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2011-12-21up

雨宮処凛がゆく!

第214回

怒濤の2011年。の巻

 日本も世界も激動した怒濤の2011年が、もうすぐ終わろうとしている。

 去年の今頃、自分はどんなことを考えていたのだろうと思い、連載している「THE BIG ISSUE」の今年の新年号を読んでみた。そこで私が「今年の抱負」として掲げていたのは、「今年も1年間、とりあえず死なないようにしよう」という、「やる気あんのか?」的な抱負で、しかし、今、「1年間、生きること」が実は小さな奇跡の積み重ねなのだということを思い知っている。

 去年の今頃、当たり前に生きていた人たちの命があまりにもたくさん、失われた。去年の今頃、当たり前に生活の場だった地域が、放射能汚染によって「立ち入り禁止」の危険な場所となってしまった。去年の今頃、多くの人が漠然と信じていた原発の「安全神話」が、目の前で崩れ去った。

 そしてこの連載で書いてきた通り、あの日以来、私は「脱原発デモ」に通う日々が始まった。

 全国各地でデモが相次ぎ、9月19日には6万人が集まった。また、「素人の乱」が中心の「原発やめろデモ!!!!!」は今まで5回開催され、のべ7万人以上が参加している。ツイッター有志が呼びかけるデモには毎回1000人ほどが参加し、「怒りのドラムデモ」にも同規模の参加者が駆けつける。以前も書いたと思うが、3・11以降、この国では「脱原発」を掲げたデモや集会が、実に1500以上、開催されているのだという。

 レベル7という最悪の原発事故の当事者となったこの国の少なくない人たちが、そうして9ヶ月以上、声を上げてきた。今も週末になれば、都内のどこかで脱原発デモをやっている。

 原発について、1年前の私は恥ずかしながら何も知らなかった。そしてきっと、この国に住む多くの人がそうだったと思う。しかし、今、私たちは多くのことを知っている。1年前の自分と比べてみてほしい。あの頃、私たちは「シーベルト」や「ベクレル」なんて単語も知らなかったし、地震大国であるこの国に、世界の原発の1割以上の54基の原発が存在していることすら、きっと多くの人が意識していなかった。そして私は一応「労働問題」にかかわりながらも、「被曝労働」について、あまりにも無知・無関心だった。

 こんなに真剣に原発について、そしてこの国の未来、世界の未来について考えた1年はなかったように思う。そしてその思いは、少なくない人が共有できるものだと思う。

 時々、デモに参加している、と言うと、「デモなんかやって意味あんの?」と上から目線な感じで聞かれる。しかし、私は今、「意味はありすぎるほどある」と断言できる。あの日以降、数万人規模の人たちがデモデビューした。その多くが若者で、「原発事故」を受けて様々な矛盾に直面し、真剣に考え、そして自らがデモに参加するという形で「行動する」という選択をしているのである。デモをすれば、拍手を浴びたり応援の言葉をかけられる一方で、時に「原発がなかったら電力はどうするんだ!」などと罵倒されることもある。

 そんな言葉を受けたら、なんとか反論するために猛勉強するしかない。そうして「考え、行動を始めた若者たち」は今度は原発について、様々な情報を集め、「原発のない世界」のためにあらゆる言葉を紡いでいる。そうやって現場で学んでいる若者たちの中から、続々と「デモ主催者」が誕生している。誰かが主催したデモに参加するだけでは飽き足らず、自分たちで、自分の住む地域でデモを始めているのだ。

 そうして多くの若者が、「デモ」という「正当な異議申し立て」の手段を一から学び、実戦している。デモ主催者もそのノウハウもウイルスのように広がり、そしてデモの情報はツイッターなどで拡散される。デモマニアである私でさえ、もうこの国にすごい勢いで広がる脱原発デモの全体像など、まったく把握できていない。

 1万5000人が集まった4月10日の「原発やめろデモ!!!!!」第一回目のスローガンは、「危ねぇ!」「恐ろしい!」だけだった。その思いだけでデモをしていいんだ。ある意味、この言葉はデモのハードルを限りなく下げ、しかし、そこから参加者たちはメキメキと、本当にその音が聞こえるくらいに成長を重ねている、と感じる。「成長している」なんて、なんだか上から目線な感じだが、多くが私より年下の人たちだ。

 ある若者は、「本当はデモなんかしたくないけど、今動かないと絶対に後悔するから」と語った。

 別の若者は、「本当は休みの日は遊びたいけど、将来結婚して子どもができて、結局その時にまだ原発があってまた原発事故が起きた時、『お父さんは3・11以降何をやってたの?』って聞かれて何も言えないなんてカッコ悪すぎるから」と語った。

 彼ら・彼女らが見ているのは、自分たちがこれから生きていく数十年先、いや、きっともっと先の未来だ。そのために、貴重な休日を潰し、デモに参加し、また様々な勉強会やイベントを企画している。

 そんな若者が今、数万人単位で育っていること。このことは、10年後、20年後の日本に、そしてこの国の民主主義のあり方に、きっときっと、とてつもない影響を与えるように思うのは私だけだろうか。

 その意味で、「デモには意味がある」と断言したいのだ。私たちに必要なのは、原発の輸出に象徴されるような「目先の利益」ではなく、もっとずっと先の未来を見据える視点なのだと思う。

 とにかく、最悪の事態を受け、こうして人々は立ち上がった。

 と、いい感じでまとめようとしたところに、北朝鮮の金正日死去のニュース。

 2011年は、まだまだ波乱が続きそうである。

12/10、鈴木邦男さんと神戸でトークイベントに出演。

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「デモには意味がある。それは、デモによって『デモのある社会』をつくれるからだ」。
9月の新宿での脱原発デモで、柄谷行人さんはそう話していました。
おかしいと思うことには、自分で声をあげなくてはならない、あげていい。
そう考える人が増えたことは、間違いなくたしかな希望なのではないでしょうか。
「最悪の事態」に見舞われた2011年ではあったけれど、
だからこそ、それをそれだけで終わらせてはいけないのだ、と思います。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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