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2010-12-15up

鈴木邦男の愛国問答

第65回

邦男くんの思い出

 まいったなー。どうしよう。それにしても、ひどいよな、星新一さんも。「これは内緒だから」って、念を押したのに、書いちゃうんだから。それに、小説にするんなら、ちょっと設定を変えるとか、主人公の名前を変えるとか…。そのくらい、やってくれてもいいだろう。それがない。あの事件も、名前も、そのままだ。これじゃ、小説ではない。おかげで僕の旧悪も暴露された。スキャンダラスな男になっちゃった。

 「お前のことが出てるよ」と知り合いの編集者に言われた。「それにしても、いやらしい奴だな」と言う。エッ? 何のことだ。「『日本の黒幕』かと思ってたら、ただのスケベなオッサンじゃないか」。ムカッとした。本屋に行った。『日本の黒幕』の隣に並べられていた。平積みになっている。売れてるようだ。星新一の『ノックの音が』(新潮文庫)だ。
 「ノックの音」で始まる15のショートショートが収められている。ノックの音でドアを開けたら郵便屋さんだった。宅急便だった。これじゃ、ありふれている。いきなり警察手帳と捜索令状を突きつけられて、「家宅捜索です」なんて、いやだな。『公安警察の手口』(ちくま新書)はそこから始まる。いきなり逮捕されたこともあったな。星さんはその話を書いたのかもしれない。
 〈サスペンス、スリラーからコメディまで、「ノックの音」から始まる様々な事件〉が収められている。そうか、ガサ入れや逮捕なんて、非日常だし、サスペンスだ。その話だろう。でも、中には艶っぽい話もある。

 〈ノックの音とともに、二日酔いの男の部屋にあらわれた見知らぬ美女。親しげにふるまう彼女の正体は?〉

 ほう、こんな話もあるのか。楽しそうだな。これが第一話だ。「なぞの女」という題だ。ところが、初めの4行まで読んで、ギャーッと叫んだ。これが僕のことだったんだ。あのことを書いちゃったのかよ、星さん! 職業は変えてるし、昔のことだが、でも名前は、はっきり出ている。書き出しはこうだ。

 〈ノックの音がした。
 ここはちょっと高級なマンションのなか。内部は和室と洋室。それにダイニング・キッチンと浴室から成っている。
 ノックの音で、和室にひとりで眠っていた鈴木邦男は目をさました。としは三十歳。商業デザイン関係の仕事をしている〉

 もう少し工夫して書いてくれればいいのに。これじゃ、すぐに分かる。30才の時、僕はマンションに住んでいたし、間取りも同じだ。大手新聞社の広告局でデザイン関係の仕事をしていた。仕事は面白いし、収入はいい。女はいくらでも寄ってくるし、毎日朝まで飲み歩いていた。その頃の話を星さんにちょっとしたら、書かれちゃったんだ。マズイ。
 「なぞの女」に戻る。二日酔いで頭が痛い。でも、ノックの音で邦男くんがドアを開けると、ハッとした。25歳くらいの美女だ。「邦男の頭からは、痛みも眠気もいっぺんに消えた」。でも、全く知らない女だ。それなのに、勝手に入ってくる。「きょうは暑いわねえ」と言って、服を脱ぎ始める。下着だけになった女は、窓を少しあけ、外の風を迎え入れる。ハンカチで豊満な胸のあたりの汗を押さえる。その様子に、邦男くんは、つい声をかけてしまう。
 「浴室のシャワーでもあびたら…」
 女は、即座に「そうするわ」と応じて浴室に消える。その間に邦男くんは考える。飲み屋のおネエちゃんか。広告代理店の女の子か。違う。酔って電話し、風俗の女の子を呼んだんだろうか。違う。あるいは公安のスパイか。じゃ、「責問」しなくては…。でも、責問の途中で死んじゃったら困る。又、埋めに行かなくては…。いやいや、こんな艶っぽい女を殺すのは勿体ない。でも、正体が分からない。目的が分からない。美人局(つつもたせ)かもしれない。中国のスパイかもしれない。うかつに手は出せない。
 浴室から出た美女は、いきなり邦男くんに抱きついてくる。キスをしようとする。邦男くんはあやうくかわす。キスだけでは済まない。本能のままに行動したら、とんでもない罠がありそうだ。思い切って尋ねる。「あなたは誰ですか?」「僕のことを知ってるんですか?」。「日本の黒幕でしょう」なんて言わない。悲しそうにジッと見つめる。「よしてよ、そんなおっしゃりかたは」。「それよりも、ベッドに入りましょう」と誘う。
 これはおかしい。病気だ。それ以外には考えられない。手を出したら大変だ。邦男くんはいたわるような口調で言った。「お医者さんに行ってみたらいかがでしょう」
 怒り出すと思ったのに、謎の美女は、「そうね。そうしたほうがよさそうね」と言って、素直に服を着て、部屋から出てゆく。
 ホッとする。「変なこともあるもんだな」と邦男くんは考える。この事件から30年経った現在の邦男くんも考える。あれは何だったんだろうと。
 でも、30年前、あの美女は、部屋で服を脱いだのではない。初めから、裸だった。いや、コートだけで、それを脱ぐと、裸だ。そして、抱きついてきた。この話は他の人にも喋ったな。弘兼憲史の『課長島耕作』に、こんなシーンがあった。ドアのノックの音で、開けた。いや、開ける前に、小さなのぞき窓のようなレンズを通して見た。コートを着た美女が立っている。いきなり、コートの前をはだける。裸だ。ブラジャーもパンティもない。そんな格好でタクシーに乗ってきたのだ。

 でも、あの謎の美女は一体、誰だったんだろう。僕は今でも分からない。しかし、小説家はそれでは済まない。星新一の小説に戻ると、その後、再びノックの音がする。彼女が医者を連れて戻ってきたのだ。どうも病人は邦男くんの方だった。デモか柔道の練習で頭を打って記憶喪失になって、奥さんのことも忘れたらしい。小説の結末をバラすのはフェアーじゃない。でも、「内緒にしてくれ」と言ったのに書いた星さんが悪いんだ。『課長島耕作』の方は、実は恋人なのだ。すぐ抱きつけるよう、コートだけを着て、来たのだ。
 小説や漫画は読者がいるから「こうなんだよ」と、読者が納得できる説明をする。あるいは作家が考える。ところが、現実のクニオ体験は謎のままだ。あれは一体何だったんだろう。昔、鶴を助けたので、鶴の恩返しだったのか。分からん。
 それで、星新一の『ノックの音が』をパラパラとめくっていた。最後の奥付を見て、アレッと思った。新刊コーナーにあったんで、出たばかりと思ったが、違っていた。「昭和60年9月25日発行」と書かれている。1985年か。25年も前にでてるんだ。それに、これは文庫だ。ということは、鶴の前に単行本として出てるはずだ。こう書かれていた。

 〈この作品は昭和40年10月、毎日新聞社より刊行され、その後講談社文庫に収められた〉

 昭和40年といえば、1965年だ。今から45年前じゃないか。その前に、どっかの雑誌に発表されたはずだ。すると、少なくとも46年以上前だ。その時、僕は20才くらいだ。右翼学生運動を始めたばかりだ。全く「無名の青年」だ。本だって一冊も書いてない。それなのに、20才の僕を見て、どうして星さんは「その後の僕」を予見したのだろう。作家の予想、予知能力は凄いと思った。

 そこで、コンコンとドアを叩く音が。開けると、謎の美女とお医者さんだ。「邦男くん、病人は君だ」と医者は言う。「君は星新一とも、弘兼憲史とも会ったことはない。君の話が基になって小説や漫画が出来たというのは君の妄想だ。大体、君の名前なんて、ありふれていて、どこにもである。たまたま、46年前の星さんの小説に偶然の一致があっただけだ。でも君は病人だから、これは偶然のはずはない。自分から聞いたはずだ。公安の謀略だ、ユダヤの陰謀だと思う。それが病気なんだよ!」
 そう言って、医者は消えた。美女も消えた。どうやら、考えるのに疲れ果てて、眠ってしまったらしい。夢か。ウーン、全ては夢か。全ては僕の妄想だったのか…。僕という存在も幻だったのか。でも、星新一の『ノックの音が』はちゃんと本屋にあるぞ。

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若かりし日の鈴木さんの、知られざるスキャンダル!? と思いきや…
どこまでがホントでどこからが「幻」か、
追及するのは野暮というものかもしれません。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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