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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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再びネットカフェからのSOS
〜カップル編〜 その3

 二人の生活はいよいよ厳しくなっていた。既に家賃も滞納していた。
 そんな頃、知人からある「仕事」を持ちかけられる。日給1万円の肉体労働の話があったのだ。期間は10日間、しかも仕事が終わればすぐに払われるということだった。二人で10日間働けば20万円。これで遅れている家賃も払えるし生活を立て直せる、と二人はその仕事を受けることにした。10日間も休めないことから、A君はコールセンターの仕事もやめた。
 しかし、後日。なんとその仕事自体が流れてしまう。予定が大幅に狂った瞬間だった。そこにシェアハウスから家賃支払いの催促が来る。既に10月になっていた。15日までに払えなかったら出ていってくれ、という通告もあった。10日で20万円をアテにしていた二人の携帯はそんな頃、ほぼ同時期に止まってしまう。どうしても払えないと告げると、支払い期限は「25日まで」になんとか伸びた。二人は必死で仕事を探し、新聞配達の仕事を見つけるものの、「身元保証」が必要と言われて諦める。A君もB子ちゃんも親とはほとんど切れている状態だからだ。必死で仕事を探すが、電話しても「じゃあすぐに来て」という仕事もない。とにかく家賃の支払いのために現金が必要なのだが、日払いの仕事となると更にない。22日までは「せかせか仕事探してた」二人は、その後、自分の周りのありとあらゆるものを売り、手元にあったお金をかき集める。2万円ちょっとにはなったものの、家賃には届かない。

「とにかく、居づらい、いられない」場所になっていたシェアハウスを、そうして二人は22日、ひっそりと後にした。  彼らが「ホームレス」になった瞬間だった。

 私が彼らに会ったのは、その5日後。

「その間、どうしてたんですか?」

 そう聞くと、「マックですね」という答えが返ってきた。
 最初の1日くらいはネットカフェに泊まったものの、それからは日中は街を歩き、夜はマックで明かしたという。もう何日もほとんど寝ていないし食事もロクにとっていないということだった。この日の前日は関東に台風が来て、横浜も暴風雨に晒されたそうなのだが、二人は台風の中、傘を差してひたすら歩いていたという。清掃のため、深夜にマックを追い出されてしまったからだ。軒下だと、雨宿りはできても風は更に強く、傘を差して歩いている方がまだ「マシ」だったらしい。

「まだお金があった日は仕事探したりだとかやってたんですけど、すぐにお金もなくなって」

 この時点で彼らの所持金はほぼゼロに等しかった。
 それでは、なぜ横浜に来たのだろうか。そう聞くと、A君は言った。

「自分は多少土地勘があったんで、もしかしたら仕事とか探せるんじゃないかと。あと、池袋で会ったあと、いろいろ勉強じゃないけど少しして。横浜だったら寿町もあるんで、そういったことに関しては整った街なんじゃないかと思って」

 寿町とは、山谷、釜ヶ崎と並ぶ「三大寄せ場」のひとつと言われる場所である。そういう場所に行けば、なんらかの支援が受けられるのではないか、と考えたのだ。そこまで情報収集していたことに驚き、話を聞いて更に驚いた。彼らはシェアハウスを出た翌日には寿町の支援団体に連絡を取り、その翌日、24日には支援団体の人と面談していたのだ。しかし、野宿者支援の団体に、若い「ネットカフェ難民」カップルが訪れるのは初めての経験だったようだ。

「そういう僕らくらいの年の人の相談を受けたことがない、まったく事例がないって話で、何をどうしたらいいのかわからないって率直に言われたんです。できることは、野宿者支援をしている団体なんで、野宿のための寒さをしのぐ防寒服とか毛布の提供とか、それが私たちにできることですって」

 野宿者支援団体であれば、そういう返答はやむを得ないものだろう。ただ、寿町の支援団体を若者が訪れるという事態に、支援団体の人もきっと時代の変化をまざまざと感じたはずだ。
 その後二人が向かったのは、横浜の某区役所だった。そう、彼らは私に会う前に、自分たちで必死になんとかしようと動いていたのである。「生活保護でもそうじゃなくても、なんらかの援助的なものがあるのでは」という希望を抱いて訪れた福祉事務所。しかし。

「その時に個別面談、別々にされちゃったんですね。で、僕の方は話のわかる人だったんですけど、彼女の方がひどい人だったらしくて。聞き取りの時に彼女の話をまったく聞いてくれなくてまったく違う解釈をして、それで二人の話を合わせた時に辻褄が合わなくて、それで、ああいう場も初めてだったんでパニクっちゃって・・・」

 その時に向こうからされた話を要約すると、結局は二人バラバラに自立支援センターに入れ、という話だったらしい。ホームレス支援の施設で、東京都の場合だと最初は「緊急一時保護センター」で身体を休めたあと、「路上生活者自立支援センター」に行き、ここにいる間に仕事を探してお金をためて部屋を借りて出ていく、という流れだ。いられる期間は最長4ヵ月。が、4ヵ月で仕事が決まらなかったりお金がたまらなかったりしてもそのまま出されるという。部屋は相部屋。この制度には賛否あるが、私の知り合いにはこの制度を使って脱ホームレスした人もいる。が、彼らがその話を持ち出されたのは個別の面談でだった。A君は言う。

「別々の面談の時に施設の紹介をされて、どうしますかって聞かれても、俺が勝手に『はい』って言っちゃったら彼女はどうなっちゃうんだろうって。彼女の意見も聞かないと返事はできませんって」

 ちなみに彼女も「自立支援センター」の「女性版」に入ることを勧められたという。A君は苦い顔で言った。

「そういうのよりは、違った形でできればって思ってたんで、何があるのかわかんないけど・・・。あと、それで印象が悪くなっちゃって、一通り話は聞いてもらえたんですけど、なんかこう、抑えつけるじゃないですけど、それ以外は何もできませんみたいな節もあったんで」

 そうして彼らは福祉事務所を後にした。その時点で、既に所持金は2000円程度。そうして会った日、既にその2000円もほとんど使い果たしてしまっていた。

(以下、次号)

※11月28日、29日、「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉09 無数の抵抗を発明する」が開催されます。29日はデモ! 詳細はこちらで!

職を失い、家を失い、そしてついに所持金もゼロ…
ふたりはこれからどうなるのか?
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