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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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人間に生まれ変わったネコ

 僕はネコ型人間だから、人見知りはするし、人に会うのが億劫だ。人と話すのも嫌いだ。家で一人で本を読んでるのが好きだ。一日中、誰とも会わず、誰とも話をしない日があると、実に気分がいい。精神が清らかに保たれているような気がする。
 「そんなこと嘘でしょう。ブログを見ると、毎日、いろんな人と会ってるんじゃないですか」とよく言われる。「本当は人と会うのが好きなんでしょう?」と言われる。「鈴木さんは社交的な人ですよ。いつもニコニコしているし」とも言われる。違うんだよな。猫が尻尾を振って、ゴロニャンと鳴きながら近づいて来たからといって、人が好きだと思っては困る。エサをもらい、生きる為の必死の知恵かもしれない。処世術なんだ。

 僕もそうだ。前世で猫だったから、エサをもらう為に、人間に媚態を示していた。「この子は猫なのに全く人見知りしないのよ」と飼い主のお婆さんがよく言っていた。山田さんという名前だった。「いい子だね」と言って喉を撫でてくれた。そんな記憶も、はっきりと覚えている。嬉しかったけど、でも猫の孤独や悲しさなんか所詮、人間には分からないさと思っていた。

 前世における「生きる為の知恵」が今も頭の中に残っているのだろう。それと、「勿体ない」の精神だ。前にも書いたが、この精神で読書好きの人間になった。せっかく人間に生まれ変わったんだから、本を読まなくちゃと思ったのだ。猫の時は、読みたくても読めなかった。読んでるとこを人間に見つかったら、「化け猫」と思われて殺されてしまう。だから読みたいのを我慢していた。
 現世では、一転して、本好きの人間になった。だから、猫だということはバレてない。せっかく人間になったのだから、本を読まなくちゃ、勿体ない。実は、人と会うのだって、この「勿体ない」の精神だ。人と知り合うチャンスがあったら、勿体ないから、友達になる。友達になったら、勿体ないから、大事にする。それだけの話だ。
 だって、人と知り合うチャンスが少ないんだ。又、知り合っても、ほとんどの人が「ヤダ! 右翼なんか」と近付かない。逃げてゆく。猫だった頃は、あんなに可愛がられていたのに……。
 そんな僕を哀れと思ってか、いろんな人に紹介してくれる人がいる。善意からだが、大体、失敗する。
 落語家のパーティで、他の落語家に紹介された。「こちらが鈴木さん。ほら、右翼の……」と言った途端、相手の顔からサーッと血の気が引いた。「何でこんな奴を紹介するんだよ」と、紹介した落語家を睨みつけている。こっちが名刺を出しても、出さない。挨拶もしない。怯え切っている。誰とでも会い、何でも見て、話のネタにするのが落語家だろうと思うが、そんな余裕はないようだ。
 そんな事が何回も何回もあった。「右翼」といっただけでこれだけの拒絶反応だ。だから、人に紹介されるのは怖い。そんな機会があると、「相手の許可を得てからお願いします」と言っている。
 ある文化人のパーティだった。僕の好きな作家がいた。左翼っぽいが、とても面白いものを書く。隣にいた人が、「俺、知り合いだよ。紹介してやるよ」と言う。でも相手が嫌がるかもしれない。事前に聞いて下さいよ、と言ったら、「お前も気が弱いな」と馬鹿にされた。「ここは誰でも入れるパーティだよ。こいつとは会いたくない、なんて人がいたら来ないよ」と言う。「でも念の為に」と頼んだ。彼はその作家の所へ行き、戻ってきた。「鈴木さんの言う通りだったよ」と言う。「右翼なんかとは会いたくない。同席もしたくない」と断言したそうだ。同じフロアーだ。もう「同席」しているのに。「やっぱりな」と思った。
 だから、どんどん臆病になる。紹介なんてしてくれなければいい。どうしても必要な時は、「福島県生まれの鈴木さん」とか、「元産経新聞社員の鈴木さん」で、いいじゃないか。そう思う。
 「人権110番」の千代丸健二さんに呼ばれた。学習院大学で千代丸さんが講演するから聞きに来いという。誘われれば、どこにでも行く。そんな機会は生かさなくっちゃ。いつもは人に嫌われてるんだから。
 僕が行ったら、話を中断して学生に紹介してくれる。「この人が鈴木さん。右翼です」。ここで学生の顔色がサーッと変わる。会場が凍りついた。マズイと思って、千代丸さんはフォローする。「でも右翼といっても、企業を恐喝したり、人を殴ったりする右翼とは違います」。そこからが、又、マズかった。「今までの右翼と違い、鈴木さん達は新右翼と言われてます。反権力で警察とは闘うし、火炎瓶も投げます。スパイを査問して殺したこともあります。もっとも、鈴木さんは関係なかったんですが……」。学生の顔が又、恐怖で引きつる。
 「ほら、マスコミに出てる、野村秋介という人がいるでしょう。あの人たちの仲間です」
 でも、野村さんの名前を出しても誰も知らない。「えっ、知らないの。ほら、昔、河野一郎という大臣の家に行って、火をつけて全焼させた人ですよ。最後は朝日新聞社で、ピストルで自殺した人ですよ」。
 全然フォローになってない。どんどん、ドツボにはまる感じだ。わざわざ説明してくれなくていい。紹介してもらわなくていいよ、と思ってしまう。

 そんなこんなで、人間嫌いになった。でも機会があれば、どこでも行く。講演会、対談、座談会で声がかかったら、必ず行く。その時、会った人たちとの付き合いは大事にする。それだけだ。「勿体ない」の交遊録だ。ブログには、それを書いている。「結果」として、毎日、いろんな人に会ってるように思える。でも、その裏には、排除と拒絶の悲しい悲しい歴史があるのだ。
 人間なんかに生まれ変わらなけりゃよかった。猫のままのほうがよかった。とも思う。
 「一般の人は右翼が怖いから、そう思うだろうが、大学教授や評論家、作家はそんなことはないでしょう。鈴木さんの書いたものを読むチャンスもあるし。右翼だからという偏見もないでしょう」と言ってくれる人もいる。でも、この大学が問題なんだ。ある大学のサークルが僕を呼んでくれた。嬉しかった。ところが、主催者が教授に呼ばれて叱られた。「なぜ右翼を呼ぶんだ。右翼は人殺しだ。戦争中だって、戦争に協力し、民主的な人々を殺しまくったんだ」と言う。ヘタに歴史を知ってるだけに、始末が悪い。全てを右翼のせいにする。「鈴木さんはそんな人じゃありません。全ては言論でやろうと言っているんです」と学生が言うと、「お前は騙されているんだ。どんなに口でうまいことを言っても、右翼は人殺しだ。人殺しは悪だ」の一点張りだ。ものを知ってるようで、何も知らないのだ。かわいそうな教授だ、と思った。
 中には理解のある教授もいて、大学に呼ばれる。「俺達はいいんだけど、大学側を説得するのが大変だった」と言う。「右翼なんか呼んだら、父兄から抗議が来ますよ」と言って、最後まで反対したそうだ。何も幼稚園や小学校で話すわけじゃない。相手は大学生だ。大人だ。いろんな立場の人の話を聞き、考えるのが大学生のはずだ。それなのに、こいつは右翼だから呼ぶな、と言う。右翼ゆえの「原罪」だ。何も悪いことはしてないのに。どうして、こんなに虐められなくちゃならないのか。猫のほうがよかった。

 「こんな奴、会いたくない」「死んじまえ」と思われている人が他にもいる。極左過激派とか、カルト宗教、犯罪で捕まったことのある人々だ。いくらいい事を言い、「更生」しようとしても、世の中が受け容れてくれない。「ああ同じだ」と思って同情する。そんな人達とはすぐに友達になれる。そこから不思議な人脈も広がる。その人脈は「勿体ない」から大事にする。又、「右翼でもいい。会ってみたい」という評論家や文化人、大学教授もいる。その人たちのおかげで、更に人脈が広がった。そういうことなのだ。全ては「勿体ない」の精神ですよ。オワリ。

ニコニコ笑顔の背景にある、
鈴木さんの「悲しい歴史」の物語。
さて、あなたが思い描く鈴木さんは、
「怖い右翼」か、それとも……?
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