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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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再びネットカフェからのSOS
〜カップル編〜 最終回

厚生労働省の大臣室で。

 前回の続きを書く前に、御報告。
 12月、厚生労働省の「ナショナルミニマム研究会」の委員に就任しました。
 湯浅さんも一緒です。11日に第一回目の会議が開催されました。詳しいことはこちらで。今後の研究会の流れなどについて、随時こちらでも報告していくつもりです。

 ということで、ここからは前回の続き。

 いくつか地下鉄を乗り換えて、やっと家族寮に到着した。古い大きな建物の、面接室に通される。「支援者」ということで、私とKさんも面談に同席した。少し待たされたあとに、施設の職員の人が来て、ここでの生活についての説明が始まる。職員の人は、焼き鳥屋とかもつ煮屋が似合いそうな早口のオジサンだ。
 「施設」(正確に言うと、宿所提供施設)ということで、いろいろ厳しい規則があるのかと思ったが、説明を聞いている限り、そんなこともないようだった。まず部屋に入ったらガスの開栓をすることやゴミの分別について、持ち回りで掃除当番などがあることが告げられ、行事としては「消防訓練」があることなどが説明される。なんだかさっきまで「今日寝る場所が確保できるのか」ってなテーマで緊張してたのに、いきなり「掃除当番」とか「消防訓練」とか、一気に牧歌的な雰囲気だ。しかもオジサンは天然なのかなんなのか、「消防訓練の時は、臨場感を持ってもらって」とか、どうでもいいことまで補足してくれる。プライバシーも尊重されるとのことで、無断で部屋に入られたりということもないという。
 面談を終える時、職員のオジサンは言った。

 「若い人は就労自活していくケースが多いから、二人で稼げば24、5万とか稼げるから、頑張って。期待してますよ」

 なんだかこういった「施設」っぽいとこってすごく「抑圧的」なのかと思ってたので、そんな「励まし」の言葉には驚いた。或いはA君、B子ちゃんのハキハキした受け答えに、「この二人は大丈夫だろう」というような判断があったのだろうか。とにかく「応援モード」な雰囲気に、一応「監視」っぽい役割で行った私は大いに拍子抜けしたのだった。
 それから事務所に案内された。職員の人は「今日から入ることになった○○さんです」と他の職員の人たちに紹介したあと、職員の人たちが自己紹介する。A君も「一言」と言われて、「よろしく御願いします!」と頭を下げる。拍手でも起こりそうな雰囲気だ。何か、不思議にアットホームな雰囲気に安心したのだった。
 それから早速部屋に案内された。ドアを開けた瞬間、「おお!」と思わず叫んだ。建物自体は古いが、部屋は10畳の畳の部屋で、台所とトイレもついている。ベランダには洗濯機も設置されていて、冷蔵庫やテレビ、こたつテーブル、炊飯器、電気ポット、まな板や包丁やフライパンやお鍋、食器洗剤、お茶碗やお皿など、生活に必要なものが一通り揃っている。これらはすべてここを出るまで貸してもらえるのだそうだ。ある意味、そこらの「派遣会社の寮」なんかよりずっと充実している。職員のオジサンは「別にお酒勧めるわけじゃないけど・・・」なんて言いながら徳利と御猪口まで貸してくれようとするので、二人は「お酒飲まないんで・・・」と慌てて断っている。さっきまでの緊張感が、天然系の職員のオジサンによって一気に脱力モードだ。
 そして部屋の真ん中には新品の布団とシーツと枕と毛布。

 「やっと布団で寝られる・・・」

 二人は布団を目の前にして呟いた。そう、二人はもう一週間以上、布団で寝ていないのだ。B子ちゃんは腰痛がひどくなっているようで、歩いたり階段をのぼるのも辛そうだった。そんな二人の生活が今、メキメキと音を立てて「再建」に向かっている。
 部屋に設置された様々なものを見ながら、何もないところからこれだけのものを揃えるのがいかに大変なことかを思い知る気がした。どれひとつとったって、店で買えば当然お金がかかる。「生活」とは、洗剤とか食器とかこたつとか炊飯器とか、そういうこまごまとしたものに支えられているものなのだ、と改めて実感した。そしてシェアハウスではそれらこまごまとしたものを揃えることで出費がかさみ、生活に支障をきたした彼らだが、今、セーフティネットにひっかかったことでやっとそれらを取り戻したのだ。家がある幸せ。家にごちゃごちゃした生活用品がある幸せ。最長で3ヵ月しかいられないという決まりがあり、来年1月には取り壊されてしまう宿所だけど、これからこの部屋には物が増えていくだろう。そしてそのこと自体が生活の再建なのだ。
 さあ、これでひとまず安心だ。生活保護が受給できるかどうかの審査には2週間程度かかるらしいが、何かあったらまたその時考えればいい。

 「急展開の、怒濤の1日だったね」

 そう言うと、二人は何度も頷いた。

 「じゃあ、今日はゆっくり休んでね」

 そう言って部屋のドアを閉めた。時計を見ると午後5時半。今日の昼12時に待ち合わせした時、彼らは所持金300円で今晩寝る場所すらない身だった。しかし、たった5時間半で、住む場所と明日からの生活の展望を手に入れた。清水さんとKさんと私、その3人がかかわり、セーフティネットにひっかかる手助けをするだけでこんなにも鮮やかに生活の立て直しができるのだ。8日前にシェアハウスを出て、食事も睡眠もロクに取れない中、寿町の支援団体のもとを訪れ、その後横浜の区役所に行き、私と会った翌日には仕事を探し、それでもどうにもならずに所持金300円になり。それが、フリーター労組に来たところから一気に動きだしたのだ。
 というか、本来であれば、法律の知識のない人が一人で福祉事務所に行ったって今回と同等の迅速な対応をされるべきで、その「落差」がどうしようもなく開いていることがあまりにもおかしいと思う。彼らと同じ状況で困っている人は今もたくさんいるのだ。今、もしこれを見ている人でカップルでホームレス状態、という人がいたら、世帯での生活保護申請をし、家族寮に今日から入りたい、と言ってみてほしい。単身の人は家族寮ではなく、アパート転宅するまでは施設やドヤで過ごすことが多いそうだ。っていうかこの辺にも、「結婚制度」的なものにくくられる人の方がなんとなく優遇される、という日本社会の偏見のようなものが垣間見える気もするが・・・。「お一人さま」や「非モテ」問題にもある意味繋がってくる話である・・・。
 制度に穴はたくさん開いている。だけど、そういう中で今すぐにできることもたくさんあることを私はこの日、身をもって知った。今回、清水さんとKさんは完全にボランティアで動いてくれた。見ず知らずの人に対し、少しの身銭(交通費とか)を切って5時間程度付き合うというちょっとの「善意」で、ここまで人を支援することができるのだ。見ず知らずの人への善意はこれだけに留まらなかった。ちょうどこの頃、小熊英二さんに会い、コートをカンパしてもらっていた。これから寒くなる季節に「コートがない」と言っていた二人に、私は小熊さんのコートと私のコートを送った。誰か困っている人がいたら助けるとか、困っている人がいるかもしれないからどこかにカンパするとか、そういうことって人間の本質的なものなはずだ。なのに今、その良心自体が「本人のためにならない」とかワケのわからない理屈で歪められている。たかがお金とかたかが物とかたかが時間とか、それくらい人のために使ったってバチは当たらないだろう。小熊さんだけじゃなく、私は結構な数の文化人や作家などから「この団体に」ということでカンパを受け取っている。そういう時に、日本の文化人や作家の中にもマトモな人が多いのだと安心する。
 そして普段から「人と助け合う」という実践は、実は自分にとってもメリットが多い。例えばもし今後、私に困ったことが起きた場合、私は臆面もなくこの二人に泣きつく予定だ。きっと二人は私を見捨てないだろう。二人以外にも私にはそんな人が結構いる。「こいつにだけは絶対に私を見捨てさせない」というような相手だ。その中には、散々迷惑をかけられた相手もいる。
 迷惑ということで言うと、私たちにはたぶん「迷惑をかけあう練習」が必要だと思うのだ。先に書いたように、人はどんなに困っても「迷惑をかけちゃいけない」という呪縛に縛られ、人に頼ったりSOSを出すことがなかなかできない。それが遅れることによって、場合によっては取り返しのつかない事態に陥っていく。で、取りかえしのつかない事態に陥ると「再建」にも時間がかかり、「迷惑度」が上がってしまうので更に言えない、というスパイラルになっていく。そうして最悪の場合、「自分が生きていること自体が迷惑なので死にます」ということになってしまうのだ。 
 しかし、死ぬくらいだったら迷惑をかけても全然いい。というか、生きることの大半って「迷惑をかけあう」ようなものではないだろうか。そしてそれが健全な人間関係であり、健全な社会ではないだろうか。
 と、そんなことを今回の件を通して思ったのだった。
 あー、でもホントによかった。
 二人はこれから仕事を探し、また、アパートに転宅するため、不動産屋巡りを始めるはずだ。ここから先もいくつかの山があるだろうが、勝手に応援したいと思っている。

たぶん、少し前までみんなが当たり前のように知っていた、
「迷惑のかけあい方」。
それをもう一度思い出すことが、
もう少し肩の力を抜いて生きやすい社会につながるのかも。
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