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2010-11-17up

鈴木邦男の愛国問答

第63回

「11.13抗議デモ@横浜」を取材

 「もう、デモなんか行きたくないですよ」と一旦は断った。今まで、イヤというほどデモには出た。500回以上行っただろう。〈絶対量〉はクリアーした。もう、一生分、行った。「ノルマ」は果たした。
 「そんなことを言わずにお願いしますよ。別に参加しなくていいんです。デモを見て、〈解説〉をお願いしたいんです」と言う。関西のテレビ局だ。それで押し切られた。
 ディレクターが言うのには、今の若者はデモなんか全く知らない。何の為にやるのか、そんなことをやって何になるのか。何が楽しいのか。分からないという。その辺から解説してほしいという。
 「その若者の言う通りですよ。楽しくはないし、何の為にやってるのかも分からない」と言おうとして、ちょっと待てよと思った。ネットで匿名で批判したりするよりは、ずっといい。顔を出して、堂々と主張し、行動に表すのだ。それはいいことだろう。
 だから基礎編から解説した。デモとはデモンストレーションの略だ。示威行為と訳される。大勢が集まって行進し、表現活動をするのだ。公園などに集まり、集会をやり、その後、行進をする。事前に、警察に届け出て、許可をもらう。これが大変だ。こんなのはダメだ、と蹴られることもある。たとえ認められても、「こんな近くまではダメだ」「ここは曲がれ」「このコースは認められない」と、注文をつけられる。さんざん文句を言われ、変更させられ、当日は、静かに歩く。まわりを警察官が取り囲む。
 しかし、昔は、それだけでは済まなかった。取り締まりの警察官とよく揉めていたし、逮捕者を出していた。その位でないと、「闘うデモ」ではない、と思っていた。その頃の記憶があるから、「もう捕まるのはイヤだな」と思ってしまう。たとえ、取材でも、巻き込まれたりしたら逮捕だ。しばらく出てこれない。これでは困る。しかし、このデモは大丈夫そうだ。それで、ディレクターと一緒に参加した。
 11月13日(土)の昼だ。横浜の反町公園で集会。そのあと、横浜駅西口までデモをする。APECに抗議するデモだ。いや、APECに出席する中国の胡錦濤国家主席に向けてのデモだ。〈国民大集会。中国のアジア侵略、人権弾圧を阻止する抗議デモ〉だ。驚いた。4千人か5千人はいる。反町公園は、プラカードや旗を持った人々で埋めつくされている。チャンネル桜などが呼びかけた。いわゆる右翼的な人はいない。黒い街宣車もない。戦闘服の人もいない。普通の若者が多い。「右翼的な人はいませんね」とディレクターは言う。そうなんだ。これはいい。
 集会では、尖閣をめぐる民主党政権への批判が次々と言われる。中国船との衝突ビデオを流出させた海上保安官については、皆、「よくやった!」「英雄だ!」と誉め称える。中国に対しては、厳しく批判する。ヒートアップする。中国を糾弾するシュプレヒコールにも熱が入る。
 このまま熱くなってデモに移り、過激な事をされても困る。と思ったのか、主催者はくどいほど念を押す。「世界中が見てるのですから、礼節のあるデモ行進を!」「警察官の指示には従って下さい!」と。
 皆に配られた「注意事項」にはこう書かれていた。
 〈プラカードの持参は自由ですが、民族差別的なものは禁止です〉
 ここまで配慮しているのか、と感心した。日の丸の旗を持ってる人も多い。主催者は言う。「疲れると肩にかついだりする人がいますが、それは絶対にやめて下さい。ネットで世界中に流れているのです。整然としたデモをやりましょう。中国のデモとは違うということを見せてやろうじゃないですか!」「オオー!」と声があがる。
 ともかく、くどいほど注意を呼びかける。デモは、それ自体が「生きもの」だ。主催者の注意に関係なく、突っ走り、暴走することがある。長年やってきたから分かる。警察が挑発することもある。沿道の人間が心ない野次を飛ばすこともある。それにカーっとなって、突っかかってゆく。乱闘になる。逮捕される。そんなことがある。そうならないように、主催者は必死に「礼節のあるデモ」を訴える。

 だから、各梯団ごとに行進しその責任者だけがマイクでスローガンを言い、皆がシュプレヒコールをする。参加者一人一人にまかせると、興奮して、汚い言葉や民族差別的な言葉を吐いたりする。又、「こんなデモではだめだ。会場へ突っ込もう!」「そうだ、そうだ!」といった過激な分子が煽動するかもしれない。そうさせない為にも、訓練された人が各梯団ごとに配置されて、シュプレヒコールを先導する。これはいいことだ。
 その梯団ごとの責任者から「あっ、鈴木さん」と声をかけられた。昔、運動をしていた頃の後輩が多い。集会の時も、司会者や、演説をしていた人もそういう人が多い。つまり、デモや集会を何十回と経験し、そのノウハウを知ってる人だ。デモは「生きもの」であり、いくら注意しても暴走するかもしれないことを知ってる人たちだ。だから、こうして整然としたデモができるのだ。
 ただ、訓練された、冷静な責任者でも、デモの熱気に興奮することがある。マイクを握っていた人が、中国攻撃をし、熱くなって、つい「チャンコロ!」と口走ってしまった。周りの人が「それはまずいよ」と注意し、言った人も「すみません」と謝っていた。これはいいことだと思った。僕らが昔、デモをやっていた頃は、こんな良識はなかった。抗議するんだから何を言ってもいいと思っていた。
 それに、昔は、「悪意の指揮者」が多かった。新左翼は皆、ヘルメットをかぶり、タオルで覆面をしていた。右翼も真似をして、同じ格好をしたこともある。「権力は敵だ。警察は権力の犬だ」と思っているから、取り締まりの警官に向かっても口汚く罵る。警官も人の子だ。カーッとなる。見えないように蹴り上げたりする。デモ隊の足に盾を落としたりする。すぐに乱闘になる。逮捕者続出だ。
 デモの責任者は、もっと注意すればいいのに、と思うが、あまり注意しない。映画監督の高橋伴明さんに聞いたのだが、学生時代、友人に誘われて初めてデモに行った。1960年代、70年代は、学生なら何度かはデモに行くのは当然だった。皆、行った体験はある。伴明さんは先頭を歩かされた。初めての人は皆、先頭だ。警官隊と揉めた。警棒で殴られた。それでカーッとなって、「権力は憎い」と体で感じ、それ以来、学生運動に飛び込んだという。
 「後で考えると、それがリーダーの作戦だったんですね」と言う。初めての人間は皆、先頭に出す。デモは「生きもの」だから、暴れる。警官に殴られたり、あるいは逮捕される。正義の主張をしてるのに、国家権力に弾圧された! 権力は敵だ! と思う。体で分かる。それで、新左翼の党派に入った人が多いのだという。
 逆に言えば、警察だって上の人間はそんな作戦を考えていたのだろう。「学生は正義感でやっている。それを取り締まるのは嫌だな」と思ってる新人警官はいる。しかし、先頭に出されると、学生の汚い罵声を浴びる。「権力の犬め!」と。もっと差別的なことも口にする。カーッとなる。挑発されて乱闘になる。こいつらは純真な学生ではない。中国、ソ連の手先だ。左翼リーダーのロボットだ、と思う。
 デモをする方も、デモを取り締まる方も、リーダーたちは「同じこと」を考えていたのだ。肉体的にぶつかり合って、そこで憎しみをかり立て、「いい兵士」になってくれればいい。そう思っていたのだ。「訓練の場」として利用していたのだ。

 テレビの「解説」ではそんな話もした。僕自身も集会に参加し、デモの梯団に入って、デモ行進をし、シュプレヒコールを叫んだ。その上で「解説」したのだ。僕らが、デモをやってた頃とは全く違う。実に整然としているし、洗練されている。これは感心した。「悪意あるリーダー」に翻弄されたこともある人たちが、デモの責任者にいる。デモの魅力と怖さを知っているのだ。デモのスタイルも進化しているんだと実感した。

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「デモ」も進化している!?
そういえば、最近は「パレード」なんて呼び方もよく耳にします。
「デモなんて…」と食わず嫌いの方も多いでしょうが、
賛同できる内容のものがあれば、
一度は体験してみてはどうでしょう?
お知らせメモにもときどき情報が寄せられています。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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