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2010-12-22up

雨宮処凛がゆく!

第172回

茨城県のバス襲撃事件で思ったこと。の巻

ビッグイシュー基金のイベント「若者ホームレスの、今」で、宮本みち子さんと。とっても憧れの人です!

 2010年も残りわずかだ。今回はマガジン9では今年最後の原稿となるため、「1年を振り返る」的なことでも書こうと思っていたのだが、その矢先、茨城県取手市である事件が起きた。それは、27歳の無職の男性がバスの中で乗客を切り付け、中高生など14人に怪我をさせたという事件。報道によると、男性は事件2日前に父と暮らす家を出て野宿し、現場まで歩いてきたという。所持金はゼロ円。地元の高校を卒業後、パートなど10以上の職を転々としていたという男性は、調べに対して「自分の人生を終りにしたかった。誰でもよかった」「1年前に会社をリストラされ、その頃からこういった事件を起こそうとなんとなく考えていた」と話しているという。

 ああ、またか・・・。この事件の一報を聞いた時、私もそう思い、既視感に軽いめまいを覚えた1人だ。事件を巡る報道では、「甘えるな」「母親を亡くし、リストラされて絶望する気持ちはわかるが、誰だって恵まれないことのひとつやふたつある」というひどく「正しい」「反論しようがない」コメントが飛び交っている。しかし、その手の言葉は当人にはまったく届かないものではないだろうか。そんなことは言われなくても自分自身が一番わかっているだろう。

 この容疑者の経歴や事件の背景についてはまだあまり報じられていないのでなんとも言えない。が、秋葉原事件の時に強調されたキーワードのひとつに「承認」というものがあったことを思い出している。その言葉を思い出すたびに、ある光景が浮かぶ。私が会った20代の男性との会話だ。その人は、バイトで1日8時間、週に5日働いていた。だけどそんな自分自身を「こんなんじゃダメだ、自分が情けない」とひどく責めていた。一昔前だったら、それだけ働いていれば正社員になれたかもしれない。そうすれば世間からも「一人前」の扱いを受け、結婚や子育てや、ローンを組んで家を購入、なんてコースにのっていたかもしれない。そうなると、なぜか世間は根拠もなく「一人前」の扱いをしてくれたりする。しかし、今の時代では、誰かがやらなければならない必要な仕事をしたって一定数の人は貧困ラインギリギリの生活をしいられ、世間的にも「半人前」という扱いを受ける、という報われないことになっている。そうして当人は、誰よりももっとも自分を責め、恥じている。

 その男性に、「そんだけ働いていて偉いじゃないですか、頑張ってるじゃないですか、自分を責める必要ないじゃないですか」と私は言った。すると、彼はものすごく驚いた顔をし、次の瞬間には泣きそうになったので今度は私がびっくりした。彼はおそらく、自分を責め、他人からも常に責められているような気持ちでいたのだろう。週40時間働いていたってこれだけの「後ろめたさ」を抱えているのだ。無職だったり、失業期間が長引いていたりするとその後ろめたさはどれほどのものだろう。

 「承認」が難しいのは、仕事を与えて解決、というような簡単な問題ではないところだ。最近、ひきこもり支援などをしているNPO「ニュースタート」の二神能基さんと『世界』で対談する機会があり、また二神さんの『暴力は親に向かう』という本を読み、この「承認」という問題について、いろいろと考えさせられた。特に思ったのは「親」のことで、同世代にひきこもりが多い自分の実感と照らし合わせても、経済成長時代を生きた親世代が無意識に持つ、「常に右肩上がりであって当然」という価値観は時に暴力的ですらあり、子ども(といっても20代とか30代)を相当追いつめているのではないかということだ。

 例えば、ひきこもりの子どもがバイトができるようになると親は喜ぶ。しかし、バイトを続けていると「正社員になってほしい」と思い、正社員になればなったで「もっといい会社に」というように、常にハードルが上がっていく。自分自身を振り返ってもこの「ハードルが上がっていく感じ」は子どもの頃からのもので、親だけでなく、周りの「大人」が発する言葉の端々からも、そして世間の空気からも濃厚に感じていた。

 右肩下がりなんてもってのほかで、現状維持など怠け者、常にスキルアップし、上昇し続けることのみが「正しい生き方」「いい生き方」である——。そんな価値観のもとでは、承認のハードルは恐ろしく上がる。「右肩上がりでなくてはいけない」という言葉を間に受ければ受けるほど、周りがどんなに評価したって、自分で自分を承認できないからだ。そんな時代の病理とも言える価値観の中に今、多くの若者たちはいて、しかし残酷なのは、時代はとっくに右肩下がりだということだ。現在、「脱成長」という言葉がさかんに使われているが、若者を追いつめないためにもっとも必要なのは、無意識な価値観レベルでの「脱成長」ではないだろうか。

 ちなみに、現在殺人事件は減少し続けていることはご存知だと思うが(マスコミでは滅多に報じられないが)、それでも全国の殺人事件・殺人未遂事件の半数近くが家庭内で起きているという現実もある。この背景には、ここまで書いてきたような「成長神話」を内面化した親と「承認」に飢えている子ども、という構図があるかもしれない。また、承認の問題は、元恋人につきまとった挙げ句殺すといったストーカー殺人事件などにも垣間見えることがある。

 先日、作家・ミュージシャンでマイ師匠でもあるAKIRAさんと対談した。その時に、「人はうまくいっている時には周りも褒めてくれるし自分で自分を肯定できるが、うまくいっていない時にどう自分を肯定するか」というようなことを話した。いろんなことが上手くいかなくて周りからも責められて、そんな時、どうすればいいのだろうか。答えはないものの、その時に気づいたのは、私の周りにはうっすらと「ダメであればあるほど人としては立派」というような価値観があることだ。それが激しく救いになっている。例えばAKIRAさんにしたって元ホームレスで元ジャンキーで元泥棒という、三重苦すぎる過去というか地獄の三拍子が揃っている。そんな人に20歳くらいで出会ったことが、「まぁ、トンでもない経験をしてきても、それがその人の魅力になるんだ」という「生きる自信」に繋がっていった。

 ということで、「右肩上がり神話」みたいなものに追いつめられないためには、「変な人とたくさん会う」ということが有効なようである。「周りにいない」という人は、AKIRAさんの『COTTON100%』を読もう。NHKで放送された「私の一冊」に私が選んだ本だ。

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年の瀬に、またしても起こってしまった事件。
その詳しい背景はまだわかりませんが、
世の中にもっと「多様な価値観」があれば、
救われる人はたくさんいるのでは? と思うことがしばしばあります。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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