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2010-10-20up

雨宮処凛がゆく!

第164回

「誰かが自分より得・楽してるっぽい」問題。の巻

16日の「反貧困世直し大集会」にて、松本哉さんと対談。

 山口二郎氏の『ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件』を読んだ。

 きっかけは、先週シンポジウムで訪れた名古屋で、忘れがたい体験をしたからである。

 シンポジウムのテーマは主に介護や高齢者の貧困など。司会は田原総一朗氏で、民主党議員なども参加した。私自身は、「若者よりお金があっていい思いをしている高齢者」的なイメージがある一方で、日本でもっとも貧困率が高いのは60歳以上で20〜22%であること(全世代の貧困率は15.7%)や、日本でもっとも多いのは「一人世帯」で、その中には単身高齢者も多いこと(05年の国勢調査より。一人世帯は29.5%を占める)、「夫婦と子どもがいる世帯」(人数問わず)は29.9%だが、今回の国勢調査で一人世帯と数字が逆転するのではないかと言われていること、だからこそ「家族」を前提とした社会保障の制度設計に限界があるのでは、などという話をさせて頂いた。

 このシンポジウム、客席からの発言も歓迎という自由度の高いもので高校生などが発言してくれたのだが、途中で介護で働く若い男性も発言してくれた。やはり「低賃金」で、もし結婚しても子どもが生まれて相手が働けなくなったら経済的に不安という話になり、この意見を受けて壇上では「介護職の年収を400万円くらいにしては」という話題になったのだが、それに「反対です」という意見が客席から上がった。

 反対意見の人は、80代の兄が介護施設に入っていたという女性。彼女が反対する理由は、要約すると「自分の兄が入っていた施設の職員は月に15日くらい休みがあり、その休みに海外旅行などに行っていたから」というものだった。この意見に対しては「介護の仕事でそんなに休みがある会社など聞いたことがない」という反応があちこちから出たのだが、私が驚いたのは、「月に半分くらいしか働かないで海外旅行行ってるのに年収400万? ムキーッ!」というような反応から「反対」と発言していることだった。

 私は介護の仕事についてまったく詳しくない。しかし、「15日勤務」だとしても、夜勤などがあるのかもしれず、月の労働時間にしてみるとかなりの時間になるかもしれない。また、介護の仕事に就く人が休日に海外旅行をしようが路上で酒を飲もうが自宅で裸踊りをしようがその人の自由である。誰かにとやかく言われる筋合いはない。ちなみに、私だったら自分や自分の大切な人が介護を受ける場合、余裕を持った働き方で年収もそこそこいいという人の方が安心できる。ものすごい長時間労働に忙殺される医療の現場で命にかかわる医療ミスが起きていることを私たちは知っているからだ。しかし、世の中には「楽をしてるっぽい誰か」が許せない人が確実に存在する。

同じく。

 もうひとつ、驚いたのは河村たかし市長の応援をしている、というオジサンの発言。何かとても熱心に応援しているようなのだが、河村市長の「市議会の議員報酬カット」を強く支持している模様で、「イチローがたくさん貰ってることには腹は立たないけど、議員が2000万貰ってるってことに腹が立つんですよ!」とアジテーション。また、生活保護を受けている人に批判めいた発言をしたり、「若者の貧困には同情するけど老人の貧困は自己責任」的なことを言って会場から非難されると慌てて取り消したりと、とにかく印象深い発言のオンパレードなのだった。

 それらのことが非常に心に残り、こういったどこか条件反射のような「“得・楽をしている誰か”が許せない問題」について考えたいと思い、『ポピュリズムへの反撃』を読んだのだが、そこにはこの手の「条件反射」が鮮やかに分析されていて非常にいろいろ腑に落ちたのだった。

 ちなみにこの本の帯には「ポピュリズム=大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治的目標を実現する手法」と書かれている。ネガティブな意味で使われることの多いこのポピュリズムという言葉を聞くと真っ先に思いだすのが小泉純一郎だが、本書でも「私たちが自滅的な『改革』を受け入れた理由」として、多くのページが小泉構造改革に割かれている。「単純化」や「二項対立」というレトリック、きちんとした定義をほとんどの人が知らない「構造改革」という曖昧な言葉。どこかで甘い汁を吸う「奴ら」と「われわれ」という対立。本書から引用しよう。

 「つまり、ポピュリズムというのは、『われわれと奴ら』という単一の軸を設定していて、奴らに対する反発心というものを政治的なエネルギーにしていくのです」

 「冷静に見れば、グローバル資本主義の下で『われわれと奴ら』という線を引くとすれば、やはり普通に働く人は公務員であれ、民間であれ、正規であれ、非正規であれ、みんなが『われわれ』であって、日本経団連や多国籍企業の幹部が『奴ら』であるはずです」

 しかし、現実はそうはならない。「奴ら」として浮上するのは農協や医師会、労働組合など。「むしろ本来利害を共有する人々の間に分断線を引き、人々のエネルギーを分散させ」る。また「ポピュリズムの政治家は、官と民、高齢者と若年層の間に楔を打ち込み、対立を煽」る。それだけではない。「ポピュリストは大衆の不満の上に勢力を広げ」る。「人々の不審と不安を煽ることこそポピュリズムの王道」だからだ。

いろいろな方にご心配おかけしましたが、無事猫村さんの里親さんが見つかり、理想的な環境で暮らせることになりました! 幸せになるんだよ・・・(涙)。

 本書には、阿久根市長についても触れられている。なぜあのような人物が市長になれたのかを説明する著者の友人は、シャッター街となり、水産業も観光も振るわない阿久根市の惨状に触れ、「“市民からすれば”高給取り”で安定した市職員に、市民の不満が向かったものだと思います」と書いている。

 ここ数年、公務員バッシングが続いているが、本書にもあるように「人口に対する公務員の割合、GDPに対する公務員人件費の割合、どちらをとっても日本の場合先進国の中では最低基準」である。本書を読んで、「DAYS JAPAN」(2010.9)で斎藤美奈子さんが書いていた原稿を思い出した。大阪で2人の子どもが置き去りにされて亡くなった事件について触れているのだが、行政の責任を問う声に対して、児童相談所の絶望的な人手不足について書いているのだ。そうして最後にこう結ばれている。引用しよう。

 この件から間接的にいえるのは、十分な住民サービスを提供できるだけの体制が日本では整っていないという事実である。もっといえば、公務員の数が足りていない。
 私が疑問に思うのは、にもかかわらず公務員の削減や給与カットを支持し、『小さな政府』を標榜する『みんなの党』などに投票する人がいることだ。『行政はいったい何をやっているんじゃ!』と怒るなら、公務員の数を増やして福祉に潤沢な予算を回せ、という主張が出てきたっていいんじゃないの?
 行政の怠慢をなじりつつ『小さな政府』を支持する矛盾。公務員を非難してウップン晴らしをするような風潮がこのまま続けば現場の士気はますます下がるだろう。本末転倒、悪循環というしかない。
(児童虐待と『消えた高齢者』の背後に隠れているのは何?)

 児童相談所だけでなく、ハローワークや福祉事務所も慢性的な人手不足に悩まされている。

 「自分より得・楽しているっぽい誰か」を見ると、条件反射的にイラッとくる気持ちはわかる。しかし、キツい言い方をすれば少なくない人の「条件反射」や「気分」がある意味でこの国の政治をグダグダにしてきた面も否定できない。ということで、私は自分に「条件反射」的反応を禁じている。とにかく、一度冷静になるように常につとめてはいるつもりだ。

『ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件』(角川oneテーマ21)〜山口 二郎(アマゾンにリンクしています)

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「自分より得してそうな誰か」に、怒りが集中する。
実はこれって、労働問題にとどまらない、
いろんな場面にいえることなのでは? 
本当に批判すべき/されるべき対象は何か?
冷静に考えたいと思います。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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