戻る<<

鈴木邦男の愛国問答:バックナンバーへ

鈴木邦男の愛国問答

091007up

自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

※アマゾンにリンクしてます。

第35回「五輪は、都市対抗スポーツの祭典へ」

 2016年五輪東京落選! でも、よかったじゃないか。おめでたいことだ、と僕は思いましたね。石原都知事もご苦労さんでした。有終の美は飾れなかったけど、投げ出さずに残りの1年半、頑張ってもらいたい。「東京落選なら責任をとる」って言ってたから、都知事を辞めるんじゃないかと囁かれてたが、「それはない」と明言した。「続投、都民への責務だ」と。それはそうだろう。ここで投げ出したら、「男・石原」の美学に反する。安倍、福田と同じになる。あんな不様なことは出来ない。そう思っているんだろう。

 東京オリンピックは一度やっている。あれで十分、恩恵を受けた。新幹線も、東名高速も、東京タワーも、それを目指して作られた。東京オリンピックで日本も急成長した。そのおかげで、今の日本もある。もういいだろう。その恩恵を他の国に「おすそ分け」したらいい。それに、アジアではこの前、北京でやったばかりじゃないか。
 オリンピックの五輪は五つの大陸をあらわしている。世界が一つになり、五つの大陸で、平和の祭典をやろうというのだ。だったら、順番にやったらいい。でも、ユーラシア大陸、北米大陸ばっかりだ。オーストラリア大陸でも一回やったか。アフリカ大陸なんて一度もやってない。今回、2016年五輪はブラジルのリオに決まった。南米大陸では初めてだ。おめでたい、いいことだ。それにしても、やっと南米だ。
 もう一度言う。日本は、もういい。もう一度やる必然性がない。もし、日本に決まっていても、2016年には石原さんは都知事ではない。でも、「これを招致したのは石原だ」と名を残したかったのか。新銀行東京、築地市場移転…とエラー続きの都政において、それらをチャラにする快挙だと思い、狙ったのだろう。栄光に包まれての引退を考えていたのだろう。ところが茨の引退を余儀なくされた。

 しかし、困るよな。ナショナリズムを持ち出されると、反対しづらい。「東京にオリンピックを!」と言われると、正面切って「反対」とは言えない。せっかく東京に招致しようと頑張ってるのに、その人々に申し訳ない。「反対」というと、日本に反対してるように思われる。「非国民!」「反日!」と罵倒されるんじゃないか、と脅える。僕も気が弱いから大声で「反対」とは言えなかった。
 それに、オリンピックだけじゃなく、スポーツ大会での「ナショナリズムの強要」。これも見苦しいと思うのだが、言えない。普段、国のことなんて考えてないタレントが動員されて、「頑張れ! ニッポン」を大声で叫ぶ。「ニッポン、チャチャチャ」などとやる。日本が攻めてる時は大声で応援し、日本が攻められると、相手国にブーイングだ。又、相手の失点には拍手する。いやな国民だ。ファインプレーならたとえ「敵」でも拍手してやれよ! 偏狭な国民だよ。こいつらは。

 7年前、ロシアのハバロフスクにサンボ(ロシアの格闘技)を習いに行った。1週間、泊まり込みで練習する。5回ほど行った。ロシアの選手とも仲よしになる。最終日、<日露戦>が行われた。勿論、ロシアの選手の方が圧倒的に強い。日本人は悲鳴に近い声で、日本人を応援している。僕だけがロシア人を応援して、皆から白い目で見られた。だって、そのロシア人は、僕の仲よしだし、僕に毎日、教えてくれた選手だったからだ。毎日、一緒に練習し、仲よくなったのに、<日露戦>の時だけ、なぜナショナリズムで敵対させられるのか。おかしいと思った。
 テレビのスポーツ中継が悪い。どんどんバラエティ化し、タレントを応援に出す。「日本人だから日本人を応援するのは当然」というムードを強要する。「愛国心」を押しつける。困ったことだ。どこを応援し、誰を応援しようと勝手じゃないか。

 選挙は、「出たい人より、出したい人を」だ。前にも書いたけど、これには賛成だ。オリンピックも、そうしたらいい。「やりたい都市より、やってほしい都市を」だ。北米、ヨーロッパは、もういいよ。やるんなら、北朝鮮、ミャンマー、イラン、イラク、アフガンの都市でやってほしい。不安定な国でこそやったらいい。それでこそ、平和の祭典になる。お金がないのなら、先進国で全部、負担したらいい。
 ピョンヤン五輪なんて夢があるじゃないか。日本が全部、金を出してもいい。金総書記のプライドを満足させ、それで世界中の人がピョンヤンに集まり、競技する。世界一のマスゲームがあるし、入場式は凄いものになる。北朝鮮の得意な競技を大量に採用し、金メダルも取らせてあげたらいい。北朝鮮もガラリと変わるよ。いつまでも経済制裁をしてるよりは、ずっといい。「北風と太陽」だよ。少なくとも、やってみる価値はある。
 北朝鮮はやらないだろう、と言う人もいる。いや、そんなことはない。ソウル五輪の時は、共同開催を主張したじゃないか。単独開催させてやれよ。そして費用は全て、日本が持てばいい。開会式には天皇陛下に行ってもらったらいい。世界平和を日々祈られてる天皇陛下だ。イデオロギーや、国の政体の違いなんか超えている。これは政治利用ではない。世界の平和のためだ。皇太子さまを五輪誘致に働いてもらおうと考えることが政治利用だ。

 オリンピックも、日本の国体のように、順番にやったらいいんだ。まだやってない県はどこかな、と探してやる。やってない県はクジびきで決めるのかもしれない。そうだ。オリンピックこそ、クジびきで決めたらいい。五大陸を順番にやり、その中で開催したい都市をクジ引きで決める。アミダでもいいな。「日本方式」のクジで決めるのだ。貧しい国、政情不安定な国、閉鎖的な国は優先的にやったらいい。平和の使節団が大挙して行くのだ。国も変わる。国民も変わる。スポーツの力を十分に利用したらいい。
 又、スポーツの闘いを通して、その国の意識や国民性も変えられると思う。戦争の悲惨さも虚しさも教えられる。どうしても戦争しかない、と思い詰めてる国には、「じゃ、格闘技で決めよう」と別な方法を提示できる。将来はきっと、そうなるだろう。国家を背負って選手が闘うなんて、本当はよくないことだけれど、まあ、戦争よりはいい。又、戦争のない社会を目指す<過程>としては、あってもいい。
 今、気が付いたが、オリンピックの開催は国ではなく、都市なんだ。だったら、本来は「都市対抗戦」なんだ。東京と大阪が戦う。福岡と北京が戦う。大きな大きな、都市対抗野球のようだし、国体のようでもある。世界の都市はいくつあるのか知らない。そこで一つ一つ、オリンピックをやってたら、東京に来るのはたぶん、1000年後だろう。もっと後か。その日を目指して、今から誘致をしてもいい。夢のある話じゃないか。
 都市対抗なんだから、下らないナショナリズムもなくなるだろう。「ガンバレ、ニッポン。チャチャチャ」なんていう下らない意識を超えられる。ダブルスだって変わるさ。福岡と北京が組んで、東京・ニューヨーク組で戦うとか。仙台・ピョンヤン組とワシントン・サイゴン組が戦うとか。いいじゃないか、アナーキーで。今まで国家単位で「チャチャチャ」と応援していた旧世代の人間は戸惑うだろうけど、いいんだよ。そんな人間は置き去りにして。国から都市へ。そして人間へ。それこそオリンピックの本来の姿だよ。

「平和の祭典」と謳われながらも、
政治やナショナリズムと無縁ではいられないオリンピック。
東京の「落選」、あなたはどう見ていましたか?
そして、「こうあってほしい」五輪の姿は?
ご意見、ご感想をお寄せください。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条