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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第24回「自衛隊の活用方法」

 「あのホテルを撃ってみたいですね。いい標的ですよ」と言う。自衛隊の幹部が言ったのだ。小高い山の上に、そのホテルだけが、すっくと建っている。自衛隊の演習場からは近い。訓練しながら、いつも気になるのだろう。あんないい標的はない。まるで「撃ってくれ」と言ってるようじゃないか。そう思うのだろう。

 自衛隊に体験入隊した。3度も。学生時代だから、40年以上前だ。「じゃ、楯の会か?」と思う人がいるだろうが、違う。三島由紀夫の「楯の会」よりも前に僕らは体験入隊した。右派学生に限らず、一般の大学サークルなども結構、体験入隊していた。サラリーマンも多かった。社員教育になると思ったのだ。ブームだった。金も安いし、肉体的訓練になる。それに、「お客様」だから訓練はそんなに厳しくはしない。大学生もサラリーマンも、「経費の安い合宿」気分で利用していた。
 自衛隊の方も、喜んで迎え入れていた。「平和憲法に合致した」自衛隊をPR出来るからだ。戦争をする為にあるのではない。あくまでも専守防衛だ。国民の為に存在するのだ。そう言っていた。災害があればすぐに駆けつける。援農もやったという。札幌の「雪まつり」は自衛隊の力が欠かせない。「平和部隊」だ。戦争する為ではない。「軍隊」でもない。必死になって、そうアピールしていたのだ。だから、体験入隊は誰でも行けた。
 自衛隊も矛盾に苦しんでいたと思う。「軍隊ではない。戦争はしない」と強調する一方、「国は守る」と言う。でも、そんな日がこないように祈っている。そして災害救助に汗を流す。でも、隊内では不満もあっただろう。「自衛隊は学生やサラリーマンの合宿所じゃない」「それほどまでして、卑屈にPRしなくてはならないのか」…と。だから、我々学生の指導に当たった教官も、ついポロリと「軍人」の本音を洩らしたのかもしれない。「あのホテルが気になる。撃ってみたい。一発で吹っ飛ばせるのに」と。

 自衛隊は、昔は無制限に体験入隊を受け入れてきた。ところが1970年以降、ピタリと門を閉ざした。三島事件があったからだ。「自衛隊が利用された」「三島に便宜を提供した」と批判されたからだ。被害者なのに加害者よばわりだ。三島のような高名な作家が体験入隊し、それを雑誌に書いてくれる。いいPRだ。三島は「自衛隊の広告塔」だと思っていた。だから、三島の言うことは何でも聞き、協力した。ところがあの事件だ。特に、「体験入隊」が問題にされた。他の大学・サラリーマンの体験入隊も批判された。だから、それ以来、やってない。いや例外的に少しはあるのかもしれないが、条件はやたらと厳しくなった。
 その自衛隊も今年で55年。前身の「警察予備隊」から数えたら59年だ。もう還暦だ。大きく変わった。軍隊ではないと強調してた時は、戦車といわず特車といっていた。それが今は、戦車に戻ったし、「軍隊でなぜ悪い」と居直っているようだ。イラクにだって「派兵」された。防衛庁はいち早く、防衛省になった。あとは自衛隊を正式に軍隊」と認めるだけだ。そんな状況だ。

 そんな状況のなか、4月23日、自民党衆議院議員・加藤紘一さんの出版記念会があった。06年8月の「放火事件」以来の知り合いだ。「反日的だ」と右翼に攻撃され、加藤さんの自宅が放火され全焼した。東京では、「焼討ち支援集会」が開かれた中、僕は加藤さんの地元の山形県鶴岡市に呼ばれ、討論会に参加した。「どんな理由があれ、放火は悪い」と言った。小学生でも分かる当然の理屈だ。それだけで、加藤さんは信用してくれた。「国士だ」と言われた。でも、国民のほとんどは、「放火は悪い」と思っている。当然のことを言っただけなのに、恥ずかしい。でも、右翼からは「焼討ちの義挙を否定するとは何事か!」「反日だ! 非国民だ!」と言われた。「国士」であり、同時に「非国民」だ。私も大変だ。
 でも国士というなら、加藤さんの方が国士だ。 なんせ、お父さんは石原莞爾とまたいとこだ。石原は満州事変、満州建国の立役者だ。右翼にとってはあこがれの存在だ。それに、加藤紘一の紘一は「八紘一宇」から付けられた。まさに右翼だ。国士だ。そのことを右翼は知らない。「八紘一宇」に放火しちゃいかんだろう。

 さて、その日、出版された加藤さんの本だ。『劇場政治の誤算』(角川oneテーマ21)だ。小泉流劇場政治を批判し、日本回復のビジョンを語る。特に第4章「景気対策と頼れる政府づくり」と、第5章「地域から経済をよみがえらせる」がよかった。景気回復の為に、いろんなプランを立てている。その中に、「自衛隊の活用」があった。なるほど、こんな手があったのかと思った。第一次産業を志す人たちを、自衛隊で訓練するのだ。加藤さんは言う。
 「私は農山漁村への若者就労支援訓練を自衛隊施設で行うということを考えています」

 <ただ、若者が農山漁村で就労する為に越えねばならない壁があるのも事実です。
 第一に、体力。そして規律正しい生活習慣。
 第二に、機械・工具等を扱う訓練。ユンボ、ブルドーザーはもちろんのこと、草刈り機や電動ノコギリの作業も危険を伴います。農協や工務店が作業を請け負う場合、作業員は資格取得が必要です。
 第三に、訓練期間中の費用。ある程度の技能が身につくまでの間の家賃、生活費の問題です>

 これらの困難をクリアーし、仕事のない若者を吸収するためにも、積極的に自衛隊を使うべきだと言う。
 <これらの壁を越えるため、私は自衛隊の教育訓練部隊を活用するべきだと考えているのです。自衛隊は、今までも毎年2万人の若者を鍛えあげてきました。企業から社員の訓練を受け入れてきた実績もあります。
 地方で農作業や公共事業に携わる人材を磨き上げる、絶好のトレーニング機関となるはずです>

 これはいい。他国から自国を守る「自衛」と共に、国民一人一人が、自分を守る「自衛」にもなる。失業からの「自衛」でもある。そういう、総合的な意味での「自衛隊」になる。この「トレーニング」ばかりが忙しくて、「軍隊」の機能を忘れるかもしれない。だが、それもいいではないか。いつの間にか、「昔の自衛隊」はなくなって、「9条」だけがピカピカと光り輝く、となるかもしれない。

国民が自分の身を守り、社会とつながるための技術を身につける場。
これこそ、本当の意味での「自衛隊」といえるかも!?
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