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まつざき・きくや 戯作者 1953年、大分県別府市生まれ。劇団民芸の演出家を経て、88年、社会風刺コントグループ「ザ・ニュースペーパー」に参加。99年独立。現在、風刺コントの台本を書きつつ政治風刺ライブを展開中。TBSラジオ荒川強啓デイキャッチ・毎週月曜日の名物コーナー「あの人の独り言」で、権力者になりすます爆笑一人芝居を生放送中。『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでコラムを執筆。著書に『一瞬の沈黙』『巷は勘違いに満ちている』『男が捨てられた夜』(いずれも三五館)、『コメディアン』(実業之日本社)、『松崎菊也のひとり天誅!』(毎日新聞社)など。
国民投票法が成立したことを受けて、衆議院の憲法調査特別委員会中山太郎委員長が近隣諸国の大使に、この法律の内容を説明して歩いた。こういうニュースでいつも思うこと。「説明して歩いた」ということは伝えるが、何と説明したのか、具体的な中身について伝わって来ない。国民の代議員が、新しく作った法律を各国大使に説明するというのに、何と説明したかを新聞もテレビも伝えない。メディアは報道を放棄したとわたくしは思っている。
「憲法を変えるための国民投票をね、整備したんだよ。ふっふっふ、憲法をわが国独自のものに変えるんだよ。な~に心配するこたぁねえ。ちょいと自衛隊員の存在を肯定してやるぐれえのことで。あんたらを殺しに行ったりはしねえからよ」
てなことを言ったのか、言わなかったのか。なぜその中身を取材しない? バカめ。
さて、漏れ伝わることもない大使との会談について、中山は「よくご理解をいただいた」とご満悦。なぜ近隣諸国の大使に法律の成立を説明しに行ったか? 中山の言ったことは、次の3つのうちどれ? 例によって正解は1つだけ。
正解は3番(産経新聞16日)。
中山太郎はガチガチの改憲ジイサンである。敗戦後に占領国によって作られた憲法を己が手で作り変えるのが生涯の大目標なのだ。国民投票法が成立したことで改憲へ向けての地固めができたと、有頂天になっている。その高揚した気分がほとばしったのだろう。「新憲法草案は広く国民の論議を募りたい。いろんな草案が出るのはいいことだ。国民から公募してもいい」とまで言った。憲法は国会議員が主導して作るものではない。国民側が国会議員に命じる最高法規である。クイズの懸賞じゃあるまいし、なにを舞い上がっているのか。いずれにせよ、先に自民党が出した草案に対しても、中山は柔軟に変えようという姿勢だけは保っている。虚仮の一念で聞く耳を持たない森嘉朗よりは国民の声を聞こうという腹と見た。
その当人が、近隣諸国へ説明したわけが「大東亜戦争で被害を与えたから誤解のないように」である。大東亜戦争と何の躊躇もなく堂々と発言する国会議員が改憲を仕切る。言うまでもないが大東亜戦争とは「帝国日本を中心として大東亜共栄圏を作るための聖戦」のことだった。戦争肯定の証拠を見たり!
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