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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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過労自殺裁判の勝訴!! の巻

上段のり子さんと。いろいろ教えて頂き、とってもお世話になってます。

 09年7月28日午後2時。東京高裁808号法廷。
 この日、私は生まれて初めて「勝訴」の瞬間に立ち会った。
 難解な判決の言葉がゆっくりと読み上げられ、過労死・過労自殺問題のエキスパート・川人弁護士の顔が満面の笑顔に変わった瞬間、法廷を拍手が包んだ。「おめでとう!」と誰かが叫び、思わず立ち上がっていた。そうして報告会のために弁護士会館に現れた川人弁護士は、開口一番「勝ちました!」と叫んだ。何か、歴史的な瞬間だった。

 この日の裁判は、『生きさせろ! 難民化する若者たち』の第5章「企業による殺人 過労自殺」で取材させて頂いた上段勇士さん(享年23歳)の裁判だ。上段勇士さんは私と同じ75年生まれ。高専から都立大学に編入学したのちに中退した彼は、アメリカ留学のお金をためるため、業務請負会社「ネクスター」(現アテスト)に採用され、埼玉のニコンの工場に派遣される。そしてその1年4ヵ月後の99年、23歳の若さで自ら命を絶ってしまうのだ。
 その仕事内容はあまりに過酷だった。昼夜交替でのクリーンルームの作業、たび重なるシフト変更、海外出張や15時間を越える休日出勤、亡くなる直前には15日間連続勤務があり、その間の平均労働時間は11時間。また、同時期に入った派遣社員、請負社員の大量リストラも彼を精神的に追い詰めていた。

 ここには現在の「使い捨て」労働の問題を巡るすべてがある。
 そして注目したいのは、彼がそんな現実に直面していたのが97〜99年にかけて、今から10年以上前だということだ。
 10年前と言えば、私自身もフリーターだった。そして当時から、少なくない「若者」はこのような滅茶苦茶な働かされ方の中にいた。しかし、社会経験の浅い若者には、自分に何が起こっているのかわからない。当事者でさえわからないのだから、現実を知らない人々にはもっとわからない。そうして長い間、この問題は放置されてきた。放置される中で、多くの犠牲者が生み出されてしまった。
 今でこそ「偽装請負」という言葉は知名度を得たが、勇士さんも名目は請負、実態は派遣という偽装請負状態で働いていた。請負会社は月末にニコンから報告を受けて初めて労働時間を知るというありさまで、どういう仕事をしているかも知らなかったという。そして派遣先のニコンにとって勇士さんは「よその会社の人」。請負会社にとってニコンという大企業は「お得意さま」。こうしてシステムの穴の落ちるようにして、どんな長時間労働を強いられても誰にも顧みられない立場となってしまった勇士さんは、過酷な労働からうつ病となり、請負会社の寮で首を吊って亡くなってしまうのだ。部屋のホワイトボードには、「無駄な時間を過ごした」と書かれていたという。

 そうして00年、母親の上段のり子さんはニコンとネクスターを訴える。4年8ヵ月にわたる地裁の判決では「偽装請負」を実質指摘、企業の責任を認めるものだったが、損害額が3割減額されていた。そうして高裁で争われ、やっと出た今回の判決が「全面勝訴」だったのだ。この判決には、現在も偽装請負状態で働いている多くの人々の未来もかかっていると思っていただけに、感慨深いものがある。
 06年、『生きさせろ!』の取材で私は初めてこの裁判に行った。ネットで見ただけで何の面識もない原告の上段さん(お母さん)にアポも取らずに話しかけ、突然取材を申し入れたのがもう3年前だ。そうして強引にも居酒屋の片隅で取材を敢行。初めて過労自殺の「遺族」の方にお話を聞く緊張で、何か汗だくになったことを覚えている。それから欠かさずこの裁判に通ってきた。時には傍聴券の抽選に外れることもあったけど、裁判後の「報告会」で進行を知り、具体的な裁判の進められ方について多くのことを学び、また、上段さんの紹介でたくさんの良心的なマスコミの人たちや支援者の人々と出会えた。何か裁判を中心として、不思議な「場」が成立していたのだ。
 報告会で、上段さんは言った。

 「派遣・請負という立場で人の評価が変わるような社会は絶対に望まない」
 報告会には、勇士さんのお兄さんと弟さんも来ていた。私と同世代の2人が並ぶのを指して、「ここにもう一人いるんです」と言った上段さんの言葉に胸がしめつけられた。子どもの頃から勇士さんを知るという方々も来ていて、改めて「過労自殺」という言葉では語り尽くせない「不在の人」の存在を強く強く感じた。

 『生きさせろ!』を読んだ人から、上段さんの裁判はどうなったの? と聞かれることは少なからずあった。だからこの日、私は「嬉しい報告ができるので本当によかった」と言った。「おめでとうございます」とも言った。だけど、「勝訴」したからと言って、失われた命が戻ってくるわけじゃない。嬉しい反面、そんな事実を突き付けられる判決でもあったのだ。
 偽装請負は現在も手を変え品を変えて続いている。この判決が大きな突破口となることを願いたい。

近所の黒白ちゃんの子猫。こんなに大きくなりました。

10年前に、すでに表れ始めていた「労働者使い捨て」の現実。
失われた命は返ってはこないけれど、
新たな命が失われないための一歩になることを願います。
上段のり子さんが裁判の経緯などをまとめたホームページ
「派遣社員過労自殺裁判〜「派遣」へのメッセージ〜」
ぜひごらんください。

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