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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

※アマゾンにリンクしてます。

ミッション・スクールへ行こう

 仙台にあるミッション・スクールの東北学院榴ヶ岡高等学校が創立50周年を迎えるそうだ。記念式典の案内が来た。僕は第一期生だから、50年前に高校に入ったわけだ。大昔だ。そこからキリスト教との出会いがあり、格闘が始まった。校則は厳しいし、教師は殴るし、何が「キリストの愛だ!」と反発した。でも、今では感謝している。だって、世界の文学、音楽、美術などは、キリスト教の理解なしには分からない。又、スパルタ教育のおかげで早稲田に入れた。入学式、卒業式をはじめ、全ての式典には日の丸、君が代がない。讃美歌と十字架だけだ。だから、淋しくて、ないものねだりで「日の丸・君が代」好きの生徒になった。
 それに、命の尊さを教えてもらった。いや、この命は自分のものではない、創造主(神)のものだから勝手に死んではいけない。そう教えられた。だから、創立以来50年の間に、誰も自殺者はいない。病死もいない。先生たちだって、皆、元気だ。神によって「永遠の生」を与えられたのだ。

 『絶望に効くクスリ』を描いている漫画家の山田玲司さんと阿佐ヶ谷ロフトでトークしたので、言ってやった。
 「自殺をなくすなんて簡単だ。日本中の中学・高校を全てミッション・スクールにしたらいい」。
 それで解決だ。そんな馬鹿なと思うだろうが、やってみる価値はある。だって、年間3万人も自殺している。手を拱いてはダメだ。
 実は(と、ここで声をひそめる)、この「年間3万人」という数字は嘘なんだ。本当の数字を言うと社会不安でパニックになる。だから、操作された嘘の数字を発表してるんだ。実際にその倍以上はいる。元警視庁刑事の北芝健さんに聞いたのだから本当だ。だから、これを読んだ人も決して口外しないように。
 たとえば交通事件。あのうちの何割かは自殺だ。スピードの出し過ぎだとか、居眠り運転だとか言うが、半数近くは自分の意思だ。車を使った自殺だ。それと、病院で亡くなる人。 何割かは自殺だ。でも、病院で死ぬんだから病死だろうとされる。家族だって病死にしてもらった方がいい。病院もそう発表する。それと、失踪者だ。何十万人といる。そのうちの何割かは自殺している。遺体が出てないだけだ。そうすると、3万の倍じゃきかないのかもしれない。恐ろしい話を聞いてしまった。
 これはもう、一刻を争う事態だ。早急にやるべきだ。ミッション・スクール計画を。それに、ミッション・スクールになったら、生徒の学力は急に上がる。命の尊さを教わり、自殺はしない。それどころか学力がアップする。中学、高校も大学だって、皆、学力が高い。上智、青山、国際基督教大学、東北学院…と。
 これは仏教系大学と比べるとより顕著に分かる。これは僕が言うのではない。現職のお坊さんが言ってるのだ。仏教大学に比べて、キリスト教系大学は格段にランキングが上だという。偏差値がきわめて高いと言う。具体的な大学名と具体的な学部名をズラリとあげて、その差を比較している。驚いた。そんなに違うのか。
 「それがお坊さんの質の低さと関係があるとは申しませんが… 申したくなるのであります」と、複雑かつ正直なことを言っている。
 『坊主の常識・世間の非常識』(日新報道)という本で、書いた人は千代川宗圓さんだ。「拝金主義の坊主や葬儀社にだまされてはいけない!」と警告している。2ヶ月ほど前、大阪のテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」でこの千代川さんに会った。お寺は、いかにデタラメに金儲けしているかを赤裸々に告発していた。死んだ人を利用して荒稼ぎしている。遺族は坊さんに言われただけの金を出す。葬儀費用、お布施、戒名のお金、など…。そんなにかからないのに、法外な、と誰もが思う。でも、値切ったら亡くなった人に失礼だと思う。冒涜することになる。罰が当たる。そう思うから、言われただけの金を出す。
 いかに坊さんが不信仰で、ブランド好きで、金儲け主義なのかを、これでもか、これでもか、と書いている。そういえば、坊さんは「生きた人」を相手に、ボランティア活動をしたりしない。昔は坊さんが反戦活動をしてたのに。砂川闘争の時も、太鼓を叩きながら先頭で闘っていた。今はいない。一方、キリスト教は積極的に「生きてる人」を救おうとしている。反戦・平和運動をしている。病院だって聖路加病院、聖マリアンヌ病院…と、キリスト教の病院は多いが、仏教はない。神社もない。やったらいいのに。でも、お葬式のイメージが強いから、入院する人もいないかな。神社でも「靖国神社病院」じゃ、すぐに英霊にされそうで…。

 この前、テレビで高校生のクイズ大会をやっていた。「クイズ甲子園」だったかな。やはり、ミッション系の高校が強い。頭がいい。だから、日本中の中、高校は全部、ミッションにしたらいいだろう。
 では何故、ミッション・スクールは学力が高いのだろう。信仰を持つと学力が急に上がるのか。それもあるかもしれない。しかし、学校側の取り組みが違うのだ。熱意が違うのだ。何も慈善事業で学校をやってるのではない。キリスト教を日本に広め、キリストの愛を教えるためだ。そのためには、学力アップして<成果>を示す必要がある。だから、学力アップに、ことさらこだわったのだ。一人でも東大に多く入れようと。
 わが東北学院榴ヶ岡高校もそうだった。一高や二高に行ったライバルたちとの競争心を煽り立て、「大学入試で勝て!」とハッパをかけられた。つらい苦しい勉学の日々だった。これも「神の愛」なのだろう。でも、フッと気がついて、先生に聞いたことがある。「大学に入るだけが幸せなんでしょうか」「成績のいい子供だけを神は愛するのでしょうか」と。「何を言ってんだ」と取り合ってくれなかった。
 でも、今なら分かる。試験をして、成績のいい順に入学させ、その生徒をさらに厳しく勉強させて、いい大学に進ませる。これが神の愛なのだろうか。違う。ここにいる99匹の羊は放っておいても、一匹の迷える羊を探すのが神の愛だ。だったら、試験をやるのはいい。そのかわり、下の者から順番に入学させてやればいい。それこそが神の愛だ、と思う。イエス・キリストが生きていたら、きっと、そう言うだろう。その上で、命の大切さを教え、勉強も教えたらいい。失敗を体験した子供達は、さらに他人の痛みが分かる優しい生徒になるだろう。それこそが、本当の使命(ミッション)だ。なんなら私が作ってもいい。

このご時世ですから、鈴木さんがミッション・スクールを作ったら、入学したい!
という人は、たくさんいることでしょう。
愛と平和の学校「クニオスクール」へみんなで行こう。

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