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2012-01-18up

2012年憲法どうなる?どうする?「第1回井口秀作(憲法学者)」
「大連立的な動きがあれば、正式な憲法改正原案が国会提出される可能性が出てくるかもしれません」

井口秀作(いぐち しゅうさく) 1964年生まれ。一橋大学大学院博士課程満期退学。現在、大東文化大学大学院法務研究科教授。専攻は憲法学。フランスの国民投票制度を研究。著書に『いまなぜ憲法改正国民投票法なのか』(蒼天社出版)など。主な論文として、「国民投票法案」に浮上した新たな問題点『世界』/「国民投票法案」の批判的検討『法律時報』/憲法改正国民投票法案をめぐって『法学セミナー』など。

平和国家としての国是でもあった武器輸出三原則が、国民的議論どころか国会での議論もないまま、昨年末に緩和されました。憲法審査会も動き出していますが、どのような議論がされているのかあまり聞こえてきません。国民やメディアが震災や原発問題に関心が集中している間に、国のあり方そのものに関わる重要問題が、なし崩し的に変わろうとしているのではないか、という危機感があります。このコーナーは、憲法改正や安全保障に関する5つの質問について、様々な分野の専門家にお聞きしていきます。シリーズでお送りします。

Q1

2011年10月21日に衆参憲法審査会が始動しました。なぜこのタイミングで始動したのでしょうか? また審査会ではどのようなことが話し合われていくのでしょうか?

Answer

今回の始動は、今年4月に発表される自民党憲法草案への政治的譲歩。しかし大連立的な動きがあれば、審査会で改憲に関する具体的な議論がなされ、正式な憲法改正原案が国会提出される可能性が出てくるかもしれません。

 この始動は、多分に政治的な動きによるものだと私は考えています。(審査会の設置を定めた)憲法改正の手続き法である国民投票法は、2007年5月に公布され2010年5月に施行されましたが、国民の広い支持があってどうしてもこの時点でつくらなくてはいけないという法律ではもともとなかった。だからこそ、審査会がこれだけ放りっぱなしにされていたわけです。それがこの会期末に、しかも他に重要課題が山積みの状況でわざわざ始動されたというのは、民主党政権の自民党に対する「妥協」のポーズだと思います。

 つまり、自民党は2012年4月に新憲法草案を発表すると言っています。審査会始動は、そのための土俵づくりだったということ。民主党政権が今、いろんな面で弱ってきていて、どこかで自民党と政治的な妥協をしなきゃいけない。それでこのタイミングで土俵に乗らざるを得なくなった、「妥協してますよ」とアピールするために、「審査会」という舞台装置がどうしても必要だったということではないでしょうか。

 実際年末に開かれた審査会で何が話し合われていたかというと、衆参いずれも、中山太郎さんなど国民投票法の制定にかかわった人たちを呼んで、いわば「昔話」を聞くというだけの内容で、改憲案についてなどの具体的な議論はまったくありませんでした。一方で、具体的な議論は、一院制議連や96条改正議連など、審査会の外側の議連のほうで進められているのです。

 この自民党の新憲法草案というのは、2005年にも自民党が作成した草案の「バージョン2」みたいなもの。当時の安倍政権がせめてあと2期続いていれば、その最後のほうで、自民党と民主党の共同作業で憲法改正原案が華々しく国会に提出され、今ごろはもう国民投票が終わっている、というシミュレーションだったのではないでしょうか。実際には安倍内閣の支持率が低下して政権が弱体化し、自民党と民主党の対立が際立ったことで、審査会も動かなくなって、そのままになったわけですが…。それを今、再スタートさせようとしているのだと思います。おそらくはその後、民主党も「憲法提言」みたいなものを再び出して、それらに基づいて審査会で議論がなされ、最終的には審査会案が改憲原案になるのではないでしょうか。

 ただ、2005年と決定的に違うのは、今はすでに国民投票法がありますから、投票権者の年齢の問題(20歳から18歳に引き下げる)などいくつか課題はあるけれど、動かそうと思えば動かせる体制がある。実際に審査会で憲法改正原案をまとめそれを国会に提出することも可能なわけです。改正案は国会に一度提出されれば、自動的に廃案になることはありません。

 次の総選挙で民主党が負け、自民党が公明党と手を結んで衆参両院で過半数を取るというようなことになれば、それが審査会での論議をある程度進めることになる可能性は高いと思います。

Q2

2011年6月に「憲法96条改正を目指す議員連盟」が立ち上がり、現在与野党200名以上の議員が名前を連ねています。96条を改正するべきというのは、憲法改正を行いやすくする一番の方法だと考えられます。しかしその議論はこれまであまりされてこなかったように思いますが、どのように考えればいいのでしょうか?

Answer

簡単には改正できない「硬性憲法」である日本国憲法が、軟性憲法になってしまう。それは憲法の安定性という観点から見て、妥当だとはいえないと私は考えています。

 改憲論においては、96条を改正すべきだという動き自体は、かなり昔からありました。しかし、それは3分の2条項の変更ではなく、国民投票なしで改正できるようにすべきだというものが大半だったのです。1950年代後半から60年代にかけての改憲論がそうだったし、1990年以降も、例えば読売新聞が1994年に出した改憲試案は「議員の3分の2以上の賛成があれば国民投票はなしでいい」というものだった。それが2005年ごろから、国民投票を義務的なものにして、3分の2条項を過半数にすべきだ、という方向へと変化していくのです。

 この変化は、小選挙区制の導入と関係していると思います。それによって、衆参両院の双方で3分の2の賛成をうることがかえって難しくなったからです。

 小選挙区制の導入には、社会党などの護憲勢力を排除して改憲派が両院の3分の2を占められるようにするという目的が当然あったと思います。そして、それはたしかに実現したのですが、小選挙区制によって自民・民主の二大政党制が成立すると、今度は別の意味で自民・民主の二大政党が手を組むことが難しくなってしまった。つまり、二大政党制では互いに対立軸をはっきりさせないといけないから、自民と民主の改憲派が手を組むということが、非常に難しくなってしまったんですね。それで、まずはそこのハードルを下げなきゃいけないということになったんだと思います。

 過半数の議員の賛成で改憲発議ができることになれば、一党でもしやすくなります。今は衆参のねじれがずっと続いているけど、ある選挙でほんの一瞬でもねじれが解消されるタイミングがあれば、そこでぱっと発議してしまえばいい。議連への参加議員が増えているのはわかりますよね。また、国民の側も、9条改憲などと違って何が問題なのかわかりにくいだけに、実際に国民投票が行われたら、「別にいいんじゃない?」となって通ってしまう可能性も十分あります。

 ただ、考えておかなくてはならないのは、仮にそうなれば、憲法の規範としてのレベルはかなり相対化されたものになってしまうということです。

 つまり、今話題になっている原発国民投票のような、諮問型の国民投票をやるとします。そのためには投票法をつくる必要がありますが、これは法律ですから、衆参両院で2分の1以上の賛成があれば国会を通過して、投票を実施できる。一方で、憲法改正の発議をするにも両院の2分の1以上の議員の賛成でいいとなれば、憲法改正のための国民投票と、法律を制定しての諮問型国民投票とが、ほとんど違いがないということになってしまいます。そうすると、例えば諮問型の原発国民投票をやるのではなくて、「原発は廃棄する」と憲法に書き込むための国民投票をやればいい、何でも憲法を変えてしまえばいい、ということになりかねないんです。

 それはつまり、憲法の性質そのものを変化させてしまうということ。簡単には改正できない「硬性憲法」である日本国憲法が、軟性憲法になってしまう。それは憲法の安定性という観点から見て、妥当だとはいえないと私は考えています。

Q3

2011年12月27日、野田内閣は、武器の輸出を原則として禁じる「武器輸出三原則」の緩和を正式に決め、官房長官談話として発表しました。今後これを抜本的に見直し、新たに設ける基準に従い、平和・人道目的や、国際共同開発・生産への参加であれば輸出を容認するとのことですが、憲法9条を改正することなく、そして国会で議論することもなく、閣議決定だけで緩和を決めてしまったことについて、どう考えますか?

Answer

日本における武器輸出の問題は、本来憲法問題として考えるべきもののはずです。それが、諸外国並みに政策問題の一つとして相対化された上で緩和されていく。それが今、起こっていることだと思います。

 海外への武器輸出を認めるかどうかというのは、諸外国においては単なる一つの政策問題に過ぎません。その中で、日本において武器輸出三原則が法制化されていなくても、これまで国是としてあり得たのは、また政府が国会でわざわざそれを表明したりしたというのは、やはり憲法9条の存在がなければ考えられなかったことでしょう。

 である以上、日本における武器輸出の問題は、本来憲法問題として考えるべきもののはずです。それが、諸外国並みに単なる政策問題の一つとして相対化された上で緩和されていく。それが今、起こっていることだと思います。だから、この問題を憲法審査会で議論しようという声はない。

 それも、政府がこの問題を憲法問題に「しないようにしている」というよりは、憲法問題ではないと思っているということでしょう。例えば、かつては自衛隊の存在そのものが合憲か違憲かと言われたのに、ある時期からは「自衛隊を海外に派遣するかどうか」が憲法問題だとされるようになった。さらにその次には、自衛隊が海外に行くのは当たり前で、そこで武力行使をするかどうかが問題だということになってきましたよね。それと同じで、三原則の緩和に賛成か反対かは別として、「武器を輸出しない」というのは憲法と関係する問題だという意識が国会議員の多くにある時代から、そうではない時代に変わってきてるということなんだろうと思います。せいぜい20年前だったら、大問題になっていたのではないでしょうか。

 かつてであれば、日本の武器輸出はアメリカ自体が警戒していたし、アジア諸国の視線もあって抑制的であったということがあります。これらの要因が弱くなっている点からすると、単なる政策問題と位置づけられる限りこの動きが進むのは不可避であるように思います。しかし私は、これが憲法問題あるいは外交問題であることを確認することが重要だと考えます。もっともそれ以前に、国民の大半は三原則緩和のこと自体を知らないし、それがなぜ問題なのかもわからないというのが現状ではないでしょうか。粘り強く訴えていくことが何よりも必要なことでしょう。

Q4

東日本大震災の際の救助活動における自衛隊の働きは大きく、改めてその存在感と必要性を感じました。また南スーダンへのPKO派遣なども今年に入ってから行われております。憲法9条を改正しないまま、現在のように自衛隊の活動の広さや位置づけが変わってきていることについて、どのように考えますか?

Answer

本来災害救助や除染のような作業を誰がやるのかについて、何も規定がないままに自衛隊に任せているのは、隊員たちにとっては気の毒です。

 今回の東日本大震災のような大きな災害が起こり、自衛隊が救助活動などで活躍すると、「ほら、やっぱり自衛隊は必要だ」という声が大きくなります。私は、こうした災害に対応する人たちが日本に必要である、そのこと自体は否定しないし、自衛隊員が救助活動をしていることは、憲法的にも何ら問題はないと思います。ただ、そこで考えなくてはならないのは、そもそも自衛隊はそんなことのためにつくられたものなのか? ということではないでしょうか。

 自衛隊法第3条によれば、自衛隊の本分は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛すること」です。あと、近年は3条2項に定められた海外での活動が本来的任務に入ってきていますが、今自衛隊員が従事している災害救助や除染というのは明らかに本来的任務ではありません。3条1項の最後に「必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」とあるので、多分この部分を適用しているのだと思われますが。

 ということは、逆に言えば、本来災害救助や除染のような作業を本来的な任務として誰がやるのかについて、何も規定がない。ないままに自衛隊に任せているわけです。しかし、自衛隊の予算の大半はそうした災害救助ではなく、ミサイルなどにつぎ込まれているわけだし、装備も災害用ではないから非常に使いにくいという話も聞きました。

 軍隊が災害救助のような仕事を行うというのは諸外国では普通のことでしょう。憲法9条のある日本だからこそ、本来は軍事的な側面を抜きにした、「災害救助隊」のような制度をつくることが可能だったはずなのですが、それをやらないままに来てしまった。政府にとっては「ほら、自衛隊は必要でしょ」というアピールになって助かるだろうけれど、自衛隊員にとってもかわいそうな状況だと思いますね。

 難しい問題ですが、災害救助隊的なものを別組織として即座に作るというのは、現実的でないように思います。まずは、自衛隊が災害救助隊的なものであることを法律上も明記し、予算配分等も考慮するようにしたうえで、長期的には、自衛隊の軍事的な部分を削減しながら、災害救助隊的なものへと自衛隊を改組していくという筋道を展望すべきだと思います。大震災の経験は、国民が自衛隊に期待するものが戦車やミサイルではないということを示したということではないでしょうか。

Q5

東日本大震災後、憲法に「非常事態条項」がないから対応が遅れたのだ、だから改憲してその条項を入れるべきだという論調がありますが、これについてはどう考えますか?

Answer

自衛隊法、武力攻撃事態法、国民保護法など、「緊急事態」を想定した法律は実はすでにいくつも整備されてきています。憲法を変えなくても、それでできることが前提とされていたはずです。とすれば憲法に「非常事態条項」を入れなくてもできることはいくらでもあるはずです。

 「憲法に非常事態条項がないから、今回の大震災のような非常事態への対応ができなかった」というけれど、実は自衛隊法、武力攻撃事態法、国民保護法など、軍事的な「緊急事態」を想定した法律は実はすでにいくつも整備されてきています。憲法を変えなくても、それでできるとされていたはずです。

 一方で、そうした戦争やテロのような軍事的な事態への対応する法律は整備されてきたのに、自然災害に対応するための法整備が欠けていたのは事実です。原発事故についてもそうです。それはしかし、憲法にそのための条項がないからではなくて、真剣に法律をつくってこなかったということなのではないでしょうか。

 しかも、軍事的な事態はある程度予測ができるし、外交交渉などの人為的努力で回避が可能な場合もある。逆に、武力の増強などの緊急事態に対する「備え」が、逆に近隣諸国の緊張を促して危険性を高める可能性もあります。それに対して、自然災害は人間の力でなんとかできるというものではないし、備えを厚くすることで他国との関係が緊張するなんてこともあり得ない。どちらがより必要性の高いものだったのかということも、今回よくわかったのではないでしょうか。

 3月11日からの一連の政府の対応には、いろいろ問題点があったでしょう。でも、それは本当に憲法に緊急事態の規定がないからだったのか、それとも必要な法律の整備がされていなかったからだったのか、あるいは法律もちゃんとあったけれど、それを運用するだけの能力が政権になかったということなのか。そこを議論しないで、いきなり「憲法に緊急事態条項がないからだ」といって憲法を改正しようとする。それは、やるべきことを間違っているとしか言いようがないと思います。

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