091202up
あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト
11月29日の「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」デモ! 新宿で大騒ぎ! 大成功!
話を聞いたあと、私は彼らに支援団体をいくつか紹介した。
「もやい」や生活保護支援法律家ネットワークなどだ。どちらも知り合いがいる団体なので、そこに連絡さえしてもらえればなんとかなる。そう思い、明日にでもすぐに連絡するように勧めた。支援団体に行くにも交通費や電話代、また今日のネットカフェ代や食費などもあるので、若干のお金を取材謝礼として渡した。
その夜、ネットカフェに入った彼らからメールが来た。そこには、ドキッとする言葉が書かれていた。私に会う前、もう死んだ方がいいんじゃないかと本気で話していたというのだ。そのメールを読んだ瞬間、私は決めた。とにかく二人が「なんとかなる」まで、おせっかいと言われてもかかわろうと。人は、誰か一人でも二人でも、「本気で気にかける」人がいればなかなか死にはしない(と思う)。ファミレスに行く時も私と別れる時も、寄り添うようにしてずっと手を繋いでいた二人の姿が目に浮かんだ。ギリギリの状態なのにお互いをいたわる姿は何か感動的で、滅多に見られない「美しい」人間の姿を見た気がした。そうして私は今後も継続してかかわっていきたい旨をメールした。
翌日夜、彼らからメールが来た。支援団体に連絡を取っているものだと思い込んでいたので、そのメールにはちょっと驚いた。なんと、その日は仕事を探していたというのだ。おそらく取材謝礼が入ったことから「これで立て直そう」と思ったのだろう。が、住所不定、携帯も二人とも止まっている状態では仕事の登録もできなかったそうだ。それを知って、ヤバい、と思った。湯浅さんがよく言う「自分で限界まで頑張っちゃう」スパイラルに突入している気がしたのだ。
よく、生活が困窮した人に対して「すぐ生活保護を受けようとする」などと言う人がいる。しかし、それはまったくの逆だ。彼らの多くは、生活保護には抵抗を感じ、本当に限界まで自力でなんとかしようと頑張ってしまう。頑張ってしまうから、例えば所持金がゼロ円になって、やっと「もやい」に連絡をしてくるということになる。そうなると、相談に行くための交通費もないという状態だ。路上生活を続けて身体も疲れ切っている場合もある。派遣村に来た多くの人もそうだったと聞く。様々な地域で派遣切りに遭ったり失業したりして、寮やアパートも追い出され、しかし、所持金が数万円あったりすると、ネットカフェに寝泊まりしながらその地で必死に仕事を探す。しかし、見つからない。そのうちに所持金はどんどん減っていく。ネットカフェ生活は、「家がある生活」よりもお金がかかる。ネットカフェ代はもちろん、ロッカー代、食費、コインランドリー代、ネットカフェの有料シャワー代など、どんなに節約しても削れない必要経費は多いのだ。そのうちに地元に帰れる状態の人でもその交通費がなくて帰れない、という状況に陥る。そうして気がつけば所持金数百円、という事態に陥って初めて、「自力ではどうにもならない」ことを知るのだ。そこに至るまでに、支援団体などにSOSを送ってくる人は滅多にいない。ある程度余裕がある時点でSOSを送ってくれれば対応も余裕をもってできるのだが、誰もが「自分は自分の力でなんとかできる」「人に迷惑をかけたくない」と思っているので、ギリギリまで自分でなんとかしようと思ってしまう。それが「自分で限界まで頑張っちゃう」状態だ。
そして二人も、この状態でも仕事を探すという「真面目さ」を持っていた。しかし、支援団体に連絡するのが1日遅れれば、あらゆることがずれこんでいく。土日を挟んでしまえば、たぶんお金も底をつくだろう。そしてその時、彼らは再び私にSOSを出すことを躊躇しないだろうか。週末までになんとかしないとヤバい。そう思った。
そこで思いついたのが「フリーター労組」だ。「労働問題」でなかったことから完全に頭から抜けていたものの、フリーター労組で生活保護申請の同行をしているという話も聞いていたし、自分たちで「自由と生存の家」という住宅を運営してもいる。もしうまくいけば、そこに入る、ということもできるかもしれない。
そうして早速フリーター労組のX氏に電話。事情を話し、かなり早い対応をしてほしい、とメチャクチャ一方的なことを告げると、すぐにいろいろと動いてくれた。そうして30日、金曜日の昼に、フリーター労組の執行委員・清水直子さんが相談に乗ってくれることになったのである。
早速、私は二人に、フリーター労組が相談に乗ってくれるから金曜日の何時にここにきてほしい、私も一緒に行くから待ち合わせしましょう、とメールした。これが水曜の夜。メールしたはいいものの、彼らがこのメールを見るのはいつだろう。携帯が止まっているため、こちらからは一切連絡が取れない状況なのだ。もし、このままメールを見ないままに「節約」のためにマックに泊まられたりしたら完全にアウトである。私はとにかく「2人がメールを見ますように! 見れる状態にありますように!」と祈り、念を送ることしかできなかった。
そうして翌朝、メールの返事が来ていた!
そうして私たちは金曜日、都内某所で待ち合わせしたのである。
デモ後の交流会で
この怒濤の1日を、私は決して忘れない。
彼らにとっても、まさに「生死を分けた」1日として記憶されるはずだ。
昼12時すぎ、私たちはフリーター労組の事務所を訪れ、清水さんの到着を待った。そして約束の12時半、清水さんがやってきた。相談が始まる前、「このまま福祉事務所に行くことになると思うので、そこに同行してくれる人」として、組合員のKさん(男性)も同席する。今日このまま福祉事務所に行くとは、なんだかいきなりの急展開ではないか!
清水さんは湯浅さんの書いた「あなたにもできる 本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」を片手に持ち、Kさんは「生活に困ったときの生活保護制度」という冊子を手にしている。
そうして面談で二人の簡単な経緯が語られた。現在の所持金は300円。今日泊まる場所ももちろんない。概要を聞くと、清水さんはあまりにも素晴らしい制度の使い方を提案してくれた。
二人はカップルなので、事実婚の夫婦とみなし、「世帯」として生活保護の申請をする方法があるということ。そうすれば、うまくいけば今日の夜からでも「家族寮」に入れる可能性もあるということ。
あまりの急展開に、二人は「信じられない」という顔をしている。横浜の某区役所ではバラバラに自立支援センターに入るしかないと言われたのに、そんな制度があるとは!
そこから少し「生活保護」という制度についての説明が清水さんからあった。「生活保護」と言うと、本人も周りも抵抗を感じることが多いが、こういった場合、住所もなく、携帯が止まっていると仕事も見つからない。このままであれば路上生活一直線だ。そして一度路上生活になってしまうと、自力で這い上がるのは至難の業である。生活保護は、そんな状況にワンクッション入れる制度として使うことができるのだ。とにかく屋根の下に住めれば住所もあるので仕事も探せる。仕事が見つかれば生活保護から脱却すればいい。が、今のままではもし仕事が見つかったとしても、最初の給料日までの生活費や食費、仕事に行くための交通費もない。だからこそ生活保護でそれを補う必要があるのだ。
それからA君が「世帯主」ということで生活保護の申請書を書くことになった。この申請書は「もやい」のホームページからダウンロードしたというもの。まず生活保護申請では「申請書」をなかなか受け取れない、ということがひとつの壁になっている。二人が横浜の区役所に行った時も生活保護の話は一切出ず、申請書など目にすることもなかった。なので自分であらかじめ申請書を書いて持参する、というのがひとつの方法なのだ。申請書には名前や住所(なければ空欄でいい)などを書き、「保護を受けたい理由」を記入する。A君はアドバイスを受け、これまでの簡単な経緯と「仕事を探しているものの、携帯が止まっていて住所不定のため仕事が見つからず、仕事を探すため」という内容を記入。同時に「一時金支給申請書」も書く。これは「アパート転宅のための一時金」の支給を申請するものだ。生活保護費からはアパート入居のための一時金も出るのだが、ケースによっては施設などに長く留め置かれることもあるという。それをあらかじめ防ぐため、申請と同時に転宅のための「一時金支給申請書」を出すといいらしい。
さて、この2枚を書いて、早速新宿の福祉事務所に出発だ!
(以下、次号)
デモには「韓国産徴兵奴隷」も参加
「生活保護」というと、いまだ「最後の手段」的なイメージが強いのが現状。
でも本当は、その前段階の「一時的なワンクッション」として、
もっと活用されるべき制度なのでは?
次回、福祉事務所に向かった一行のその後は? ご期待ください。
ご意見募集