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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://www3.tokai.or.jp/amamiya/

生きさせろ!
雨宮処凛の闘争ダイアリー

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年越し派遣村のお正月。の巻

 日本はここまで崩れてしまったのか・・・。

 12月31日、「年越し派遣村」が始まった日、日比谷公園の「派遣村」の光景を目の当たりにして、そう思った。

 公園に張られたテントから溢れそうな人々、医療ブースに担ぎ込まれてくる体調を崩した人。とにかく、身を切るような寒さで1分たりともじっとしていられない。大晦日のこの日、日本の大多数の人があたたかい家の中で紅白を見たり美味しいものを食べたりしているまさにその時間、100人以上の人が住む場所を失い、所持金も底を尽き、派遣村に集まっていた。

 若い人もいれば、中高年の人もいる。体調を崩した若い男性が真っ青な顔で布団にくるまって震えているのは野外だ。本当に、本当にここが日本なのか?

 何度もそう思った。「派遣切り」という言葉の現実が、目の前にあった。それはまさしく、今にも命が危ぶまれる状況だ。

 だけど、それで驚いているのは早かった。派遣村が始まった日から入村者は続々と増え、300人を超える。たまたまラジオで情報を知って他県から歩いてきたという人や、派遣の仕事がなくなり、ネットカフェ生活を長くしていた若者などがいた。派遣村が開催された日比谷公園にはキャンプ用のテントがずらっと並んでいる。が、増え続ける入村者の数に追い付かず、冷たい土の上の張られた小さなテントに4人で入るという状態だったという。そして1月2日、パンク寸前の派遣村の実行委員会の申し入れを受け、派遣村の目の前の厚生労働省の講堂が開放された。

派遣村の休憩所のテント。とにかく外は寒い・・・。

 私は31日、1月2日、4日と派遣村を訪れた。31日の夜は「朝まで生テレビ」に出演。私も「派遣村」村長の湯浅さんも、フリーター全般労組の山口さんも首都圏青年ユニオンの河添さんも非正規労働センターの龍井さんも、派遣村からテレビ朝日に直行した。番組を見て頂いた方はわかると思うが、そこでみんなで厚生労働副大臣の大村氏に「とにかく派遣村に来てくれ」と要請した。そうして湯浅さんや実行委員会の人々の努力があって、厚生労働省の講堂が開放されたのだ。

 1月4日、開放された講堂を見た。270人が滞在しているという体育館のような講堂には布団や毛布がずらーっと並べられている。それはどこから見ても、大地震などが起きた時の「被災地」の光景だった。その日の炊き出しには、午後7時半からの夕食に、6時前から何十メートルにもわたる長い長い行列ができていた。

 いったい、この国はどうなってしまったのだ ?
 目の前の光景がただただ信じられなかった。だけど、そんな中にもたくさんの善意があった。公園に山積みにされた食料は、いろいろな人がカンパしてくれたものだという。お米や野菜、果物などなど。そしてボランティアで活動する人々。仕事はあまりにも多岐にわたる。トイレ掃除からゴミ集め、炊き出し、また労働相談や生活相談を受け付けている専門家の人々、お医者さんなど。実行委員会の人々もフル稼動で働いている。お正月でみんなが休みの時期、1日中寒い中走り回る人々。もちろんボランティアで。この問題は当たり前だけど政治の問題であり、明らかな人災だ。その責任逃れに終始し、現実をまったく見ようともしない政治家や大企業の経営者たちと、お正月休みを全部潰して当然1円にもならないのに走り回っている人々。

 1月4日、派遣村で「村民集会」が開かれた。5日朝までは派遣村が存続するわけだが、今後どうするのか、という不安を村民の誰もが抱えている。住む場所もなく、仕事もない。そんな「今後の見通し」についての集会だ。その集会には、民主党の管直人氏、共産党の志位和男氏、社民党の福島みずほ氏、国民新党の亀井氏、新党大地の鈴木宗男氏らが参加して発言した。この日だけでなく、派遣村にはたくさんの政治家が訪れた。どの党が来て、どの党が一度も来なかったのか、確認していつまでもしつこくずーっと記憶にとどめておきたいと思う。誰が来て、誰が来なかったのかも。私の知る限り、「痛みを伴う構造改革」とか言ってたような人の姿は見かけていないし来たとも聞いていない。彼らはその「痛み」の結果を決して直視しようとはしない。

管直人氏が派遣村に来る。

 いったい、こんな最悪の年明けを、誰が予想しただろう。というか、もし「派遣村」がなかったら、派遣村に訪れていた人々は、どうやって年を越したのだろうか。「ここがなかったら、今日首を吊ろうと思ってた」という人もいたという。派遣村であまりにも厳しい現実にショックを受け、そして改めて、「責任」を放棄している大企業や国に対する怒りを感じたのだった。

 今年の年末には、もう「派遣村」なんて作る必要がなくて、みんなが家で過ごせてますように。というか、この冬を無事に越せますように。って、なんで新年にそんなことを願わなくちゃいけないのだろう。

派遣村で鈴木氏と辻元氏の和解(?)も成立

年末年始、ニュース番組に映し出される光景に、
思わず言葉を失った人も多いのでは。
ボランティアなどの「たくさんの善意」はもちろん貴重ですが、
それだけに頼るのでない、政治の決断、行政や企業の一刻も早い行動が必要です。

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