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2012-03-21up

雨宮処凛がゆく!

第223回

シカゴで考えた原爆と原発。の巻

シカゴ大学のシンポジウムの模様。

 東日本大震災から一年後の3月11日、シカゴ大学で開催されたシンポジウム「What March 11 Means To Me」でスピーチしてきた。
 シカゴ大学でこのような一周年イベントを開催し、私を呼んで下さったのは「天皇の逝く国で」などの著書があるシカゴ大学教授のノーマ・フィールドさん。シンポジウムの出演者は、小森陽一さん、高橋哲哉さん、龍澤武さん、横湯園子さん、そして私。2日間にわたって開催されたシンポジウムで、私は「トリ」という大役をつとめさせて頂いたのであった。

 話したことは、様々だ。この一年のこの国、そして自分自身、放射能汚染、この一年間、原発に対して「何もしてこなかったこと」の罪悪感を埋めるように通った脱原発デモ、そして「ビールには放射線を防御する効果が!」というようなポスターやTSUTAYAでガイガーカウンターが貸し出されているということに象徴されるような福島の状況、また、福島だけでなく、日本全体での様々な分断。

 ただ、最後の出番ということもあり、悲しいだけでは終わらせたくなかった。あの日以降、全国で、この現実をなんとか変えようと多くの人たちが立ち上がり始めている。最近、朝日新聞で目にした「市民デモ元年」という言葉にも勇気づけられていた。阪神大震災はボランティア元年とよく言われるが、2011年は「市民デモ元年」ではないかという、たしか韓国人記者の指摘だ。確かに、原発事故後の国や東電のあまりにもお粗末な対応を目の当たりにして、「本気でヤバくない?」と多くの人が危機感を抱き、街頭に繰り出し、声を上げ始めた。シカゴで私が話したのは現地時間の11日午後12時30分から2時までの90分間。時差の関係で、3月11日に日本で開催された多くの脱原発デモは終わっていた。そんなデモに、全国で10万人以上が参加したことをシンポジウムの前に知った。福島でも1万人以上。そんなことも伝えた。とにかく、「レベル7」という最悪の状況を前にして、この国に大きなうねりが起きていること、様々な分断があり、混乱も依然続いているものの、「自ら考え、行動する人々」が全国で脱原発のために繋がり始めていることの希望についても、触れた。

 シカゴ大学で、このような形で日本の状況を伝えられたことを本当に嬉しく思っている。

同じく

 そうしてシカゴの人たちが、どれほど日本に、被災地に、福島に心を寄せてくれているかも、本当によくわかった。一日目のラウンドテーブルの前には黙祷が捧げられ、シンポジウムのあとには、みんなでシカゴ大学のある場所に移動した。ある場所。それは、「世界で初めての原子炉が作られた場所」。そう、なんとも皮肉なことに、シカゴ大学は日本に原爆を落とすための「マンハッタン計画」にかかわっている。その研究のため、世界初の原子炉が作られた場所でもあるのだ。 

 核開発には、多くの科学者がかかわった。そうして日本に原爆が投下される。戦後、その技術が「平和利用」として原発に使われるようになった。この「平和利用」に、原爆開発にかかわった科学者たちは大層意気込んだのだという。その背景には、「原爆でたくさんの人を殺してしまった」という「良心の呵責」があったそうだ。だからこそ、これからはこの技術を「平和」に使うのだ。そんな、ある意味切実な思い。そうして「トラウマ」の果ての希望を一身に背負って作られた、「核の平和利用」としての原発。

 それから60年以上が経って、その原発が福島で大事故を起こし、人々の生活を、人生そのものを破壊し尽くすことなど当時の科学者たちは少しでも想像しただろうか。そう思うと、なんだか途方もない悲しみが襲ってくる。

 3・11から一年のこの日、アメリカの他の大学では、「低線量被曝は健康に影響がない」などといった内容のシンポジウムも開催されていたのだという。また、日本の原発事故の原因を「日本の文化」として片付けようとしている学者たちもいるようだ。「上司に逆らえない」などの日本の企業文化や体質にこそ、事故の原因があったのだというような論調。

 事故から一年。日本だけでなく、アメリカでもこうして原発を正当化する動きが強まっている。

 この日、世界初の原子炉の上に作られた彫刻には、シカゴで脱原発運動をするグループによって、「For Our Children's Future No More Nucler Power」という横断幕が掲げられていた。そうして参加者が掲げるプラカードには「CHERNOBYL FUKUSHIMA ILLINOIS」の文字。

 シカゴ大学のあるイリノイ州には、11基の原発があるという。うち4基は福島第一原発と同じ型で、福島第一原発より古いのだという。

 原子炉があった場所で、私は原発が一度事故を起こしたあとの「取り返しのつかなさ」について、話した。そして、原爆と原発について、改めて、思いを馳せたのだった。

原子炉があったという場所で。

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先月、伊勢崎賢治さんを講師に迎えた「マガ9学校」では、
福島の事故があったからといって、
世界の国々が必ずしも「脱原発」に向かっているわけではない——という指摘がありました。
そして、「アメリカでも、原発を正当化する動きが強まっている」という雨宮さんの報告。
その動きに、どう対抗していけるのか? 
「国」という枠組みを超えた視点の必要性を痛感します。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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