。苦しい、苦しい高校生活だったのに。でも、校歌を聞いた瞬間、涙が出て止まらなかった。隣で、荒木さんも感動し、校歌を口ずさんでいた。
 じゃ、校歌はこのままでいいよな。荒木さんに作ってもらわなくても…。ただ、校長と同窓会会長はやってもらったらいいだろう。そうしたら僕も又、榴ケ岡高校に入りなおしたい。それはダメかな。じゃ、子供たちを入れたい。

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鈴木さんが4月に仙台に行かれたときのことは、
コラムの第71回に書かれています。
それにしても、鈴木さんと荒木飛呂彦さんとは、
なんだかちょっと不思議な「同窓生」の顔合わせ?

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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