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伊藤真「2009年はどんな世界になるのか? どんな 世界を望むのか?」

いとう・まこと 1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら。



2009年に必ず行なわれるのが、総選挙と裁判員制度です。
私たちひとり一人が、「憲法」と向き合う年ではないでしょうか? 
立憲民主主義の国であるということを、改めて認識し、実践していきましょう。
塾長こと伊藤真さんからのメッセージです。

物わかりのいい市民ではなく、ものを言う市民になろう

 2009年.日本では、9条、貧困・格差の問題がより深刻化するのみならず、裁判員制度も始まります。また総選挙がありますから、政権交代、政界再編の可能性もあり激動の年となるでしょう。こうした諸問題に主体性を持った市民として向き合っていくためには、私たちひとり一人が、ますます「憲法の力」を身につけなければならない年になるでしょう。その際、私たちはものわかりのいい市民になってはなりません。今まで以上に口うるさい市民にならなければいけないと考えています。
 世界に目を転じると、リーマンショック、オバマ政権誕生と相変わらずアメリカ発の話題が目に付きます。これまで何度も戦争特需で不況を乗り切ってきた人類は、今回も同じ道を歩むのでしょうか。そこでも、いくら金儲けにつながっても「それは違う」と言い続けることが大切だと考えています。今まで以上に世界中の市民が口うるさく異論を唱え続ける世界を私は望んでいます。

9条を持つ日本にふさわしい国際貢献は何か? を考える年

 さて、少し各論を検討してみます。
 日本の国際貢献の場はアフガニスタンに移ります。アメリカの自衛権の行使としての戦争に給油という形で参加すること自体が憲法違反ですが、テロ対策の名目でさらに深みにはまっていくことがあってはなりません。

 9条を持つ日本に相応しい国際貢献は何かを本気で議論する必要がより高まる年となります。自衛隊派兵恒久法の議論も進むかもしれません。民間人を武力で制圧したり、多国籍軍を警備することをも自衛隊に認める自民党案の名称は「国際平和協力法案」です。憲法に違反する自衛隊の海外派兵を自由化する法案の名称が、「国際平和協力法案」なのです。
 インド洋での多国籍軍への給油法も、国際平和協力の美名の下に正当化されています。あらゆる戦争は、自衛のため、正義のため、国際平和のためと正当化されてきた事実を忘れてはなりません。
 イラクで航空自衛隊が多国籍軍の兵士を運び、自ら武力行使の一翼を担っていた事実を政府は国民に知らせませんでした。インド洋での多国籍軍への給油についても事実を隠します。戦争の際には常に国民は事実を知らされず、知らないうちに戦争に加担させられています。

 私たちは、政府の発表を黙って信じてしまうような物わかりのよい、お人好しの国民になってはなりません。
 国際貢献、平和協力といった言葉を真に受けて、騙されてしまうことがないように、私たちひとり一人が事実を見極める眼と判断力を身につけなければなりません。
 また、米軍基地のある地域では、これまで以上に米軍再編への協力を求められるでしょう。ここでも米軍にとって物わかりのいい市民になってはいけません。抗議し、主張し、抗う姿勢を示すことがとても重要です。

今ある貧困、格差問題は政治の結果。選挙でそれを変えさせよう

 総選挙があります。きっと選挙でも政党は美辞麗句を並べてくるでしょう。特定の政治グループが50年以上も政権を担当している国はまともな立憲民主主義国家とはいえません。政官財の癒着と利権にまみれた政治は国民の力で止めさせることができるはずです。  憲法に基づいて政治をするまともな政治家を私たちがしっかりと選ぶのです。立憲主義がこれまでになく重要な意味を持つ年になると考えます。

 主権者である国民は、選挙の際に自らの意思をしっかりと表明することができますし、しなければなりません。同時に一人の人間として、理不尽に対しては人権を主張することができます。国家に人権を保障するように要求することができます。

 この国で起こっているさまざまな問題を作り上げた政治グループが恥ずかしげもなく、国民の負担を口にする。国民に説教しようとさえすることがあります。貧困、格差も自己責任という都合のよい言葉を使って、弱者自らが悪かったと思うようにしむけてきます。

 私たちはものわかりのいい国民になってはいけません。現在の貧困、格差は政治の無策によって作り出されたものです。政治の結果なのですから、私たちがものを言って、人権を主張してこれを変えさせることはできるはずです。

 人権は、人として正しいと自分が信じることを堂々と主張するときに初めて力を持ちます。

 こういうときのためにこそ、憲法は生存権や労働者の権利を一人ひとりに人権として保障しました。私たちが堂々と主張しなければ人権も絵に描いた餅です。人間が作った貧困や格差なのですから、人間の力で解決できるはずです。
 たとえ当事者でなかったとしても、自分には関係ないと思うのでなく、いずれ自分に跳ね返ってくる問題なんだとしっかりと想像力を働かせていくことが必要となります。人ごとではないと感じる感性、共感力がこれまで以上に必要な年となるでしょう。

裁判員制度では、司法権を監視する
「うっとうしいような」裁判員になろう

 裁判員制度が始まります。「何の準備も要りません。負担にはなりませんから、安心して参加してください。」裁判所や検察庁は、芸能人を使ったり、キャラクターグッズや着ぐるみを利用して明るく楽しい裁判員制度をさかんに演出しています。しかし、こうした権力による広報宣伝を真に受けてはいけません。

 刑事裁判が明るく楽しいわけがないじゃないですか。常識で考えればわかることです。 被告人の人権、ときには生死がかかっている場に参加することになります。しかも被告人も国民も強制されてです。

 ただ参加するだけでいい、というような言葉に惑わされてはなりません。しっかりとした自覚をもって参加しなければ、権力にいいように利用されるだけで終わってしまいます。これまでは職業裁判官の書いた判決を自由に批判できました。これからは、「国民が参加して下した判断ですから」と言われてしまうと批判しづらくなるかもしれません。

 つまり、司法権という国家権力を正当化するために国民が利用されることになってしまったのでは、なんの意味もないということです。

 司法権という権力を監視し、市民感覚で納得できない部分は納得できないと堂々とものをいう。職業裁判官にとって口うるさい、うっとうしいような裁判員でなければ意味がないのです。物わかりがいい市民を演じてはなりません。

どんな社会、
日本にするのかを決める力=憲法の力を私たちは持っている

 最後に。
 あらゆる場面で、今まで以上にものいう市民になりましょう。口うるさく異論を唱えることこそが、憲法価値を実現していくうえで重要なのです。そのことをしっかり自覚して市民として行動する年にしたいと思います。
 2009年はどんな社会になるのか、どんな日本になるのかと受け身で構えるのではなく、どんな日本にしたいのかを自ら考え、それに従って主体的に行動する市民でありたい思います。私たちは、どんな社会そして日本にするのかを決める力、すなわち憲法の力を持っているのですから。


「憲法の力」を使って「権力を監視」する「もの言う市民」の出番が多くなりそうです。
しかしそれだけに、ひとり一人のしっかりとした自覚も必要です。
「ひどい世の中になってしまった」とあきらめてしまうのではなく、私たちがこの社会をつくり、
この日本を変えることもできるのだということを、改めて肝に銘じておくべきでしょう。

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