戻る<<

雨宮処凛がゆく!:バックナンバーへ

雨宮処凛がゆく!(009)

070530up

あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を尋ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://www3.tokai.or.jp/amamiya/

アマゾンにリンクしています

※アマゾンに
リンクしてます。

「右翼」と「左翼」、の巻

 最近、「右翼と左翼はどうちがう? 」という本を出版した。河出書房新社で「14歳の世渡り術」という新シリーズが誕生し、書かせて頂いたのだ。内容は、「14歳にもわかるように右翼、左翼について噛み砕く」というものだ。
 これが難しかった・・・。そもそも、現在32歳の私にとって、リアルな「右翼」像、「左翼」像というものはないに等しい。そういった運動に一切関わらず、考えることもなく、生きていこうと思えば全然生きていける。普通に恋愛とか消費活動とかしてそれに思いきり満足して、政治に無関心、無関係という自覚すらなく、「大人」のフリをして生きていこうと思えば、まったく何の問題もなく生きていける。
 しかし、私はそれが怖かったのだ。そもそも、自分が生きている国や社会について知らないことはとても怖い。そしてその怖さを思い知ったのが、20歳の頃だった。

 7月頭に発売される「論座」で「ロストジェネレーションと戦争論」という文章を書かせて頂き、そこでも触れたのだが、私が20歳の時、オウム事件と阪神大震災と「戦後50年」という「大事件」が重なった。この3つのインパクトがなければ私は絶対に「政治」「社会」などに興味がなかったと断言できる。当時の私はバンギャ(ヴィジュアル系バンドが好きな女子の総称)で、頭の中にはヴィジュアル系バンドのバンド名とライヴ日程くらいしか入っていなかった(どんだけバカなんだ? )。
 しかし、その3つの「事件」を通して、自分が生きる社会に無関心でいることが不可能となった。一番大きな衝撃はオウム事件だ。サリン事件後、テレビでは連日、若者たちが宗教にひかれたことについて、戦後の教育、戦後の日本の価値観が間違っていたのでは、なんて議論が繰り返された。「心の時代」「心の教育」なんて言葉も流行した。ある日ふと、リストカットしながら、思った。もしかしたら私の感じる生きづらさは、個人の問題だけでなく、この社会とも関係あるのではないのか?

 リストカットの原因は中学時代に受けた「いじめ」に遡る。何十人もの男女を狭い教室に閉じ込め、そこで競争を煽りまくる中、いじめが起こるのは当然だと思っていた。そしてそんな競争に勝ち抜いたって、せいぜい「いい会社に入る」程度の自由しかないのだ。なんだか出口がなかった。20歳の頃、そんな私の目の前に忽然と現れたオウムは、戦後の「物質主義」や「拝金主義」と言われる価値観を思いきりブッ壊した気がした。だって、どれほど競争に勝ち抜き、人を蹴落とし、成功し、大金を得たってそれが何になるというのだろう。それが一瞬で瓦礫の山になることを、私はそのたった2ヵ月前、阪神大震災という形で目撃していた。
 その夏、私は戦争のテレビばかり見た。「戦後日本」への違和感が決定的となった私は、戦争とは何だったのか、知りたかった。テレビの中には、原爆で全身が焼けただれた人々、死体の山、敵に突っ込んでいく私と同じ年くらいの特攻隊。なぜ、彼らが死ななければならなかったのか、そればかりを考え、そうして「子々孫々のため」という言葉にいきあたった。この時の、どうにもならない罪悪感。「子々孫々」の一人である私は、戦争のことなど何も知らず、考えもせず、日々「個人の最大幸福」を追求して生きている。あの瞬間、私は「平和な時代に生まれてしまった罪悪感」にがんじがらめになった。

03年、開戦前夜のイラク・バグダッドでなぜかサッカーをする私。この時のイラク訪問団も右翼・左翼入り乱れてたなぁ。ちなみに私の初めての海外旅行は元赤軍派議長に連れていってもらった北朝鮮(全部で5回行った)、二度目の海外旅行は一水会の木村さんに連れていったもらったイラク(二回行った)でした。

 だからこそ、私は右翼団体に入ったとも言える。戦争について、戦争で死んだ人について、どう思えばいいのかわからないことが辛かった。学校では犯罪者のように言われた戦争にかかわった人達と、右翼思想に触れて私の中で「英雄」となった戦死者。自分のスタンスが決まった瞬間、「平和な時代に生まれた罪悪感」から解放された。愛国パンクバンドを結成し、日本人の覚醒を訴えた。しかし、私のやっていた愛国パンクバンドのメンバーの一人は左翼だった。ここに一切政治の洗礼を受けていない世代の妙な軽やかさ(というか節操のなさ)がある。私たちは右翼二人、左翼一人で「愛国パンクバンド」をやっていたのだ。そこに思想的な対立はほとんどなかった。「今の日本がおかしい」というその一点でのみ、結びついていたから。

 その後、右翼団体もバンドも辞め、いろいろと自分の考えも変わった。そして今、プレカリアート運動にかかわり、人から左傾化を指摘される。が、どちらにも共通しているのは、多くの人が生きづらい今のこの国は嫌だ、という一点だ。そしてそこで浮かび上がるのは、現在の資本主義のあり方に対する疑問である。この点において、自分はブレていないと思うのだ。
 さて、この本では、そんな自分史も含め、右翼、左翼についてできる限り噛み砕いた。もっとも読んで欲しいのは、6人の活動家へのインタビューである。右からは一水会の木村三浩さん、統一戦線義勇軍の針谷大輔さん、野村秋介氏の元秘書の古澤俊一さんに話を聞き、左からは大田昌国さん、足立正生さん、日野直近さんに話を聞いた。6人とも、右翼や左翼という言葉ではとてもくくれないような活動をしている人達だ。6人の方々と話をして、戦争や憲法、教育、資本主義、格差社会、そして生きることそのものについて、ものすごく考えさせられた。同時に非常に元気になった。現状に違和感をまったく持たない人と話をするとたまらない無力感が襲ってきて時々死にたくなるが、活動家と言われる人達と話すとものすごく面白く、意味もなく活力が湧いてくる。

「世界のことなど考えなくても、自分が幸せだったらそれでいい」という人もいるだろう。が、自分がどれほど幸せでも、世界は矛盾に満ちている。以前、スピリチュアル系みたいな本で、「とりあえず自分が幸せになることを考え、世界のことなど考えなくてもいい」というような記述を見つけた。それを読んだ瞬間、心底恐ろしくなった。ファンシーな装丁の本でこういうことを書ける人の、ものすごく無自覚な冷酷さこそ、無意識のテロリスト風味だと思うんだけど。

従来の右翼でも左翼でもない、新しい「政治的な世代」の誕生。
日本はこれから、「経済から政治の時代」へと、舵が切られるかもしれない。
雨宮さんの登場によって、そんな予感を強くする、今日このごろです。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条