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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第20回「岬の思想」

 岬には「思想」がある。そして、「物語」がある。という持論を展開した。2月25日の夜、神田の居酒屋で、「憲法9条を考える」集まりの時だ。本当はそんな名前は無かったが、実質的にそんな話になったのだ。
 2007年の4月、ニューヨークで憲法9条をめぐるシンポジウムが行われ、僕も呼ばれた。憲法24条を書いたベアテさん、映画「日本国憲法」の監督ジャン・ユンカーマンさん。それに大学の先生たちで討論した。その歴史的9条シンポを主催した渡辺真也氏が2月に帰国したので会った。他にも、ニューヨークで活躍している美術家、美術商、大学院生も参加して、飲みながらの「9条シンポ」になった。
 大学院生が、「日本文学の研究をしています。滝沢馬琴が好きです」という。「鈴木さんも本の中で書いてましたよ」と渡辺氏。そうだっけ? 馬琴の『南総里見八犬伝』を取り上げて、<玉砕>について書いてた、と言う。あっ、『愛国の昭和』(講談社)か、と思い出した。
 そこで岬の話をしたんだ。『広辞苑』(岩波書店)によると、「みさき(岬・崎)」の「み」は接頭語だという。「海または湖に突き出した陸地のはし」と出ている。
 千葉に犬吠岬がある。「千葉県東端、銚子半島先端の岬。太平洋に突出し、先端に灯台がある」と『広辞苑』には出ている。では、これからは『広辞苑』には出ていない話だ。いったい、犬が吠えたというが、どこの犬だろう。何のために吠えたんだろう。「さあ、その辺の野良犬じゃないの?」と参加者は言う。「憲法9条を世界に!」と9条犬が吠えたんじゃないの?と言う人も。でも、これはもっと昔の話だ。実は、馬琴の『南総里見八犬伝』に出てくる八房という犬だ。「敵の大将を殺した者には姫をやる」という殿様の言葉に答えて、見事、敵の大将を噛み殺した犬だ。「犬じゃなー」と躊躇する殿様。でも犬は姫を拉致して山に逃げ込む。「不届きな犬め」と家来が追いかけ犬を射殺する。弾は姫をも貫く。その時、八つの玉が空高く飛び散り、それが八犬士になる。というお話だ。この犬が、姫と幸せに暮らしていた時、海に出ては故郷の館山をしのび、ワンワンと遠吠えしたという。そこからこの名が出来た。『八犬伝』には出てないが、図書館で調べたのだ。

 青森には竜飛岬がある。「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと。見知らぬ人が指をさす」と歌われた岬だ。あっ、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」ですね、と渡辺氏。そうです。見知らぬ人が指をさし、そこから会話が始まり、そして二人は深い仲になるんです。蘊蓄はナンパの道具です。では、青森には昔、竜が飛んでいたのでこの名前が付いたのかな、と思ったら違う。これも図書館で、百科事典や地名辞典、伝承辞典などを調べて分かった。青森の北の岬はもの凄く風が強い。半端じゃない。この風は竜をも吹き飛ばす。そういう意味でつけられた。だから、吹き飛ばされてしまって竜はもういない。勿体ないことをした。吹き飛ばされる前に捕獲して、我々に見せてほしかった。
 では第3問、四国の足摺岬です。「あしずりみさき」と読む。高知県の南西端にある。僕も昔、行った。疲れて足をひきずった。そこから足摺岬という名前になった、のではない。僕じゃダメだ。弘法大師さまだ。四国中をまわり、病人を治してやったり、井戸を掘ってやったりした。偉いお坊さんだ。そんな偉い人でも、高知の岬はつらい。疲れた。えらいなーと思って、足をひきずった。それで「足摺岬」という名前がつけられた。
 以上、全て、本当の話だ 。図書館で一週間も通って調べた成果だ。これで、一冊ずつ本が書けるな。『なぜ足摺岬は足摺なのか?』『竜飛岬の竜はどこへ行ったのか?』…とか。

 他にも岬や崎には皆、思想がある。物語がある。調べてみたらいいだろう。では何故、岬にはそれだけ深い思想や物語があるのか。それは、岬は「目印」であり「希望」だったからだ。戦争ばかりの世界の中にあって、非戦の灯台をともした憲法9条のようなものかもしれない。
 昔々、船は、遠く陸地を見ながら航行した。旅人を乗せる船、荷を運ぶ船は、港から港に行った。はるかに陸地を見ながら、今、自分は北上してるとか、南下してるとかを確認した。でも不安だ。毎日、同じ海、同じ陸影だ。そんな時に岬が現れる。あっ、ここは足摺岬だ、犬吠岬だと分かる。航行が間違いなかった、と分かる。ホッとする。荒野で神に会った気分だった。夜は灯台の灯もつく。
 だから、岬は宗教的存在だったし、自己確認の手段だった。もしかしたら道を外れたのではないか。とんでもない方向に行ってるのではないか。荒海の中で、ポツンと孤立し、不安になる。絶望感にうちひしがれている時、<岬>を見つけた時の喜びはどれほどのものだったのか。想像して余りある。

 アメリカはオバマを選択した。暗い、底冷えのする不況の荒海の中で、アメリカ国民はオバマに岬を見、灯台を見ようとしている。夢見るパワーは素晴らしいと思う。イラクからも撤退する。過ちの一つ一つが修正されるだろう。そう願いたい。
 しかし、日本はどうだ。地理上は、こんなに岬が多いのに、こんなに灯台が多いのに、人々の心は暗い。
 アメリカの圧力の下、日本は1950年に警察予備隊をつくった。1952年には、それが保安隊になり、1954年には自衛隊になった。そして今に至っている。これも、アメリカの過ちだ。日本の過ちだ。だから、正したらいい。
 2年後、自衛隊を保安隊に戻す。その2年後、警察予備隊に戻す。警察の予備だ。なんなら、はっきり、警察だけにしたらいい。そうしたら、「軍隊」(らしきもの)は消滅した。「軍隊を出してくれ」とアメリカから言われても、「軍隊はありません、自衛隊もありません」と断れる。警察だから徴兵もない。警察だから核を持つこともない。そして日本と日本人を守る。これで十分ではないか。
 そして9条は世界の<岬>になる。世界の<灯台>になる。悔しかったら他の国も真似してみろ! と叫べばいい。犬吠岬から叫べばいい。憲法だって(不満はあるが)、アメリカが出来なかった理想を日本で実現したのだ。たとえ改正するにしろ、基本的な理想や夢は捨てることはない。理想主義者のオバマだ。日本にならって、9条を取り入れるかもしれない。

9条は世界の「岬」で「灯台」。
なんだかワクワクしてくる言葉です。
皆さんがご存じのあの岬やこの岬にも、
実は知られざる「物語」があるのかも?

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