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鈴木邦男の愛国問答:バックナンバーへ

鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第12回「早大で講演をしたが・・・」

 なんだ。出来たじゃないか。又も、「阻止」されるんじゃないかと心配したが、無事に出来た。早稲田大学で講演できた。いや、この日は討論会だったが、ともかく大学に入れたし、喋れた。

 「それがどうした」と思われるかもしれないが、「鈴木史」の中では画期的な事だ。〈革命〉だ。だって、今までいろんなサークルが僕の講演会をやろうとして革マル派に潰された。革マル派というのは新左翼党派の大手で、文学部をはじめいくつかの自治会を握っている。早稲田祭も、新聞会も握っている。いや、かつてはそうだった。絶大な権力を持っていた。

 「鈴木の講演会をやりたい」と言うと、革マル派が大挙して押しかけて脅した。「反動右翼を早大に呼ぶなんて許せない。呼んだら殺すぞ!」と脅した。「お前らが大学に来れないようにしてやる!」とも言った。本当の話だ。それも、通学路で待ち伏せる。アパートに押しかける。脅される方は大変だ。青くなり震え上がって中止した。

 僕もいろんな提案をした。「僕の講演会じゃなく、僕と革マル派の公開討論会にしよう。こっちが一人で向こうが5人でもいい」と。でも、「右翼反動と同席できるか!」「右翼は人殺しだ。権力の犬だ。そんな奴らを学内に入れるとは何事か!」と革マル派は言う。
「じゃ、そのことを学生の前で証明してみせたらいいだろう。僕は一人で行く。向こうは全国動員し、何万人でも集めたらいい。頭のいい人たちだから僕なんか簡単に論破されるだろう。その結果を新聞や立て看板に書いたらいい。“右翼反動を論破した”」と。

 そう言ってもダメだった。僕と革マル派とのチャンネルはない。間に立ったサークルの人間がこわごわ、革マルにお伺いを立てるのだが、全く拒否された。何度も何度も聞いたが、そのたびに力で潰された。評論家の呉智英さんと僕の討論会も潰され、「呉智英講演会」になった。

 この時は呉さんも激怒していた。「鈴木より俺の方が過激だ。俺は封建主義者だし差別主義者だ。それなのに何故、俺を潰さないのか!」と。革マル派にしたら、封建主義者も〈思想〉としては認めるのだろう。しかし、右翼は〈思想〉ではない。権力の犬であり、反動だ。天皇のために人殺しをする奴らだ。こんな暴力団を学内に入れてはならない。学生の目に触れさせてはならない。

 そんな気持ちなのだ。右翼という「黴菌」を学内に入れ、学生に感染させてはならない。そういう「優しい思いやり」だ。「綺麗好き」なんだ。学内を清潔に、綺麗にしておきたいと思う。それも「愛校心」だ。大学には「学問の自由・独立」がある。それに早稲田は、「在野精神」だ。政府や権力には徹底して闘う。「権力の犬」や「反動」「テロリスト」は、徹底的に排除する。美しい「愛校心」だ。「愛校者」たちだ。

 それら左翼的「愛校心」が集まって、「愛国心」になるのだろう。いや、「愛国心」なんか否定してるから、国からポンと飛出して、世界との連帯だ。インターナショナルだ。フランスやアメリカの学生叛乱・・・。そうした人々に連帯するのだ。インターナショナル(国際的な愛)であり、「地球愛」なのだろう。早稲田大学では反動・黴菌を駆逐して、その清潔を求める「愛校心」は、国家を超えて、より高度の、より清潔な「愛球心」へと昇華する。歴史的な闘いだ。歴史の必然だ。

 ところが、今、「愛校者」たちが突然いなくなった。いや、いるのだろうが、極端に少なくなり、学内にひっそりと隠れ住んでいる。時代が変わったんだ。僕のような「反動」「黴菌」が堂々と学内に入り、喋っている。嬉しいはずだ。しかし何故か悲しい。淋しい。

 「おーい、どうした革マル派よ。鈴木を阻止してみろよ!粉砕してみろよ!」と心の中で叫んだ。
 昔、僕の講演会を強行していたら、学内には巨大な立て看板が林立し、「権力の犬、鈴木の講演会を断固、阻止せよ!」「右翼のクーデターを煽る、天皇のテロリスト=鈴木の講演を許すな!」「人民の敵・鈴木を葬れ!」・・・と書き立ててくれただろう。何千、何万という学生がスクラムを組み、「帰れ!」「帰れ!」と叫んでくれただろう。想像しただけで興奮する。ワクワクする。そんな「栄光の一瞬」を味わってみたかった。残念だ。

早稲田大学の討論会は、10月26日(日)に行なわれた。12時から2時まで。7号館(商学部)の二階の教室だ。「いま憲法を考える」というテーマで、正清太一さんと討論した。刺激的なテーマだし、かなり激論になった。でも革マル派は、いない。他の左翼もいない。「許せん!」と言って、徒党を組んで殴り込みをかける学生もいない。終わって学内を歩いても、襲われない。論争を吹っかける者もいない。母校のはずなのに、ここでは僕は異邦人だ。生きている実感が湧かない。

 この4日後、新宿のロフトプラスワンで、映画監督の渡辺文樹氏と対決した。今、最も注目を集めている監督だ。『天皇伝説』という衝撃的な映画を作り、大騒ぎになっている。「不敬だ!許せん!」と右翼が押しかけ、どこも上映中止だ。まるで、あの映画『靖国』の再現だ。

 やっと横浜で上映できたので見に行った。見なければ、討論も対決も出来ない。ところが右翼に取り囲まれ糾弾された。「こんな不敬な映画を見るとは許せん!」と。そして、ロフトでも右翼の人たちに糾弾された。渡辺監督よりも僕の方が集中砲火を浴びた。でも血が騒いだ。燃えた。「生きている」と思った。
 40年前、早稲田では毎日、全共闘と論争し、殴り合いをしていた。革マル派とも連日、やり合った。こっちは圧倒的に少数派だから、いつもやられていた。「殺されるかもしれない」とも思った。でも、その極限状況の中で、逆に、「あっ、俺は生きているんだ」と実感した。生きている意味を理解し、感激した。生命が燃焼していた。生き甲斐を感じた。あの頃に戻りたい。「闘いの日々」に戻りたい。あの頃の昂揚感に比べたら、ロフトの騒ぎなんて、とてもとても・・・と思った。「この位じゃ満足できないよ」と、危険大好きの(もう一人の)「鈴木君」は、呟いていましたっけ。

40年の時を経て、社会も、鈴木さんの母校も様変わり。
それは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。
ともあれ、鈴木さんを論破してみたい!という勇者(?)は、
名乗りを上げてみては?

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