戻る<<

鈴木邦男の愛国問答:バックナンバーへ

鈴木邦男の愛国問答

081029up

自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

※アマゾンにリンクしてます。

第11回「誠実と誠意」

 「鈴木さんは誠実だが、誠意がない」と言われた。20年ほど前に阿部勉氏に言われた。それから、ずっと気になっていた。
 皆も覚えがあるだろう。友人の何気ない一言が、ずっと気にかかり、頭の中に残っている。多分、言った本人すらも覚えてないだろう。でも、言われた方は覚えている。
 「えっ、どういうこと?」と、その場で聞けばよかった。でも、阿部氏はもう亡くなってしまったから、聞けない。阿部氏は、三島由紀夫が作った「楯の会」の一期生だった。いい男だったし、勉強家だ。学生時代から、文章は歴史的仮名遣い(旧仮名)で書いていた。原文で吉田松陰を読み、学生に教えていた。自分も学生なのに、学生を集めて、下宿で講義していた。習字の腕もプロ級で、日曜日には着物を着て、習字を教えていた。近所の子供たちや、スナックのおネエちゃん達が習いにきていた。
 秋田県の角舘出身で、子供の頃から神童と言われてたそうだ。早稲田で知り合った。僕の4才ほど下だ。三島由紀夫の信頼も厚かった。三島は時間に厳しい人で、学生と待ち合わせをする時でも必ず10分前には行く。長年、仕事を一緒にやった人でも「時間に遅れた」という理由だけで絶縁した人もいた。
 阿部氏は才能はあるが、時間には無頓着な人だ。「楯の会」の例会にも、よく遅れてゆく。他の会員なら怒鳴られ、即、除名だ。「でも、阿部ちゃんじゃ仕方ないよな」と三島も苦笑していた。三島に可愛がられ、信頼されていた。
 阿部氏はよく、ズバリと本質を衝く発言をする。三島にも面と向かって直言していた。こんな会員は他にはいない。仲間に対してもズバズバ言うので、時々諍いもあった。しかし、歴史的、思想的な深い学問に根差した言葉なので、誰も反論できない。その一つ一つが箴言になっている。アフォリズム(警句)になっている。いつか「阿部勉名言集」でもまとめてみたいと思っている。文章もうまい。立派な、味のある文章を書いていた。生きていたら、太宰治や坂口安吾のような作家になっていた、と思う。

 「鈴木さんは思ってることを即言葉に出来ない。口下手だ。東北人の宿命だ」とも言われた。何いってんだよ、自分だって東北人のくせに、と思った。「口が不自由だから、鈴木さんはすぐ手が出る」とも言う。学生時代、左翼学生と論争すると論破されて、すぐ殴りかかったという。「そんなことはないだろう。キチンと言論で闘っていたはずだ」と思うが、「いや、ただの暴力学生でした」と断言する。
 ここで、最初の言葉に戻る。「誠実だが、誠意がない」と言われたことだ。誠実と誠意は同じじゃないか。格好つけた言い方をしやがって、と思っていた。ところが、ずっと気になっていた。20年間考えて、これは、いわば途中の「結論」だ。
 誠実も誠意も「まじめ」ということだ。ただ、誠実は、まじめであり、真心のある状態だ。多分、東北人は皆、誠実なんだろう。つまり、人間性がまじめなんだ。だから、東北人に悪い人はいない。
 誠意となると、<意>だ。言葉に表し、体で表現しなくてはならない。シャイで、口下手だから、うまく言葉で表現できない。そういうことかもしれない。
 「愛」について言うならば、心の中で思っているのが誠実だ。告白し、プレゼントを贈るのが誠意だ。
 「愛国心についても言えるんだよ」と、その時、阿部氏の言葉が聞こえた。天から聞こえた。「自分は愛国者だと心の中に秘めて、他に公言しないのが誠実。他人に公言するのが誠意だ」。
 「だったら誠意なんかなくっていいだろう。誠実ならそれだけでいいじゃないか」と僕は反論した。
 「そういうふうに短絡して物を考えるのが鈴木さんの悪い癖なんですよ」と阿部氏は言う。「鈴木さんだけじゃないな。右翼全般の悪弊ですね」と言う。「誠実ということにとどまり、居直るからダメなんです。誠実は、キチンと言葉にして他人に伝えなくてはダメです。誠意にしなければなりません」。
 エッ、そうなの。
 「元々東北人は詩人です。関西人は評論家です。韻文と散文の違いです。これでは勝負になりません」
 じゃ、東北人は詩を作って対抗すればいいんだな。石川啄木、宮沢賢治、寺山修司のように。
 「東北人は詩人だ、というのは潜在的にそうだというだけで、実際に詩人になれるのは0.1%もおりません。大体は、口下手で、イライラして、鈴木さんのようにすぐ殴りかかるのです」
 ひどい事をいうな。じゃ、右翼も東北人か。「言葉で自らの思いを巧く表現できないという点では同じです。だから、<言葉>を持たなくてはなりません。天皇を尊崇している、日本を愛してる、という誠だけではダメです。それを表現する言葉を持ち、表現する場を作ることです」。
 うーん、そうなのか。誠実なだけではダメなんだ。反省した。
 「誠実という点で居直ると、自分の事は棚に上げて、他人への攻撃になりやすいのです。俺はこんなに誠実に国を愛して運動してるのに、なぜ他の人達は分かってくれないのだ…と焦燥感にかられるんです。暴力に訴えてでも…と思うのです」
 なるほど、そんな深い意味があったのか。そうか。「朝まで生テレビ」に初めて出たのが19年前だ。それ以来、「言論の場」で闘うことを主にやってきた。武闘路線は捨てた。誠実だけでなく誠意の路線に進んだ。そのスタートになったのは、期せずして、阿部氏から「誠実だが誠意がない」と言われた時期と重なる。意味は、はっきりとは分からなくても、その方向に進んでいたのだ。東北人同士の同郷意識、直感で理解したのかもしれない。

 10月25日(土)、26日(日)と、秋田県の湯沢に行ってきた。湯沢中学校の同窓会があったのだ。51年ぶりだ。懐かしい。結構、顔も分かる。皆、誠実な人ばかりだ。真面目な人ばかりだ。愛国心なんて口に出しては言わないが、郷土を愛し、他人に迷惑をかけずに生きている。平和的に生きている。430人の同窓生のうち、誰一人として警察に捕まった人はいない(あ、一人だけいたか。申し訳ない)。それに皆、優しい。「いづまでも東京で危ねえごどやってねーで、湯沢に帰ってこい!」「嫁っこ、世話すっから、帰ってきたらいいんでねえが」…と、キチンと言葉や態度に出して、慰めてくれる。励ましてくれる。誠実であり、誠意のある人達である。

「誠実という点で居直ると、

自分のことは棚に上げて、他人への攻撃になりやすい」。
自分自身も含めて、肝に銘じておきたい言葉かも。
ご意見・ご感想をお寄せください。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条