マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

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これまでの「今週のマガジン9」

'11.12.28+'12.1.4

VOL.336

カンパ、ありがとうございました!

 今年度(2011年)に皆様から寄せられたカンパは、1,225,110円でした! 本当にありがとうございます。全て「マガジン9」の運営費にさせていただきました。報告はこちらです。

 今まさに、私たちにとって忘れられない年となるであろう2011年が暮れようとしています。皆様それぞれの2011年、そして3・11を想いながら新しい年への希望や決意のようなものを、考えていらっしゃることでしょう。

 「マガジン9」の決意は、「とにかく生きのびて、2012年も毎週更新を続ける」ということです。ほぼ手弁当で続けているような小さな独立系のネットメディアですが、今年は大きな存在意義を感じました。テレビをはじめとするマスメディアよりも、信頼できるネットメディアやシンクタンクから発信される情報の方がより迅速で正確である、変なバイアスがかかっていない、ということに確信を持てたからです。

 全てがそうとは言いませんが、特に原発事故をめぐる報道や情報においては、多くの場面でそうだったと思います。まさに先日、野田首相は原発事故の収束宣言をしましたが、そんなこと誰も信じていません。まだまだ事故は進行中であり、これからが本当に大変な時を迎えます。

 そして、今月27日には、平和主義に基づく重要な国是であったはずの「武器輸出三原則」の緩和が、国会論議にかけられることさえなく決定されました。春には自民党が国会に改憲案提出を検討していると伝えられるなど、「改憲」をめぐる動きが再び加速化していることにも、強い危機感を覚えています(これについては、新年号以降で「憲法」に関する特集を行う予定です)。

 ということで、私たちはまだまだ「マガジン9」をやめるわけにはいかないし、全てのコンテンツが無料で購読できる(過去のアーカイブも含めて)というところにこだわって続けていきたいと思っています。いつでも好きな時に誰もが読めるように、ちょっと余裕のある方は、私たちの活動を支えて欲しい。一緒に「マガジン9」というメディアを育てて欲しいのです。

ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします!

'11.12.21

VOL.335

北朝鮮の国境の風景から

 「彼ら(北朝鮮企業の経営者)と付き合って驚いたのは、とても勤勉かつ商魂たくましいことです。きちんと約束は守るし、法律上の障壁があっても、簡単には諦めない。必ず自分たちで何とか解決しようとする」

 昨年秋、中国吉林省・延辺朝鮮族自治州の州都、延吉市で会った日本人の貿易商の男性はこう語っていました。中国語も朝鮮語も堪能な彼は同市を拠点に北朝鮮北部の港町、羅津の水産加工会社から水産物を日本に輸出し、日本からは中古の家電製品を北朝鮮に輸入する仕事をしていました。しかし、2006年に対北朝鮮経済制裁が発動されて以降、交易は途絶えているそうです。

 「ぼくらが北朝鮮に入るときは四六時中、相手企業の社員がついてくるのですが、ときどきその隙を縫って子供が声をかけてくるんです。『マツタケ買わないか』って。みんな、豊かになりたいんですよ」

 延吉の市場では北朝鮮産のマツタケがたくさん売られていました。延辺朝鮮族自治州の人口の半分近くは朝鮮族です。同州は北朝鮮と国境の川を挟んで接しています。延吉市の隣の図們市に足を伸ばすと、市内に流れる図們江の向こう岸はすぐ北朝鮮。歩いて渡れる距離でした。

 そこは中国人の観光スポットになっていました。近くの駐車場には観光バスが続々と到着し、ツアー客が降りてきます。彼らを当て込んだ土産物屋は金日成や金正日のバッチのレプリカや、北朝鮮の貨幣セットを売るのに余念がありません。岸辺の船上レストランからは陽気な民謡のような音楽と、中国人の団体旅行客の笑い声。レストランの隣の小さな船着場ではボートを貸し出しており、十組くらいの観光客が国境の川でオールを漕いでいました。

 一方、対岸に人の気配はありません。ときどき山羊が川岸の草むらから顔を出して、こちらの様子をうかがうくらい。北朝鮮からは飢餓の危機さえ伝えられるなか、国境周辺で食事をし、ボートを楽しむなんて、なんだか悪趣味だなと思いましたが、緊張感のなさの表れでもあるのでしょう。

 図們市からクルマで1時間ほど東へ走ると、中国、北朝鮮、ロシアの3国間国境に辿りつきます。遠くに日本海を望む高台からはロシアと北朝鮮を結ぶ鉄橋が見下ろせました。今年10月にはその鉄道ルートの改修工事が完了し、初の試験運行が実施されたそうです。近く対北朝鮮国境のハサン駅から上述の羅津までを結ぶ五十数キロのルートが開通します。また、ロシアはシベリア産の天然ガス用パイプラインを北朝鮮経由で韓国まで敷設する計画を立てています。

 北朝鮮の最高指導者、金正日・朝鮮労働党総書記の死去の報を聞いたとき、私が思い出したのは対北朝鮮の国境の風景でした。私たちが日頃接する北朝鮮の映像はマスゲームや軍事パレードばかりですが、東北アジアにおける経済交流は少しずつ動いています。そこに日本が関わっていくことの意味は小さくないのではないか――図們江に掛かる橋を往来する中国のトラックを見ながら、そんなことを考えていました。拉致問題を解決するためにも、これまでとは違ったアプローチが必要なのではないか、とも。

(芳地隆之)

'11.12.14

VOL.334

オフレコ懇談会は必要なのか

 ロシアを含む欧州の新聞では「○○は、それ以上のコメントはしなかった」とか、「当紙はそれ以上の情報を入手できなかった」という文言をときどき目にします。

 取材対象者に迫っても、本人が口を開かなかったということでしょう。自らの限界を明言する報道姿勢に読者はフラストレーションを感じるかもしれませんが、少なくとも、その媒体は信頼できると思う。憶測や伝聞を報じないとの意思が伝わるから。ちなみに「取材対象者が情報を提供することを拒否した」というのも価値ある情報です。

 先月末、田中聡・沖縄防衛局局長が報道各社の記者との懇談の席で、米軍普天間飛行場の移設計画に基づく環境影響評価の評価書の提出時期について、「犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したことが報じられ、更迭されました。沖縄県民の多くは、1995年9月に起きた普天間基地・米海兵隊員たちによる小学生少女拉致・暴行事件を思い出したことでしょう。これについては仲井眞・沖縄県知事も、「口にするのも汚らわしくて、コメントする気もない」と語りました。当然です。

 ところで那覇市内の居酒屋で行われたというオフレコの記者懇談会とはいったい何なのか。その場にいた全国紙や地元紙、テレビ局から計9人の記者がいたそうですが、琉球新報の記者のみが問題として取り上げました。同紙が沖縄防衛局に記事にすることを伝えると、同局は琉球新報に「出入り禁止措置を取ることもありうる」と通告したそうです。

 オフレコ取材とは「真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法」というのが日本新聞協会の見解です。でも、それは同業他社の人間が集まって、お酒を飲みながら語り合う場ではないはず。

 オフレコ懇談会で書けないことをため込むくらいなら、正攻法で向かって、情報が出されないこと自体を報道し、情報公開を迫った方がいい。そうすればメディアは読者や視聴者とスクラムが組める。ところがオフレコ記者懇談会は逆。取材対象者とスクラムを組んでいるように見えます。

 情報を独占しているという意識は、ときに人を傲慢にします。先の発言は沖縄県民を見下すような視線が生んだものではないでしょうか。報道機関が同じ目線をもってしまったら、それは自殺行為にほかなりません。出入り禁止にされるのと、読者や視聴者の信頼を失うのと、どちらがメディアにとって致命的ですか?

(芳地隆之)

'11.12.07

VOL.333

自分の立ち位置を伝えること

 「ナショナルなものへの意識なくして、インターナショナルにはなりえない」

 20代半ばの私が外国へ留学することになった際、学生時代の恩師がしきりに語っていた言葉です。異文化の中で暮らせば、否応なく己の出自を意識させられる。だから前もって、日本という国家とその国民はどのような様相をしているのかについて、自分なりに考えておけ。それなくして、世界について語ることはできないのだ、というのです。

 俺の頭ではとてもじゃないが難しすぎる。そう思った私は、とりあえず日本の近現代史の年表を自前でつくってみました。直近の歴史を振り返れば、何らかの手立てが見つかるだろうと安易に考えたからです。案の定、たいした発見はできなかったのですが、いざ相手国の人間や私と同じ外国人留学生らと話を始めると、朝鮮戦争、中国の文化大革命、ベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻など重要な現代史上の出来事が当たり前のように出てくる。そこが壁に分断されたベルリンという極めて政治的な都市だったこともあるのでしょう。年表づくりは多少の役に立ちました。

 先の言に加え、私の恩師がもうひとつ強調していたのは「(ナショナルを意識した上で)世界の在り方に対する自分自身の考えをもて」ということでした。

 いくら外国語を流暢に操れても、どれだけ気の利いた言い回しができても、「私はこのことについて○○と思い、○○にすべき(であるべき)と考える」といった自分の立場を示せない人間は相手にされない。黙って他人に同調するくらいならば、あえて異論を挟め、その方が結果として互いを理解しあえる。そんなことを言われたと記憶しています。

 これは国と国との関係にも当てはまるのではないでしょうか。たとえばTPP(環太平洋経済連携協定)について。これに参加しないとアメリカから冷たい目で見られるのではないか――TPPに関する政府首脳の言を聞くに、アメリカの顔色を気にするあまり、TPPとはどういうもので、日本にとってどのようなメリットやデメリットがあるのかという肝心の議論が置き去りにされているように思えてなりません。TPPを推進すべしとする政治家や評論家の言い分も「(参加しないと)日本は鎖国に逆戻りする」とか「世界の時流に乗り遅れてしまう」といった抽象的な脅し文句の類が多い。

 もしアメリカが日本に冷ややかな態度をとるとすれば、それはTPPに参加しないからではなく、日本が自らの立ち位置をはっきりさせないからでしょう。

 列強の外圧を受けて、国内政治を動かそうとする約130年前の維新的な発想から、私たちはそろそろ卒業する時期にきたのではないかと思います。

(芳地隆之)

'11.11.30

VOL.332

あなたのクニはどこですか?

 「クニの母は元気です」とか「家内がクニに帰ってしまいまして」といった「クニ」という言葉の使われ方がなされなくなって久しく経ちます。いまなら、前者は「田舎の母は元気です」、後者は「妻が実家に帰ってしまいまして」と言うところでしょう。

 かつて「クニ」は「国」だけではなく、「邦」のことでもありました。現在の私たちにとっては「故郷」とほぼ同義語かもしれません。

 故郷といえば、「うさぎ追いし かの山」で有名な歌詞のように、離れても忘れがたき地として、イメージする人が多いと思います。でも、少し歴史をさかのぼれば、そこでは飢饉があり、一揆が起こり、都会へ出稼ぎにいかなければならない現実もあった。故郷は人を包み込む優しさとともに、悲しい記憶とも結びついていると思うのです。だから近代国家は人々を貧しさや地縁・血縁のしがらみから解放し、等しく学ぶ機会を与え、立身出世の道を拓いてくれる存在として、「国民」に受け入れられたのではないか。そんなふうに想像します。

 それ以来、「国」は「邦」よりも優勢を保ってきました。ところが近年とみに日本という国の金属疲労が深刻になっているように思えます。先の大震災で、私たちは国家の機能が東京に集中していることの危うさを痛感させられました。福島第一原子力発電所の事故では、「国」が原発周辺地域に住む人々の「邦」を奪ってしまう光景を見せつけられました。

 この間、マスメディアはしきりに「絆」を連呼しています。「国」が失った信用をつなぎとめようとしているのでしょうか。でも「絆」は国民レベルの漠然としたものではなく、もっと小さな「邦」において可能なのではないかと思うのです。

 たとえばお金は地元の信用金庫やJAバンク、労働金庫などに預ける。あるいは金融NPOを設立して、江戸時代の「頼母子講」のような、仲間を支援する庶民の相互融資の仕組みをつくる。自治体では再生可能エネルギーを促進し、自前で電力を賄っているところがあります。一定のエリア内で金融活動やエネルギーの自給がある程度確立できれば、それを食や教育、あるいはメディアの立ち上げにまで広げていけるかもしれない。

 地方の首長選挙では「○○県(or府or都)から日本を変える!」みたいなスローガンをよく耳にします。でも、日本を変えたいのであれば、国政選挙に打って出ればいい。テレビでよくやる「世界における日本はどうあるべきか」とか、「明日の日本の針路はどうした」といった大仰な議論は口角泡を飛ばす評論家にお任せして、自分たちは「変わらず大切にしたいもの」を「邦」のなかでつくっていこう。

 先の大阪ダブル選挙の結果を聞きつつ、そんなことを夢想していました。

(芳地隆之)

'11.11.23

VOL.331

原発をどうするのかを決めるのは、誰?

 雑誌「通販生活」の「放映されなかったテレビCM」が今、ネット上で話題になっています。
 発端は、コラムニストの天野祐吉さんがご自身のブログで「もうご存知の方が多いと思うけど、このCMの放送がテレビ局で断られたんですって」と書かれたこと。twitterやブログであっと言う間に広がり、昨夜のヤフーニュースやニコニコ動画でも取り上げられていました。

 このCM、カタログハウスが発行している『通販生活』の秋冬号巻頭特集テーマを簡潔に表現したもので、大滝秀治さんのナレーションも印象的で、相当なインパクトを与えています。(そのあたりについては、今朝〈11/23〉の朝日新聞の天野さんのコラムに書いてあると思われます。)これを見たら、ある人は「通販生活」を買って読みたい」と思うだろうし、カタログハウスの企業姿勢に共感する人もいるだろうし、その逆もあるだろうし、「原発国民投票」という言葉が耳に残って何だ? と興味を持つ人もあらわれるかもしれない。そう思うと、このテレビCMが不特定多数の人が見る、ゴールデンタイムで流れなかったことは、とても残念。

 ところでなぜ、テレビ局はこのCMの放映を拒否したのか? 「通販生活」は、これまでも雑誌の発売日にあわせて特集テーマを取り上げたテレビCMを制作し、それはテレビ朝日系列の番組で放映されてきました。今回も、「(意見広告ではなく)単に雑誌の巻頭テーマを紹介しただけ」ということだったのでしょうが、その主張は通らず、「国民の意見の分かれる事柄については、放映を控えたい」ということらしいです。

 しかしこのCMでは、反原発も脱原発も言ってはいませんね。「原発をどうするのか決めるのは、政治家でも電力会社でもなく、主権者である私たちひとり一人です」ということを言っているので、「原発をどうするかを決めるのは、国民ではない」とする意見への配慮になるわけでしょうが、さて、みなさんはどう考えますか? ちなみに、「マガ9」でも「原発国民投票」については、「原発国民投票は日本で行えるのか?」で、取り上げています。

(水島さつき)

'11.11.16

VOL.330

All men are colored, all.

 私事で恐縮ですが、先月末、ベルリンから知人の訃報が入りました。ライナー・シュラーダーさん。1940年、ナチスドイツ占領下のチェコの首都プラハに生まれ、敗戦後の収容所暮らしを経て、ソ連軍の占領下にあった東ベルリンへ。東ドイツ時代は自由ドイツ労働総同盟の文化部長として演劇活動に携わり、1980年代には来日の経験もあります。その後はベルリンの壁崩壊、ドイツ統一、ユーロの導入と、国家の崩壊・分裂・消滅・統合と激動の20世紀を凝縮したような時代を歩んだ人でした(5年前に彼と奥さんのベーベルさんにインタビューをしたことがあります)。

 いまヨーロッパでは、ギリシャ、そしてイタリアの財政危機が深刻の度合いを増しています。ユーロ圏主要国は支援策を打ち出しているようですが、財政再建できない国はユーロを手放さなくてはならないかもしれません。欧州は再び歴史の試練に立たされているように見えます。

 1988年秋に当時の東ドイツへ留学した私は、ライナーとベーベルの住む東ベルリンのアパートによくお邪魔し、社会主義国における自由の抑圧の問題や資本主義国の行き過ぎたコマーシャリズムについて意見を交わし、ドイツ人と日本人の気質の違いに笑い、「東ドイツでいかに新鮮な魚を調達し、サシミをつくるか」に頭を悩ませていました。硬軟ごちゃまぜの話題で盛り上がりつつ、私は夫婦から世界の見方を学んだような気がします。

 あるときライナーが私に興奮気味に語りました。

 「今日、地下鉄のホームでポスター見つけた。いろんな国の人のイラストの上に"All men are colored, all."って書いてあるんだ。ドイツ語だと"Alle Menschen sind farbig, Alle."人間みんな色つき。南アフリカの白人が黒人やハーフを『カラード』と言って差別するだろ。でも、あれは大間違い。白人だって『カラード』の一員なんだよというメッセージ、素晴らしいと思わないか」

 南アではネルソン・マンデラがまだ獄中に繋がれていた頃のことです。ベルリンの壁も厳然と存在していました。でも、彼には自由な発想と未来への想像力があった。

 "All men are colored, all"

 街角の小さな出来事について目を輝かせて語る彼が私は大好きでした。

(芳地隆之)

'11.11.09

VOL.329

4月1日入社をやめたらどうか

 大学生の就職難が報じられています。今年は東日本大震災の影響もあり、内定率は低水準で推移しているとのこと。

 「就活」の経験がなく、学校を出てからしばらくフリーター(当時はこういう言葉はありませんでしたが)をしていた私が言っても説得力はないかもしれませんが、新卒一括採用というやり方を、ぼちぼち改めた方がいいのではないでしょうか。

 新卒者を横一列に並べて「よーいどん!」と競わせ、企業が一定数の新入社員をまとめて採用する。ぐんぐんと経済が成長し、大量生産・大量消費していた時代には、ふさわしかったかもしれません。しかし高度経済成長期はとうに過ぎ去りました。人々の求める商品やサービスがますます多様化していく現代に、大学3年生の時点からリクルートスーツに身を包んで会社訪問する慣習が合わなくなっている気がします。

 久しく労働市場の流動性向上の必要性が言われてきました。それを阻害しているのは従来の「日本式」慣例、すなわち年功序列や終身雇用であり、それらを見直せという識者の声も聞かれます。でも4月1日一括入社の採用方法をそのままにして、「日本式」慣例を止めてしまえば、単に非正規労働者が増えるだけでしょう。

 終身雇用が「日本的」なのかも疑問です。たとえば欧州でも、同じ会社に定年まで勤めて年金生活を楽しみにしている人はたくさんいます。日本的雇用形態をやり玉に挙げるマスコミでは、社内で雇用の流動化が進んでいるのでしょうか。むしろ過酷な「就活」を勝ち抜いた人たちの方が、終身雇用や年功序列を求める傾向が強いようにも思えます。

 就活がなくなると、「いい会社に入るためにはいい大学に。いい大学に進むためにはお受験を」といった、4月1日入社をゴールに見据えた逆算の人生設計が変わる。子供たちが歩むレールに支線が増えると、これまでとは違う体質のエリートが出てくるかもしれない。

 グローバルな人材を輩出するためには教育現場がどうの、教師の評価がどうのといった議論があるようですが、その先にある就職活動の在り方を変えれば、周囲がやいのやいの言わなくても自ずと学校の現場は変わる。私はそう思います。

(芳地隆之)

'11.11.02

VOL.328

同調圧力は無責任体制を生む

 不安に感じる人はお弁当にする、大丈夫だと思う人は給食に。そうやってみんなが自由に選択できるようにすることが大切です。

 先週、マガ9学校の講師として来ていただいた、おしどりマコ・ケンさんの言葉です。子供が通う保育園に「放射能汚染が心配だから、自分の子供にはお弁当をもたせたい」と申し出たところ、「神経質になりすぎ」「園の和を乱す」「念書を書け」などと言われている――会場から寄せられたお母さんからの声に対する反応でした。

 当日はゲストとして、いわき市の佐川晴香さん(彼女も赤ちゃんの健康に大きな不安を抱えているお母さんです)、飯舘村の佐藤健太さん(負けねど飯舘プロジェクトの代表メンバー)にも登壇していただきました。お2人からは、国や地方自治体が復旧・復興へ前のめりになるあまり、放射能汚染に対する不安が語りづらくなっている現状について報告がありました。

 こうした強い同調圧力は、他者の意見を押さえつけるだけではありません。事態が悪化したとき、誰も責任をとらなくてすむ空気を生みます。

 数年後、たとえば子供たちの健康に異常が生じたとき、「神経質だ」とお母さんを難詰した保育園や保育園を管轄する市町村が、過去の言動について謝るでしょうか? たとえば原発周辺住民が体調に異変をきたして入院したら、放射能汚染対策をおざなりにしていた自治体が、頭を下げてお見舞いにくるでしょうか?

 正直、想像しづらい。福島第一原発事故の直後、大丈夫、安全です、心配ないと政府や「識者」なる人のコメントをそのまま流したマスメディアが、自ら誤報を修正し、視聴者や読者にお詫びしたという話も聞いたことがありませんし。

 18世紀のフランスの哲学者、ヴォルテールは表現の自由についてこう語ったそうです。

 「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利には賛成だ」

 自分と違う考えを封殺したりしない。私たちが今すぐ実践できる最低限のルールです。

(芳地隆之)

'11.10.26

VOL.327

国民を「ネグレクト」する国家

 昨年7月に亡くなった劇作家、つかこうへいさんは、かつて日本の小劇場ブームをけん引する存在でした。彼がつかこうへい事務所を立ち上げ、本格的に演劇活動を始動したのは1974年。当時、多くの演劇人がアルバイトで生計を立てながら、自分たちの理想や表現を追い求めているなかにあって、つかさんは「役者たちが食っていけるようにする」と公言して憚りませんでした。実際、『熱海殺人事件』や『蒲田行進曲』の強烈な演技で、つかこうへい事務所からは風間杜夫、平田満、三浦洋一(故人)、根岸季江など、優れた役者が輩出されます。そして1982年につかこうへい事務所は解散。その後のつかさんは若き役者たちを、自作の演出を通して鍛えることをライフワークにしました。

 つかさんの芝居を数えるほどしか観ていない私に、作品について語る資格はありません。ただ、役者たちをプロとして「食わせる」と宣言した気概、それを実現した手腕には敬意を表したい気持です。

 子供をもつ親、老齢の親を介護する子供、病気の親族を支える家族、あるいは従業員を雇う経営者など、日々額に汗しながら働き、誰かを「食わしている」人々が世の中にはいます。親が育児を放棄することを「ネグレクト」と呼ぶのは、「食わすこと」をやめた親に対する批判の意味が込められているからでしょう。ところが国家が国民を食わす義務を怠っても、「ネグる」とは言われない。それどころか「自己責任」などという言葉で済まされてしまう。

 それに対する異議申し立てが、ニューヨーク・ウォール街を出発点に、世界各地で連鎖的に発生しています。

 経営危機に陥った大手金融機関は税金で救済され、そのトップ(1%)が天文学的な報酬を受けとるのに、どうして私たち(99%)は高額の学費や医療費の支払に苦しみ、職を見つけることもままならないのか――アメリカで抗議の声を上げているのは、これまで社会の安定を支えてきた中間層が中心です。少数の富裕層とその他大勢の貧困層へと社会が二分化されていくことへの怒り。社会主義の復活ということではありません。お金持ちを優遇するばかりで、いかに国民全体を食わしていくかに腐心しない政府に、「国家を運営する資格はあるのか」と問うているのだと思います。

 どうやって「みんな」で食べていくか。そういう議論がもっとあっていい。

 ちなみに、つかこうへいはペンネームです。在日コリアン2世である彼の日本名は金原峰雄。自分の出自については『娘に語る祖国』などで語っています。劇作家「つかこうへい」の由来は、「いつか公平」だと友人から教えてもらいました

(芳地隆之)

'11.10.19

VOL.326

優先順位を決められない政治

 日本政府は先週、全ての武器および関連技術の輸出を禁止する武器輸出三原則を緩和する方向で検討に入りました。実現すれば、国内防衛産業の技術力向上などにもつながるとして、野田佳彦首相は11月に予定されている訪米の際、オバマ大統領にその旨を表明する意向だということです。

 民主党の前原誠司・政調会長が、ワシントン市内で武器輸出三原則の見直しについて言及したのは1カ月ほど前でした。自国の重大な基本方針の変更について、それを国内で問うことなく、外国で語ってしまう前原氏に、彼の立ち位置を見る思いでしたが、同氏の発言は政府の意向を酌んだものだったのでしょう。

 私たちの国の統治者にとって、3・11とは何だったのか? そう問わずにはいられません。福島第一原子力発電所からいまも放射性物質が大気中に放出されているなか、9月22日に国連本部で開かれた原子力安全に関するハイレベル会合で、野田首相は原発輸出を継続すると語りました。

 国内では東日本大震災によって、多くの人々がこれまでの生き方を見直し、新しい社会の在り方を模索している。海外では世界の国々が福島原発事故について「日本の首相がどんな言葉を発するか」に注目している。そうしたなかで「日本は原発で稼ぐ」と述べたのでした。

 「野田さんとか、馬淵さんとか、海江田さんの。どれもすさまじい内容。何が一番すごいって、3・11が起こってない!」と語るのは作家の高橋源一郎さんです。高橋さんは、季刊誌『SIGHT』での内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)との対談で、先に行われた民主党代表選挙の際の演説で、候補者が東日本大震災を過去の惨事として片づけていると指摘します。

 一方の内田さんは、日本が国家存続の危機に立たされているなか、政治家が「現実主義」という言葉を借りて、結局カネの話ばかりしていることに驚きを隠しません。

 「優先順位をつけなくちゃいけないんだけど、それができないんだ。はっきりしているんだよ、1番、国土の保全。2番、国民の健康。悪いけど、景況なんかどうだっていいよ」

 国民にとって何が最も重要かを判断し、その上位から実行に移していく。政治の役割はそれに尽きるのではないでしょうか。この期に及んでそれができない政治家。この国の不幸だと思います。

(芳地隆之)

'11.10.12

VOL.325

脱原発の損得勘定

 「(自国の火力発電用燃料の調達先として)ロシアからの天然ガス輸入に大きく依存することを警戒する中東欧諸国が、国内での原子力発電所の建設・増設を進めようとしているのは承知しています。しかし、(原発の燃料である)ウランはどこから調達するのでしょうか? 地理的に一番近いのは(世界第3位のウラン埋蔵国である)ロシアですよね。しかも、ウランの価格は他のエネルギー源同様、国際市況によって大きく変動します。結局、原発はエネルギー安全保障ならびに経済コストの両面でリスクが高いんです」

 去る10月8日(土)、東京でグリーンピース・ジャパン主催のセミナー「脱原発と自然エネルギーの経済効果」が開かれました。メインの講演者はグリーンピース・ドイツの気候変動・エネルギー部門長であるトーマス・ブリュアー氏。セミナーの後、同氏に「ドイツは脱原発に踏み切ったが、全発電量に占める原子力のシェアが約70%のフランスをはじめ、ポーランドやチェコなど隣国が原発を推進する流れは変わらない」ことについて問うたときの答えが冒頭の言葉でした。

 ドイツは2022年までに国内すべての原発を停止する決定をしました。それに対して同国は「原発大国のフランスから電力を買っているではないか」との批判が見受けられます。ただ、独仏間の電力の貿易収支がドイツ側の黒字になっていることはあまり知られていません(2010年のドイツにおける原子力のシェアは24%でした)。

 電力市場が自由化された欧州では、電力を安い価格で供給する国から買うことができます。ブリュアー氏は、2010年のドイツの原発コストと自然エネルギー利用による純利益などデータを紹介しながら、原発による発電が決して割安ではないと語ります。

 脱原発のいわば「損得勘定」の話です。「だからドイツは、福島第一原発事故からわずか3日間で、(国内原発の稼働期間延長の決定を覆して)一気に脱原発へシフトできたのですね」と言うと、氏は「違う」と答えました。

 「(ドイツの)メルケル首相は国民の『反原発』の声に耐えきれなかったんです。これでは選挙に勝てない、と。だから今回の(脱原発の)決定に一番影響力を与えたのは国民の意思だといえます」

 ブリュアー氏の報告の内容については、近々「世界から見た今のニッポン」のコーナーでご紹介する予定です。

(芳地隆之)

'11.10.05

VOL.324

被災地に見る新しい仕事のかたち

 「(安い労働力を使っての)コストカットやプライスダウンが『企業努力』といわれる。これでは日本の若者の多くが、『仕事は面白くない』と思うのも仕方がないのではないでしょうか。弊社はあくまで地元の方々を雇用し、生地の選択からパッキングまで、すべて『メイド・イン・ジャパン』でやっています」

 こう語るのは宮城県にある縫製会社の常務取締役です。といっても30代後半の若き経営者。彼の会社は3月11日の津波に襲われ、自社製品のほとんどを失いました。高台にあった事務所は避難所として住民に開放し、いまようやく再スタートをきるまでにこぎつけたところです。

 同社は1980年代から1990年代前半まで、大手アパレルメーカーの委託生産をしていました。しかし、バブルの崩壊後、大手が生産拠点を次々と海外へ移すなか、これまでの量産体制は行き詰り、やがて「朝出勤しても、やることがない」状態に。

 「そんなとき社長が言ったんです。『私たちには生地がある、糸がある、ミシンがある。そして何より時間がある。だから各自が自分の服やズボンを縫ってみよう』と。自分が身に着けるものをつくるのですから、従業員は一生懸命縫いました」

 それが大量生産から多品目少量生産へと会社の方向性を変えるきっかけとなったそうです。やがて同社は独自のブランドを立ち上げ、それが海外のバイヤーの目に留まり、輸出も始まります。

 それでも地元の人を雇用し、地元でものづくりをする姿勢は変わりません。「ぼくは、日本の若者のファッションセンスは世界一だと思っています。ところが彼らには、それを具現化するための経験を積んだり、技術を磨いたりする場がない。ぼくたちの後に続く若い世代のための環境づくりも、自分たちの役目だと思っています」

 朴訥な口ぶりとは対照的に、彼にはものづくりのプライドが満ちていました。

 「かつてある方から『会社の理想は、自分が辞めるころに近づく。そのくらいのスパンで考えた方がいい』と言われたことがあるんです。それをいまも胸に刻んでいます」

 こうした経営者がどんどん世に出て、日本の社会を背負っていけば――そう願わずにはいられない出会いでした。

(芳地隆之)

'11.9.28

VOL.323

関東の台所

 9月24日に新聞発表された「福島県二本松市小浜地区産の『ひとめぼれ』から国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)と同じ放射性セシウムが検出。あわせて検査した水田の土壌は1キロ当たり3000ベクレル」というニュースには、えっ、あの二本松で? と驚きを隠せませんでした。

 というのもこのニュースが流れる前日に、農関係の出版物を多く手がける出版社、コモンズが主宰をするシンポジウム『脱原発社会は可能だ』で、福島県二本松市で有機農業を営む、菅野正寿さんの声を聞いたばかりだったから。

 「私たちはこれまで自然の循環を活かし健康な作物・家畜を育てる農業を目指してやってきました。畑の土、田に引き入れる水、堆肥にする里山の落ち葉、家畜に与える草・・・しかしこれら全てが汚染されました。自然に寄り添うほど、放射能に汚染された作物を生み出してしまう。いったいこの不条理をどう考えたらいいのですか?」

 たぶん、この方のお話を直に聞いていなかったら、「原発から50キロで、土壌汚染がそんなにすすんでいる。お気の毒だけど、他で農地を探した方がいいのでは」と、安易に考えたことでしょう。しかし物事はそう単純ではありません。

 首都圏をはじめこれまで関東の台所を支えてきたのは、まぎれもなく福島をはじめとする被災地です。汚染の状況は深刻です。放射能による健康被害について、まだ可視化されていないからといって、楽観視するつもりはありません。でも「汚染されたものを避け続ける」だけでいいのか、という疑問もあります。これらの事故をおこし被害を拡大させた直接の責任は、東京電力と国。しかし、私たちの命を彼らが守らないのと同様に、被災地の命も彼らはきちんと守らないでしょう。とすれば復興に向けて、私たち自身のことと同様に、考えていかなくてはならないことが、あるのではないでしょうか?

 なお、文中に出てきた、菅野さんのお話とインタビューは、「マガ9」でもコラムを執筆してくれている渥美京子さんのブログで読むことができます。是非、訪ねてください。

(水島さつき)

'11.9.21

VOL.322

山河破れて国あり

 「国破れて山河あり」とは中国の詩人、杜甫の詩の一節です。それをもじったのが上記の言葉。作家の五木寛之さんが毎日新聞のインタビューで語っていました。

 「66年前の敗戦のときは大日本帝国は敗れたが、ふるさとの山はあくまで青く、水は澄み、山河は残った、との印象でした。焼け野原になった都市の惨状とは別に。ところが今はそうではない。(略)目には美しき古里のままであるが、見えない放射能汚染が広がっている。しかも牧歌的な風景のなかで草をはむ牛にも内部汚染があったという。(略)2011年の日本は山河が病んでいる、そしてかろうじて国家はある」

 66年前の庶民の多くは敗戦に打ちひしがれながらも、変わらぬ美しさを保つ山河を前に、戦争のない未来への微かな希望をもっていたのではないでしょうか。一方、現在の私たちは先行きの見えない不安を前に立ちすくんでいます。

 私たちの国のあるべき未来を語るはずの政治家は、原子力政策の具体的な方向性を示そうとはしません。それどころか、日々、政争に明け暮れている。破れた山河に何の手立ても打てない国に、はたして存在意義はあるのか。そこまで厳しい問いが突きつけられているかもしれない、といった想像力は働かないのでしょうか。

 昭和史の語り部である作家の半藤一利さんは、同じく昭和史を隅々まで知る保坂正康さんとの対談『「戦後」を点検する』(講談社現代新書)で、近代日本の40年周期説を唱えています。「国をつくるのにも40年、国を滅ぼすにも40年」。京都の朝廷が開国をやむなく認めた1865年からの40年、日本は国を挙げて営々孜々と努力し、日露戦争に勝利しました。その次の40年は、領土拡張の果て、太平洋戦争において完膚なきまでに叩きのめされて終わります。その後は日本が独立を回復した1952年から「成長と繁栄」の40年を送るものの、1992年以降のさらなる40年は、バブル崩壊後の日本が再び滅んでいく過程なのではないか、というのです。

 その半藤さんは、前述の五木寛之さんへと同じ毎日新聞連載のインタビューで、近代日本の40年周期説を覆すには、1945年8月15日を転換点に、戦後日本を見事に造り直したように、2011年3月11日をそうした節目にすべきだと述べています。

 私たちはいま、時代の大きな分岐点に立っている。そう思わずにはいられません。

(芳地隆之)

'11.9.14

VOL.321

9・19は「さようなら原発」5万人集会へ

 「デモをする意味はある。デモをすることで、デモができる社会が作れるからだ。現に今は全国のあちこちでデモが繰り広げられているではないか。デモができることこそ主権在民の証である」というようなことを、9月11日のアルタ前広場で、柄谷行人氏がマイクを握って街宣車の上から語りました。残念ながら氏の話は、警察の車両などの遮断によって、本来は聞いて欲しい、不特定多数の通行人の耳に届くことはありませんでしたが。
 この「原発やめろデモ!!!!」では、不当な逮捕があり、それを受けてのメディアの偏向報道があったりしたため、「デモ」に対するイメージの悪化が心配されます。しかし、そもそも「デモ」に参加する人も「脱原発」を声に出して言っている人も、「少数派」である、ということを再認識させられる、出来事も個人的にはありました。

 久しぶりに集まった同窓会にて。場所は銀座。「原発事故はさっぱり収まらないね。放射能被害がこわいよね」と、私。
 「なんで? ぜんぜん怖くないよ。まったく問題ないでしょ」と、こっちが「ほんと? 良かった!」と思うほど、明るくきっぱりな答え。そしてそういう声が実は多数なんだということに気がつかされました。

 「原発事故、そして東北の震災によって、本当に直接の被害を受けて今も苦しんでいる人たちは、少数の弱者なのです。(戦争と今回の震災事故を並べる論調もありますが)そこが先の戦争とはまったく違うところです。戦争は、国民の多くが身内を戦地におくりそこで戦死し、また空襲によって直接的な被害を受けました。しかし今回、本当に被害を受けているのは、大多数の人ではない。ほとんどの人にとっては、"人ごと"なんです。そこを間違えてはいけません。圧倒的な弱者である被災者への想像力を持つことが求められています。そしてだからこそ少数者の人権を保障する憲法の出番が本来はあるはずなのです」と伊藤真さんは、インタビューで強くおっしゃいました。(インタビュー記事は後日掲載予定)

 「平和的生存権」を掲げている日本国憲法。これをどう使うのか? を言う人の声もまた少数者なのでしょう。しかし今、これを憲法として持っているのだから、それを活かした復興や、原発をどうするのかを考える礎にしていかなくては、と思います。もちろん理念だけでなく、脱原発のロードマップを具体的に描くことも大事になってくるでしょう。
 そして最も大事なのは、人任せではなく主権者である私たちが主張すること。
 主権者なんだから「主張しに!」行きましょう。9.19集会&パレードでお会いしましょう。

(水島さつき)

'11.9.7

VOL.320

「がんばろう」という言葉が嫌いになった

 「『これをみんなで分けて』では、だめ。家族や友達を亡くし、自宅を流され、たくさんのものを失った子供たちには『これはあなたのものよ』と言って、一人一人に渡してあげないと」

 書道の先生をしている知人は、東日本大震災以降、定期的に被災地へ赴き、子供たちに書道を教えるボランティアをしています。そこで書道セットを渡す際、子供たちの反応を見て気づいたそうです。

 被災地の反応はさまざまでした。当初は、避難所になっている学校へ行っても部外者には校門を開けてくれなかったり、「書道どころじゃない」と追い返されたりしたことも。それでも先日、子供たちが書いた作品を東京で展示することができました。そこで募った義援金は、被災地へ送る予定です。

 初めて被災地を訪れたとき、知人は現地で立ちすくんでしまったと言います。無力感に苛まれながら、自分に何ができるのかを問い、そして得た答えが「いま目の前にいる人たちのためにできることを」。

 大震災以降、メディアでは「がんばろう! 日本」が連呼されました。この掛け声は誰に向けたものなのでしょうか。知人が接したような、大切なものを失った子供たちに「がんばろう」はあまりに酷ではないか。それは被災しなかった者同士が互いを鼓舞し合っているようにしか聞こえません。大事なものを見えなくさせている気さえします。

 「『言葉の死』は薄っぺらなスローガンから始まる。言葉が死ねば、自由も個人の尊厳もないがしろにされる」。こう語るのは作家の辺見庸氏です(9月2日付『毎日新聞』「特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 作家・辺見庸さん」)。

 辺見氏は東日本大震災の直前に発行された「朝日ジャーナル復活第2号」で、大地震の発生と原子力発電所の大事故を予言していました。驚くべき洞察力をもつ氏の言葉は、読者の身体に深く潜行していくような力をもっています。

 自分はせめて地に足のついた言葉を紡いでいきたい。大震災から半年を経た今の心境です。

(芳地隆之)

'11.8.31

VOL.319

ロ朝パイプライン構想と新首相

 先週、北朝鮮の金正日総書記がロシアを訪問し、東シベリアのウラン・ウデという町でメドヴェージェフ大統領と会談を行いました。そこでメドヴェージェフ大統領は、北朝鮮の核放棄を条件として、北朝鮮経由で韓国までつなげる天然ガスパイプライン構想について言及したそうです。背景には周辺各国の様々な利害や政治的な思惑があることでしょう。クリアすべき課題は多く、実現の可能性は未知数といわざるをえません。

 とはいえ北朝鮮が6カ国協議に復帰し、核関連活動を放棄すれば、プロジェクトが現実味を帯びてくる可能性はあります。韓国に運ばれた天然ガスを同国で液化すれば、そこからタンカーで日本に輸出することもできる。そうなれば東アジアの政治的、経済的な地図が劇的に変わるのではないか。

 一昨日、民主党の代表選挙が行われ、新代表には野田佳彦氏が選出されました。でも私には、正直、前述のニュースほどに関心を引くものではありませんでした。

 野田氏が民主党代表としてまずやるべきこととして掲げたのは増税と大連立です。財政再建も政権運営も重要課題であることは承知しています。しかし、国内のみならず、世界が福島原発事故の収束の行方に注目するなか、訴えたのが消費税の引き上げと自公民3党合意によるマニフェスト見直しでは、悲しすぎる。

 日本の政治が内向きになっている間も、アジアは確実に変化しています。野田氏が内閣総理大臣として、どんなメッセージを発するのか。まずは彼の言葉を待ちたいと思います。

(芳地隆之)

'11.8.24

VOL.318

私たちの足下にある未来

 毎年夏に香川県の実家へ里帰りする際、JR予讃線の丸亀駅でよく降ります(実家はさらに西部の小さな町にあるのですが、最寄りの駅が無人駅なので特急列車は止まらないのです)。丸亀駅前には同地出身の芸術家、猪熊弦一郎の名を冠した現代美術館があり、帰省の度にその広々としたモダンな空間で時を過ごすのを楽しみにしているのですが、丸亀市で有名なのは何といっても「うちわ」。

 全国シェアの9割を占める丸亀市のうちわ業者には、福島第1原発事故の影響による節電ムードから、春以降、全国の団体や企業から注文が殺到したそうです(前年比2倍)。休日稼働やアルバイト増員で何とか対応するなど、生産者は大変だったと思いますが、今後、生活用具として「うちわ」の実用性が見直されることで、来年以降も需要が高まり、少しでも雇用が生まれたらいいなと願わずにはいられませんでした。

 そういえば予讃線の特急列車の冷房が寒く感じられました。エアコンの設定温度を例年より上げている東京電力管内で生活していたので、身体が暑さに慣れたのでしょう。猛暑だってうちわと扇風機があれば凌げると思った次第です。

 同じ四国の高知県には梼原という町があります。四国カルストという台地に位置する、年平均風速が全国市町村中2位の同町では、前町長の中越武義さんの下、住民が中心となって1999年にデンマーク製の風力発電を設置しました。その後、梼原町は風力、太陽光、地熱、小水力、バイオマスと自然エネルギーを次々と採用。いまでは役場や学校、住宅に太陽光発電を取り付け、余った電力は四国電力に売っています。財政状況は県内トップクラスだそうです。

 私は四国のあるお寺の住職さんから、梼原は今から1100年以上前、先人たちが大変な苦労をして開拓した町だと聞きました。そうしたフロンティアスピリッツが現在の自然エネルギーの町づくりにつながっているのかもしれません。

 私たちの足下にはまだ色々な未来が隠れている。そんなことを思わされた夏休みでした。

(芳地隆之)

'11.8.10+17

VOL.317

「核」と向き合う夏

 8月9日、田上長崎市長の平和宣言のことばが、心に残りました。新聞やテレビなどでも紹介されていますが、ここにも一部引用しておきます。

〈「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖におびえることになってしまったのでしょうか。
 自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか・・・、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。〉

 ヒバクの恐ろしさをどこよりも知っている私たちがどうして? 
 国内外の誰もがそう思う疑問です。その答えは、一人の被爆者のことばにありました。

 「広島で被爆した私は、あの忌まわしい体験を払拭したかった。核の平和利用という言葉を聞いた時、そうか、これから核は平和で経済発展のために使われるのか。ならば自分も救われる気がした。しかし福島の事故で、60年間信じてきたもの崩れ去った」肩を落としてそう話していました。

 「核」の平和利用というキャッチコピーを思いついた人は、1953年アメリカのアイゼンハワー大統領が国連での演説「原子力平和利用」をした時のスピーチライターか、それとも大統領自身だったのか。いずれにせよこれに日本の政治家、中曽根康弘が飛びついたわけです。

 それから60年近く、私たちは「原子力の平和利用と経済発展」「原発と原爆は別もの」という言葉をセットで擦り込まれ、「原発って危ないかも」と薄々感じていることを口に出すこともタブーの社会に生きることになってしまいました。しかし今、原発は、核分裂をおこし放射性物質を大量に放出しながら発電している「核電力」である、ということは隠しようのない現実として私たちの目の前にさらされています。

 「放射能はなくならないんだよ」とつぶやいた長崎の被爆者のことばは重い。 それでも「廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島のみなさん、希望を失わないでください」最後にそう呼びかけた長崎市長のことばを本物にするために、私たちはこれから何を選択していくべきなのか、自分とそしてまわりの人たちと、考える夏にしたいと思います。

'11.8.3

VOL.316

嫌中からは何も生まれない

 中国浙江省で起こった高速鉄道事故を巡る中国政府の対応が国内外から批判されています。高架橋から落下した列車の運転席部分を現場近くに埋めようとした鉄道省の行為は証拠隠滅の疑いが強く、そもそも事故の原因は人災の可能性が高い。そうしたことが指摘されているなか、翌日には路線が開通しました。

 急速な経済成長の暗部を見る思いですが、日本のメディアがこぞって「日本では考えられない」と驚いてみせるのはいかがなものでしょうか。これを第3国の人が聞いたらどう思うかを想像してみれば、「日本では考えられない」というコメントにニュースバリューがないことがわかるでしょう。

 中国社会における非民主主義的な部分を批判するのは報道機関として当然です。しかし、中国当局の杜撰な対応をことさら取り上げる日本のメディア、あるいは政治家に限って、同国の民主化への関心は低い気がします。中国における民主化運動への共感やそれらを担う人々を支えようといった論調がもっとあっていいのに、中国への嫌悪感を露わにする政治家には、「日本は自由が行き過ぎている」など中国共産党顔負けの発言をする人もいる。

 中国、北朝鮮、ロシアなど、摩擦を抱えた国々を善き隣人にするにはどうしたらいいか。私たちはそのことにより知恵を絞るべきではないでしょうか。それがひいては安全保障につながる。未曾有の大震災に見舞われ、深刻な原発事故の処理に追われている私たちは、もはや旧来型の冷戦思考にとどまっていることはできないと思うのです。

'11.7.27

VOL.315

自分たちの手の届く範囲で生活を立て直してみる

 先週のマガ9学校には多数の方々にお越しいただき、ありがとうございました。
 メインスピーカーは保坂展人・世田谷区長でした。「時々お散歩日記」で御馴染みの鈴木耕さんという格好の聞き手を得て、日本の原子力政策の問題を指摘し、世田谷区独自の電力生産の可能性を語る保坂さんの姿勢からは、市町村レベルの行政が果たす役割の重さをひしひしと感じました。
 福島原発事故を巡る政府の対応やマスメディアの報道の多くは、私たちの信頼を失わせるものでした。私たちには今後、自らの判断で行動しなければならないケースが増えていくと思います。こうした時代、住民の求めるものに最も迅速に対応できるのは区役所や市役所、町村役場なのではないでしょうか。
 先の大震災では、独占企業である電力会社が機能不全に陥ると、電力の供給だけではなく、通信や流通など重要なインフラがすべて働かなくなることがわかりました(大都会では排泄さえままならなくなります)。
 こうしたリスキーな生活を自分の手の届く範囲で立て直してみる必要があるのではないか。こう語るのは哲学者の内山節さんです。川越スカラ座という映画館で『100,000年後の安全』が上映された後のトークイベントで、内山さんは、再生可能エネルギー促進の重要性を認めつつ、それがこれまでのような消費生活を維持するためのものであってはならないと述べています。先日のマガ9学校・第2部(青森・下北半島の核問題を地域社会から考える)のゲストスピーカーとして、地域のなかで原発問題を解決することの難しさについて報告した岡田哲郎さんも、内山さんの発言を引用していました。
 人間の手の及ばない巨大なシステムに依存せず、身近なところで生活を成り立たせる努力をしていくこと。こうした地道な行いが、私たちが抱える問題を解決するための一歩なのかもしれません。

'11.7.20

VOL.314

変わることのリスク、変わらないことのリスク

 なでしこジャパンの快進撃(彼女たちの粘り強いプレー、強靭な精神力にはしびれました。それについては別の機会に)が続いていた7月13日、菅直人首相は記者会見で「原発に依存しない社会を目指す段階に来た」と述べました。
 首相の発言に対し、マスメディアからは「ポピュリズム」とか「場当たり的」といった批判が繰り広げられました。翌日の読売新聞の社説にいたっては「脱原子力発電の"看板"だけを掲げるのは無責任だ」。
 私は、政治家の重要な仕事は「看板」=「理念」を掲げることだと思っていました。それを具体的に実行に移すのが官僚だと。
 新聞社も新聞社なりに自らの無責任な言説には注意してほしいと思います。ただ、ここで大手メディアをすべてひっくるめて批判するつもりはありません。
 7月1日付中日新聞は、同社が主催する中日懇話会で作家の高村薫さんが「変化を求む」と題して行った講演の概要を報じています。高村さんはそこで「日本の現状」「4つの困難」に続き、「旧来構造からの脱却」に関して次のように語っています。
 「決定的に経済界が誤っているのは、企業活動と国民の命をてんびんに掛けていること。国民の命より、経済を優先することはあってはならない。十五万人以上の周辺住民の生活を根こそぎ奪っている現実があるのに、電力不足もない」
 懇話会には中部電力の関係者も出席していたのではないでしょうか。高村さんはさらに、「時代の状況に合わせて変わらなくてはならない時がある。今、変われるかで未来が決まる。変わることのリスクより、変わらないリスクが大きな大転換期に差しかかっている」
 私たちはこれまで「変わらないことのリスク」を選択してきました。しかし、生き残るためには「変わることのリスク」をとるべき時がある。それが今なのではないか。
 高村さんの言葉をしかと受け止めたいと思います。

'11.7.13

VOL.313

東京五輪に反対する理由

 石原慎太郎・東京都知事が2020年夏季五輪招致に意欲を示しています。でも、私には前回の招致活動(2016年の開催地立候補)同様、日本国内が盛り上がるとは思えません。

 五輪開催地の決定には歴史的なストーリーが重要な役割を果たします。たとえば韓国の民主化の機運に乗ったソウル(1988年)、ナチス政権下のベルリン五輪に対抗した人民オリンピックがスペイン内戦で頓挫したバルセロナ(1992年)、近代オリンピック開催から約1世紀を迎えたアテネ(2004年)、新興国として台頭する中国の北京(2008年)、そしてブラジルのリオデジャネイロ(2016年)など。

 しかるに候補地・東京にはそんなストーリーが見当たりません。石原都知事は「東日本大震災からの復興」というテーマを掲げていますが、大震災を「天罰」と言い放ったのは都知事です。しかも福島原発事故に収束の兆しは見えないなか、IOC(国際オリンピック委員会)が東京を選出するのでしょうか。現時点での東京招聘には政治家の個人的な野心しか感じられないのです。

 スポーツには人を勇気づける力があると思います。その一方で一流といわれるアスリートたちが、未曾有の震災を前に「これまで通り、競技を続けていいのだろうか」と自問自答したのも事実。「被災者を励ますつもりで現地に行ったら、逆に励まされた」という言葉は彼らの本音でしょう。

 スポーツが被災地のためにできるのは、世界イベントのアドバルーンを上げることではなく、アスリートが頻繁に被災地を訪れ、たくさんの子供たちと交流することではないでしょうか。

 IOC役員の接待やプレゼンテーションなど招聘のために使う莫大なお金は、どうか本当の「復興」のために使ってください。

'11.7.6

VOL.312

東京五輪に反対する理由

 石原慎太郎・東京都知事が2020年夏季五輪招致に意欲を示しています。でも、私には前回の招致活動(2016年の開催地立候補)同様、日本国内が盛り上がるとは思えません。

 五輪開催地の決定には歴史的なストーリーが重要な役割を果たします。たとえば韓国の民主化の機運に乗ったソウル(1988年)、ナチス政権下のベルリン五輪に対抗した人民オリンピックがスペイン内戦で頓挫したバルセロナ(1992年)、近代オリンピック開催から約1世紀を迎えたアテネ(2004年)、新興国として台頭する中国の北京(2008年)、そしてブラジルのリオデジャネイロ(2016年)など。

 しかるに候補地・東京にはそんなストーリーが見当たりません。石原都知事は「東日本大震災からの復興」というテーマを掲げていますが、大震災を「天罰」と言い放ったのは都知事です。しかも福島原発事故に収束の兆しは見えないなか、IOC(国際オリンピック委員会)が東京を選出するのでしょうか。現時点での東京招聘には政治家の個人的な野心しか感じられないのです。

 スポーツには人を勇気づける力があると思います。その一方で一流といわれるアスリートたちが、未曾有の震災を前に「これまで通り、競技を続けていいのだろうか」と自問自答したのも事実。「被災者を励ますつもりで現地に行ったら、逆に励まされた」という言葉は彼らの本音でしょう。

 スポーツが被災地のためにできるのは、世界イベントのアドバルーンを上げることではなく、アスリートが頻繁に被災地を訪れ、たくさんの子供たちと交流することではないでしょうか。

 IOC役員の接待やプレゼンテーションなど招聘のために使う莫大なお金は、どうか本当の「復興」のために使ってください。

'11.6.29

VOL.311

さよなら、東電

 昨日、開かれた東京電力の株主総会。東電としてはシャンシャンと終わらせたかったのでしょうが、出席した株主は9309人、所要時間は6時間9分と、いずれも過去最大・最長で、株主402人による「原発撤退」を求める株主提案も最後に行われました。

 結果は既に報道されているように、賛成が株主の約8%、反対が約89%で、反対多数で否決されました。そのあたりの経緯については、今週の「おしどりマコ・ケンの脱ってみる?」にも詳しく書いてありますので、お読みください。

 しかし今後も原発の管理を東電に任せられるのか? それは不可能ではないかと思わせるほど、東電のこれまでの対応はひどいものでした。

 原発事故直後、本来は陣頭指揮を執るべき社長が体調不良で入院したとのニュースを聞いたときは愕然としました。まるで汚職の追及を逃れて雲隠れする政治家の姿です。また正確な情報を隠そう、隠そうとする態度も、とても真っ当な企業には見えません。汚染地下水の海洋流出の危険性を前に、自分の会社の株価を心配する姿勢にいたっては、さもありなんと悲しい気持ちになります。

 そんな姿を見せられていたにも関わらず、脱原発は大口の法人株主によって否決されました。大企業同士の株の持ち合いの弊害は、日本の資本主義の特徴として長く批判の対象にされてきました。一方で今回ほど個人株主の存在の重要性を感じたことはありません。動員株主の怒号に負けないほどの迫力で経営陣の責任を6時間にも渡って追及し続けたのは、個人株主の方たちでした。

 定期預金をつくるような感覚でたくさんの個人が小口株主になる。そして総会に出席する。とりわけ電力会社という公共の企業を一握りの大企業の都合に左右させない。それが健全な資本主義の将来につながると感じさせました。

 それにしても、深刻な大事故を起こしておきながら、原発がなくなったら電力が不足するとか、電気料金が上がるとか(原発の研究開発費や宣伝費、地元への交付金などの予算を電気料金に上乗せしてきたことには口をつぐんで)、国民を恫喝するような会社は、市場から退場してもらいたい。

 既存の電力会社による地域独占を廃止し、新しい企業の参入を認め、発送電分離を実現すれば、名乗りを上げる会社や団体は続々と出てくるはずです。それでこそ私たち国民も節電に励めるというものです。

'11.6.22

VOL.310

第二の敗戦

 被爆国の日本は核への反対を続けるべきだった——。6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞した作家の村上春樹さんは、バルセロナで開かれた授賞式のスピーチでこう述べました。

 福島原発事故の収束になすすべをもたない、原子力政策に携わってきた各界エリートの姿を見ていると、核に対して断固NOと言ってこなかった私たちの国が「第二の敗戦」を迎えたのではないかと思えてきます。大震災以降、連呼されている「日本は強い国」や「日本の力を信じてる」といった掛け声は、戦時中の「ほしがりません、勝つまでは」のように聞こえます。

 先日、海江田経済産業相は「原発の再稼働は可能」との見解を公表しました。菅首相も「すべての原発を停止するとは言ってない」と述べています。彼らの言葉からは、安全、安全と自らに言い聞かせながら原発を稼働させ、いずれ来るであろう大地震に怯えつつ、なんとか経済を回していく。そんな後ろ向きで物悲しい私たちの姿しか想像ができません。

 これまでの原子力政策を転換し、再生可能エネルギーの分野で世界のトップを目指そう。たとえば国のトップがこんな声明を発表したら、原子力産業から有形無形の利益を受けている層から強い反発を受けるでしょう。しかし、将来的に少子高齢化と経済規模の縮小が避けられない日本にとって、それは新しい経済生活をもって世界に範を示すチャンスでもある。良くも悪くも日本人には、明確な目標を示されると、それに向かって一致団結する性向があります。だから、できるはずです。

 私は以前のトップページで、アラブの民主化に関連し「新たな世紀の本当の変化は、新世紀から10年少しを経た後に起こる」と書きました。私たちの社会は3・11とともに21世紀という新時代を迎えたのではないでしょうか。これを核のない世界を目指すスタートと位置づけたい。そう思います。

'11.6.15

VOL.309

日本の政治はずっと空白だった

 先日、イタリアで行われた原発再開の是非を問う国民投票では、反対派が9割を超えました。同国での原発の新規建設や再稼働は凍結されることになります。一方、この投票結果に大きな影響を与えた福島原発事故を抱える日本では、将来のエネルギー政策どころか、内閣不信任決議案が国会で否決された後に、与野党から菅直人首相の辞任を求める声が高まるという茶番劇が続いています。ポスト菅は誰か? 大連立はあるのか? 普段は「政局でなく政策を」と批判するマスメディアも、せっせと「政局」を報じている。

 東日本大震災後の復興に取り組むに当たって菅首相ではやっていけない、とかいう物言い。たとえば「菅」の代わりに、野田、前原、谷垣、石破といった固有名詞を入れてみたらどうでしょう? いずれ同じような言説が繰り返されるような気がしませんか?

 菅さんが辞めたら、民主・自民の大連立ができて、いま目の前にある危機を解決できる──そう信じている、あるいは信じるふりをしているのは、政財界やマスメディアで支配的な立場にいる人々だけではないでしょうか。

 「国家元首の顔を変えれば世の中がよくなる」のが本当であれば、私たちの社会はとっくに変わっているはず。そうでないのは、政治家個人の資質ではなく、日本の統治システムに問題があるのではないか。私たちは気づき始めている。でも各界の指導層はそうは言わない。従来のシステムが変わったら、自分たちの特権的立場を失ってしまうから。

 とすれば、私たちに必要なのは「ポスト菅」と言われる人でも、問題を一気に解決してみせると豪語するようなポピュリストでもありません。将来のビジョンを語り、その実現に粘り強く取り組み、国民に対する謙虚な姿勢を変えない政治家。そうしたリーダーの登場を待つのではなく、私たちが育てていく。

 政権交代から2年近く、大震災から3カ月余りを経た今の実感です。

'11.6.8

VOL.308

われわれは(主権者たる)国民だ

 1989年秋、東ドイツの各地で民主化デモが行われました。20年以上前の話ですが、老若男女が掲げた様々なプラカードのなかのあるスローガンが忘れられません。「ヴィア・ジィント・ダス・フォルク」。直訳すると「われわれは国民だ」。
 私はその意味を図りかねました。なぜわざわざ当たり前のようなことを書くのか?
 友人に聞いてみると、その言葉には「国の行方を決めるのは、一部の為政者ではなく、主権者である私たち国民だ」との主張が込められているとのこと。すなわち「われわれは主権者たる国民である」というメッセージなのです。

 デモとは「お上に反対する」行為——そんなイメージが多くの日本人にはあるかもしれません。しかし「お上」といえども私たちが選んだ代表です。彼らが私たちの意に反して、私たちの国を誤った方向に進めようとしていると思ったら、私たちには彼らに軌道修正を求める権利があります。場合によっては、交代させることもできる。

 今週末、日本の各地で反原発デモが行われます。原子力発電所の存在は私たちの日常生活とは相容れない。そう考える人が日に日に増えています。
 マスメディアはこうした動きをあまり報じないでしょう。当時の東ドイツのメディアもそうでした。権力の顔色を伺うあまり、来るべき社会の変化の予感に鈍く、たいてい世の中を後追いすることになるのです。
 1989年11月4日、東ベルリンで50万人規模の民主化デモが行われました。その5日後にベルリンの壁が崩壊。誰も予測しえないことでした。
 6・11のデモが日本に何をもたらすか。目の前に立ちはだかる壁は一見、高くて堅い。しかしそんな世の中を変えるのも、初めは一人一人が踏み出す一歩からなのです。

'11.6.1

VOL.307

ガンジーが挙げた7つの社会的罪

 去る5月23日、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏が参議院行政監視委員会に参考人として立ちました。そこで氏は国の原子力行政や電力会社の姿勢、原発を推進してきたアカデミズムに対する批判として、インドの非暴力・不服従運動の指導者、マハトマ・ガンジーの墓の碑に刻印されている「7つの社会的罪」を引用しました。それは次のようなものです。

 理念なき政治、労働なき富、良心なき快楽、人格なき知識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき崇拝。

 ガンジーが亡くなったのは1948年です。しかし、その後も私たちの社会はこれらの罪を犯してきてしまった。そう思わざるをえません。

 小出氏の発言の3日後、フランスでG8・サミットが開幕しました。それに先立って主催国のメディアが話題にしたのは「アプレ・フクシマ」です。「アプレ」とはフランス語で「~の後」という意味。よく使われるものとして「アプレ・ゲール」(戦後)という言葉がありますが、「アプレ・フクシマ」とは「福島第1原発事故後の世界はどうあるべきか」という問題提起なのです(これを私は『毎日新聞』の浜矩子さんのコラム「時代の風」で知りました)。

 しかし、原子力に関する各国の利害が絡むG8の場で、「アプレ・フクシマ」の明確な方向性は示されませんでした。先進国クラブでは理念ある政治よりも「道徳なき商業」や「人間性なき科学」の方が優勢なのかもしれません。しかし世界がG8の思惑で動く時代は過ぎ去りました。いま私たちは、半世紀以上前のガンジーの言葉が切実に迫ってくる時代にいると思います。

 7つの社会的罪を犯さぬよう自らを律する。そう考える人が増えれば、いまよりましな未来が見えてくるはずです。

'11.5.25

VOL.306

再び、デモへ!

 「原発あぶない、やめよう、止めよう」という思いが、今、全国各地で溢れ出ています。デモ! という形になって。
 「ANTI NUCLEAR DEMO 日本全国デモ情報」のページに紹介されたデモの数は、日を追うごとに増え続けています。
 4月に入ってからは、毎週末どこかで原発に反対するデモが行われているという、今だかつてない状況。

 そして福島原発事故からちょうど3ヶ月となる、6月11日(土)は、どこからともなく「全国で100万一斉アクションやろうよ」の呼び掛けがはじまり、5月25日現在でなんと20件の「デモやるよ!」の情報が集まっています。しかも、まだまだこれからも増え続ける模様なのがすごい。

 デモやっても変わらない、政治家を動かさなければ意味がない、という人もいます。でもこの国の主権者は私たちです。「原発をどうするか」は、私たちが決めたい。その第一歩の意思表示が「デモ」に参加すること、そう、私は思っています。

 変わりたい思ってる人、モヤモヤしている人、怒っている人、とりあえずデモ、行ってみない?

'11.5.18

VOL.305

混沌とした時代の指針として

 ゴールデンウィーク最中の5月1日、アメリカのオバマ大統領は、米海軍特殊部隊がパキスタン国内に隠れ住んでいた9・11同時多発テロの容疑者、ウサマ・ビン・ラディン氏を殺害したと述べ、「正義はなされた」と宣言しました。

 他国(パキスタン)に堂々と軍隊を展開させ、「容疑者」を射殺する(丸腰だったビン・ラディン氏の顔面を撃ったといいます)。しかも遺体を水葬し、何の証拠も残さない。この行為のどこが「正義」なのでしょう?

 ところが日本のメディアには「アラブの民主化という時代にアルカイダは取り残された」など、よく意味の分からないコメントをする新聞社の論説委員もいます。欧米メディアの見方が身に沁みついているのでしょうが、アメリカ一極支配の正当性が疑わしいものとなっていることは明白です。

 私たちは未曾有の大震災を経験し、原発安全神話の崩壊を見せつけられました。そして、従来のものの見方が通用しない時代になりつつあることを日々痛感しています。

 日本も世界も混沌とするなか、自分たちがいまどこにいて、これからどこへ向かうべきなのか──私たちが生きていく(生き残る)ための指針が求められている。いま一度、自分たちの国の原点である日本国憲法に立ち返るべきだと考えるゆえんです。

'11.5.11

VOL.304

憲法と東日本大震災

 5月3日の憲法記念日、みなさん、今年はどのように過ごされたでしょうか?
 降り掛かる天災と人災に、とても憲法のことを考えている余裕などなかった・・・
 というのが、正直なところだと思います。私もそうです。合併号では、ついに「憲法」の特集を組む事ができませんでした。
 が、連休明け今週の「マガ9」では、3つのコラムが憲法について言及しています。
 その一つ、伊藤真の「けんぽう手習い塾・リターンズ」では、「憲法から東日本大震災を考える」をテーマに執筆してもらいました。
 塾長は特に、憲法前文に書かれている「平和的生存権」と9条の「戦力の不保持」を取り上げ、これからどう歩むべきなのか、を教えてくれています。80歳を超える辻井喬さんがご自身の講演で、自分ではなかなか解決ができない、大きな困難にぶちあたった時に、日本国憲法を読み返すとおっしゃっていた、その言葉も思い出しました。

 やはり憲法には書いてあったんですね。憲法は、私たちが平和な暮らしをとりもどすための、最大の武器でありツールなんだと、改めて確認することができたのでした。

'11.4.27

VOL.303

被災地とつながる

 3.11から1ヶ月半が経ちました。そして連休がやってきます。全国どこにいても、これまでのように心おどるゴールデンウィーク、というわけにはもういきません。黒くて重たいものをどこかに感じつつ、私たちはこの連休をむかえます。

 「東日本大震災。いま私たちのできること。」を充実させました。連休を利用して被災地に「ボランティアにいこう」と考えているひともいるでしょう。東北地方の復旧状況については、道が開通し電車が走り出したりと、インフラも徐々に回復しているようですが、それでも「家の掃除や泥かきなど、まだまだ人手不足。瓦礫だらけで手つかずの場所もある」との声も耳にします。各自治体、NPO団体、それぞれ募集をしています。注意事項をよく読んで、それらに参加するのもいいと思います。

 そして原発に関するデモや講演会も連休中にはたくさん企画されています。
「日本全国デモ情報」にアップしていますが、なんと全国で10の「原発いらない」デモが企画されています。おとなしいと言われている日本人ですが、ここはもう怒らないと! 重苦しい気分を怒りに昇華させることも、時には必要です。

 心に黒いシミが広がっていくような気分を持つことは、決してネガティブなことばかりではなく、これもまた「被災地とつながる」ということだと、私は思っています。
 ということで、みなさん有意義な連休をお過ごしください。次回の更新は、5月11日になります。

'11.4.20

VOL.302

脱原発を実現するためには

 もう20数年も前から、原発の危険性については、先人たちが再三指摘をしてきていました。プラントそのものの危険性や被曝労働の問題、原子力利権の問題、将来の核兵器製造への疑惑などについても、たくさんの書物や報告がなされています。またチェルノブイリ原発事故が起きた1986年から90年にかけ、反原発の世論が盛り上がり、デモも相当数の人が参加したと聞きます。キヨシローが「カバーズ」を発表し、話題になったのも1988年です。

 しかし「反原発」の世論は握りつぶされてきました。そして2006年、日本は「原子力立国」計画を策定し、産業の中心に「原子力」を打ち立てます。そして起こった福島原発の事故。私は、これはもう起こるべきしておこった事故だとしか思えません。100年だか1000年に一度の想定外の地震・津波が起こったから仕方がないんだ、という言い方をされる「専門家」がいらっしゃいますが、資料を読むにつけ、そうではない、と確信します。

 ですがこの事故がおこってなお、新聞の世論調査の結果には、驚かされます。50%以上の人たちが、現状維持を望んでいると。こうなると「脱原発」を現実のものにするには、今なお遠い道のりにも思えます。しかし、今やらなければどうする? ということでもあります。おそらくこれがラストチャンスでしょう。それともまた別の原発事故が起きるまで、様子をみますか?

 今私たちができることは、脱原発の圧倒的な世論を生み出すこと。脱原発を宣言した企業への賛同やその会社の商品の購買、影響力を持つミュージシャン、タレントへの応援もあるかもしれません。そして政治家を選ぶこと。統一地方選挙の後半は、今週末24日に行われます。「脱原発」を掲げる候補者に投票すること。とても小さな一歩かもしれませんが、これが大きな一歩につながります。その次の一歩としては、脱原発、自然エネルギーへの転換を公約にはっきりと掲げる政党を、なんとしても、私たちが作り育てあげなければなりません。

'11.4.13

VOL.301

国民はどこにいる?

 先週の4月10日、地方統一選挙の前半戦が行われました。新聞には「12知事選の平均投票率は前回(岩手を含む13知事選)の54.85%より2.08ポイント低い52.77%となり、過去最低だった03年の52.63%に次いで過去2番目の低さとなった。道府県議選は過去最低の48.15%を記録し、東日本大震災を受けての選挙戦の自粛ムードが影を落とした。」と書かれています。

 菅総理が言わなくても、今はいわゆる「国難」の最中にあります。大自然の災害に加えて、原発事故という未曾有の人災が現在進行中です。しかしこの事態においても、この投票率の低さというものは、どこか「お上におまかせ」という、相変わらずの私たちの姿勢が丸出しになっている、と思わずにはいられません。決めるのは、「私たち主権者である」との意識がここまで希薄なんだと、原発推進派の東京都知事が再選されたことよりも、その現実にかなりがっかりしてしまいました。

 ところで、4月10日は各地で「反原発」をアピールするデモが行われましたたが、とりわけ東京・高円寺では15000人が参加するインパクトのあるデモとなりました。デモ行為について「迷惑行為」だと決めてかかる人がいるようですが、デモは、憲法21条1項(集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。)で保障された「表現の自由」であり、法律に基づいて事前に届け出をして許可を得ている行為です。

 私たちは、国や為政者がおかしいと思うのであれば、異議を申し立てたり、変える権利を手にしているのに、なぜそれを使わないのでしょうか。そして使う人を揶揄するのでしょうか。地方統一選挙の後半戦は、4月24日に行われます。選挙には行きましょう。

'11.4.6

VOL.300

選挙にいこう!

 4月10日、24日には全国の地方自治体の首長と議会議員を選ぶ統一地方選挙が行われます。「地方自治は民主主義の学校」という言葉があります。地方選挙では私たちの足元にある地域や生活の問題を考えて、私たちの代表者を選ぶ一票を投じよう、と言われていますが、地域社会を構成する「私たちの考え」が、選挙で選ばれた首長や議会に反映されている、とも言えるでしょう。

 それはメガシティ東京だって同じことです。原子力エネルギーの問題は、「国策」ではありますが、私たちが日々使っている「電気」をどうするか、ということです。今まで通りの便利な生活のためには、遠く200キロ以上離れた地方に住む人々の暮らしが脅かされても、「仕方ない」と考えるか、生活スタイルを変えて節電をしながら新しいエネルギー政策への道を模索するか。

 事態の深刻さに絶望して、選挙なんて行っても仕方がない、という考えを聞くこともあります。その気持ちも非常によくわかる。でもやっぱりこういう時だからこそ、私たちの一票を使わなくては、と考えます。世論調査の数字に?? という思いを、ネットやツイッターをよく見ている、マガ9の読者なら持つかもしれません。新聞やテレビが行っている世論調査は、固定電話が主だといいますから、携帯やネットが主な通信ツールの20代の若者の動向はつかめないのではないか、と思っています。しかしこの世代の投票率が少ないのもまた事実。だから若い世代の人には、是非選挙に行って欲しい。

 今回のことで、まるでマフィアのように「原子力利権」にがっちり食い込んでいる組織や人々の存在が、徐々に明らかになってきて腹立たしい限りですが、それでも私たちは一票を行使する権利を持っています(地方選挙においては、1人1票の平等は守られています)。投票に行かないという選択は、現状を肯定するということにもつながります。だからあなたの周りの人に声をかけてください。選挙にいこう!と。

'11.3.30

VOL.299

「脱原発」へ

 福島原発の状況は、ほんとうに厳しい。そうとうに深刻な事態へ向かっています。このままでは、放射能汚染は海へ拡がることは間違いありません。いつになったら一応の段階に落ち着くのか、専門家と称される人々も頭を抱えている状況です。
 「お散歩日記」が言及しているように、ほんとうに「もし原発がなかったら」と思わざるをえません。もし原発がなかったら、いま、日本のすべての力を傾注して「災害復興」へ邁進できていたことでしょう。言っても虚しいのですが、それでも言っておく必要があります。
 2007年7月、中越沖地震が発生しました。そのとき、新潟県の東京電力柏崎刈羽原発がそうとうのダメージを受け、かなりの放射性物質が放出されたとも言われています。
 あれはもしかしたら、自然からの「警告」だったのではないでしょうか。人間がほんとうに原子力というものと共存できるのかどうか再検討せよ、という最後の「蜘蛛の糸」だったのかもしれません。しかし、東京電力も国も、その細い糸を省みることなく切ってしまった。それどころか、以降、更なる原発増設へ突き進んできたのです。
 この状況になってもなお「原発は必要だ」と言い募る人たちが相当数います。先日の「朝まで生テレビ」がそういう現状を映し出していたようです。命より電気が大切な人たちです。

 もはや、待ってはいられません。
 いつ東海大地震が来るかもしれないのです。それなのに、震源域の真上の静岡・浜岡原発は、いまだに運転中です。私たち「マガジン9」は、スタッフの総意として、ここではっきり言い切ります。
 もう原発は要らない!
 原発の段階的廃棄を進め、最終的には「脱原発」へと政策の舵を切るよう、強く主張します。

'11.3.23

VOL.298

いま私たちのできること

 先日、阪神淡路大震災を経験され、その時報道に携わっていた地元ラジオ局の方にお話を聞く機会がありました。「今回の震災はスケールもレベルもぜんぜん違う。今回のは(1週間経た)今が、阪神淡路の翌日な感じなのではないか。ようやく被害の全貌がうっすらとつかめてきた」。「未曾有の都市直下型地震」を経験した方にとっても、呆然としてしまうほどの大規模な大災害である、ということを改めて思い知らされました。

 しかし、そんな中でも少しずつ復興へ向けて動き出していることが、NPOなどの報告から伝わってきています。物資を運ぶトラックが被災地に到着し、海外の被災地などでの経験もある専門家たちが現地に入り、さまざまな支援を始めています。避難したい人と受け入れ先のマッチングを手助けしているサイトもあります。そういった団体を支援することも「今私たちのできること」ではないかと考え、リストアップしてみました。

 地震・津波の天災に加え、人災である福島原発事故は、今も予断を許さない状況であり、放射能被害をはじめ農作物の摂取制限など、様々な情報が錯綜しています。こちらについては、適切な情報や今知るべきことを見極めながら、紹介をしていきたいと思います。

 「マガジン9」でできることは何か、を模索しながら、更新を続けていきます。

'11.3.16

VOL.297

東日本大震災に際して

 今、私たちにできる事は何なのだろうか。自問し、またスタッフ同士で話し合いました。レスキュー隊員でもない私たちが何かをできるのは、洪水のようなメディアの報道が去った後の、復興に入ってからでしょう。または、「お金」を自分たちのできる範囲で支援することでしょう。

 首都圏で暮らす身としては、コンビニやスーパーの棚が空になり、お店の照明がいつもより暗くなって、本数が制限された電車に乗っていると、自分たちの生活がいかに脆い基盤の上に成り立っているのかを実感しました。と同時に、食べるものは無駄にしない、必要以上に電気を使わない、企業を東京に集中させないという、当たり前だけど、今までおろそかにしてきたことが、私たち都市で暮らす人々のなかで自覚されてくるのではないか、とも思います。

 そういう社会へ日本が移行していく機会を、東日本大震災から与えられたと考えたい。最悪の危機的状況に陥った福島原発事故を受け、ドイツでは原子力の出口モデルの検討が始まりました。当然だと思います。

 私たちにできることは、なすすべなく見守るしかない現在進行形の惨事を、何とかプラスに転化させようとする意志を持つことではないでしょうか。とこれを書いている私もかなりびびっているのですが、悲観は気分、楽観は意志と思って、「マガ9」の更新を踏ん張りたいと思います。

'11.3.09

VOL.296

この十数年に生まれた空気

 先週から今日まで、朝日新聞の一面に掲載された主要なニュースは「入試投稿 予備校生を逮捕」と「前原外相が辞任 外国人献金で引責」でした。

 カンニングで逮捕するんだ? と普通に驚いてしまいました。「世間を騒がせ、公平な入試制度を根幹から揺るがす行為」と19歳の一人の少年に対して、厳しい言葉が並んでいます。そのニュースにとって代わったのは、「前原外相が辞任 外国人献金で引責」。昔なじみの飲食店のオーナーである在日韓国人の方からの5万円/年の寄付を受けていたことの「引責」なのだそうです。前原さんは、アジアに対して挑発的な言動を繰り返すので、外相にはふさわしくないと思っていましたが、この辞め方は後味が悪い。

 新聞紙面の字面から息苦しさが立ち上ってきます。

 今にはじまったことではない、という見方もあるけれど、この「他人に不寛容」な空気は、この十数年の間に圧倒的に濃度が濃くなったような気がするのですが、みなさんはどう感じていますか?

 そんな疑問についても、今週末行われる「マガ9学校」森達也さん×保坂展人さんのトークセッション「オウム以降の日本社会を検証する」でいろいろ聞いてみたいと思います。興味ある方は、是非、お運びください。

'11.2.26

VOL.295

21世紀が始まった

 新たな世紀の本当の変化は、新世紀から10年少しを経た後に起こる、と誰かが言っていました。知識人の発言か、書物で読んだのか、記憶は定かでありませんが、たとえば20世紀の始まりは、鉄砲や大砲による兵士同士の戦いから戦車や戦闘機の登場による非戦闘員の殺戮へと、戦争の形態を変えた第1次世界大戦だというのです。1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントと皇太子妃ゾフィーが、訪問先のサラエボでセルビア人青年に暗殺されたのを機に、オーストリアとセルビアが交戦状態に入り、戦火はヨーロッパ全土、さらに世界へと広がっていきました。

 先日、ウィーンにある軍事史博物館を訪れました。そこには「サラエボ事件の間」という部屋があり、事件当時に皇太子夫妻が乗っていた無蓋車やフェルディナントが着ていたライトブルーの血染めの軍服が飾られています。
 20世紀がサラエボで始まったとすれば、21世紀は中東諸国で幕を開けたのかもしれません。チュニジアでの体制崩壊に端を発した民主化のうねりは、エジプトからバーレーン、リビアへと広がっています。戦場が3次元空間にまで拡大したのが20世紀だったとすれば、高度な通信手段が国境を越えて人々を結びつけるようになったのが21世紀といえるのではないでしょうか。

 私はウィーンのホテルでニュースを見ていたのですが、同じ映像の繰り返しが多く、欧州のメディアもその行方を予測しかねているようです。ただ、中東諸国の変化がパレスチナ問題に波及するのは間違いないでしょう。その解決の手段が戦闘によらず、国際外交の場でなされることを――。21世紀に生きる私たちの知恵が試されるときだと思います。

'11.2.23

VOL.294

原発、危うい綱渡り

 山口県上関町田ノ浦に、中国電力が原子力発電所を建設しようとしています。これは1982年に明らかになった計画で、当初は町内でも反対の声が大きかったのですが、電力会社が町に巨額の「協力金」を寄付、次第に賛成派が増え、今では賛否が町を二分する状態になっています。しかし、対岸の祝島では漁師さんなど住民のほぼ9割が反対を表明、島ぐるみの反対運動はすでに20年以上に及びます。これに対し、中国電力は最近、工事強行の構えを見せ、現地では毎日のように睨み合いが続いています。

 青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場は、2009年稼動予定で、これまでに2兆2千億円(当初予算7600億円の3倍)という巨額の建設費を投入しました。しかし、どうしてもうまく稼動せず、すでに18回もの稼動延期を繰り返し、最近さらに2年の延期と2千億円の追加費用投入を発表しました。でも、これで済むという保証はありません。あとどのくらいの金が必要になるのか、それを負担するのは私たち国民です。

 プルトニウムを増殖させて発電に再利用するという核燃料サイクルの「夢の原発」と謳われた福井県敦賀市の「高速増殖炉もんじゅ」は大事故を起こして、いまだに実証試験もできない状態にあります。プルトニウム再利用は頓挫しているのです。原発から生まれる高濃度放射性廃棄物やプルトニウムの処理ができないまま造られる原発は、「トイレのない家」と言われます。

 ニュージーランドで大地震が発生しました。あの国と同じように多くの活断層を持つのが日本です。中でも巨大地震の可能性の最も高いのが東南海大地震。その活断層の真上だと指摘されている静岡県の浜岡に、中部電力はさらに原発を増設しようとしています。東南海大地震が今後30年間のうちに起きる可能性は50~70%、50年以内ならば90%。これは政府の地震調査研究推進本部が認めている確率です。

 直下型の大地震が浜岡原発を襲ったらどうなるのか。

 私たちは、極めて危うい均衡の上で暮らしていることになります。

'11.2.16

VOL.293

いろんなことが起こりすぎて…

 世の中が激動中。チュニジア、エジプトの「市民革命」が中東諸国に波及。数少ない親米政権の崩壊に、アメリカが焦っています。
 中国がGDPで日本を上回り、ついに世界2位の経済大国に。マスコミは「日本は3位に」と大きく伝えます。蓮舫さんじゃないけれど、2位でなければダメなんですか、3位じゃいけないんですか?
 民主党執行部は、小沢一郎氏の処分を決定。党員資格停止という極めて軽い処分で、なんとか小沢グループの不満を最低限に抑え込もうということのようです。でも、これで収まりますか?
 それにしても菅首相、小沢氏を処分すれば支持率が回復すると、本気で思っているのでしょうか。もしそうだとすれば、そうとうに鈍い。党内でのドタバタ内紛劇を見せつけられることに国民がうんざり、それで支持率が急降下しているというのが実態ですよ。
 沖縄では、鳩山由紀夫前首相の「抑止力は方便だった」発言に県民が怒っています。鳩山さん、もう少し言い方もあるだろうに。
 一方、テレビのワイドショーといえば、大相撲の八百長疑惑や小向美奈子さんのフィリピン逃亡とかで大騒ぎ。ま、どうでもいいんですけど。
 河村たかし氏圧勝の名古屋を受けて、地域政党が雨後の筍。原口一博衆院議員も「佐賀維新の会」を旗揚げ。所属の民主党との関係はどうなるのでしょう。それにしても、またも「維新」ですか…。
 その地方選挙の象徴が東京都知事選。ワタミ前会長の渡邉美樹氏が立候補表明。前参院議員の小池晃氏に次いで二人目の表明ですが、まだまだ噂に上っている人はいます。さて、誰が出てくるか? 本命はいったい誰? 石原都知事は例によって後出しジャンケン?
 都民の1票、どう使えばいいのか、ここが思案のしどころです。

'11.2.9

VOL.292

建国記念の日に

 今週月曜日の朝日新聞朝刊を開くと、飛び込んできた全面広告。頬に日の丸と北方四島をペイントしたかわいい女の子の顔に、「私も、力になれるんだ 北方領土返還へ」のキャッチコピー。広告主は 政府公報/内閣府。これってもしかしたら「プロパガンダ?」。ちょうどその日、東京外大の伊勢崎賢治ゼミに参加し、コピーライターのマエキタミヤコさんから、「国策プロパガンダというのはね」なんていうミニレクチャーを聞いたりしたものだから、「あれ」って思ってしまいました。そしてその日(2月7日)が「北方領土の日」だということを、生まれてはじめて知ったのでした。

 私の意識がこちらに向いていたからか、どうなのか。このところ「領土問題」について世論の論調が微妙に変わってきたように思います。前原外務大臣の発言の影響もあるのでしょう。先週末の『朝まで生テレビ』で、ホリエモンが尖閣諸島についての発言に関して、スタジオでもネットでも「非国民扱い」にののしられている感じも、ちょっと凄まじいものがありました。

 さて、そんな世間の状況に、かなりタイミングがあってしまったワークショップを、今週「建国記念の日」に行います。(実は偶然の設定でした)詳しくはこちら。参加してくれる鈴木邦男さんは、「領土問題」を考えるために「一水会」を立ち上げた人です。「領土問題」の複雑さ困難さを、人一倍知ってもいるでしょう。そんな彼が、今のこの状況をどのように見ているのかも、興味深いです。

 ワークショップに参加できる方は、30人と限られていますので、ここで話し合ったことなどは、何らかの形でフィードバックしたいと考えております。

'11.2.2

VOL.291

アラブ諸国民主化の行方

 エジプトで民主化要求デモが続いています。30年以上続くムバラク政権に対して民衆は「ノー」を突きつけました。先月にはチュニジアのベンアリ大統領が抗議行動を前に退陣。サウジアラビアへ亡命しています。
 これほど急速に民主化運動が広がった背景には、ツイッターやフェイスブックなど、インターネットツールの普及が挙げられます。いまも王制や首長制を敷く湾岸の国々は、国内の動向に神経を尖らせているのではないでしょうか。
 今回のアラブ諸国の民衆の動きを見ると、私は1990年代初めのアルジェリアを思い出します。当時、一党独裁体制が続いていた同国で、初めて民主選挙が行われました。ところが結果は「議会と憲法を廃し、すべてをコーランに」といったスローガンを掲げ、失業や貧困に対する不満を吸収したイスラム原理主義政党が圧勝。民主化を実現しようとして行った選挙で、議会制民主主義を認めない勢力が台頭したのです。
 エジプトの民主化を表向き歓迎していますが、民衆によって新たに選ばれた政権が親欧米であるとは限りません。アメリカの軍事攻撃によって独裁者サダム・フセインが排除されたイラクでは、アメリカと厳しく対立するイランに近いシーア派主導の政権が誕生しています。そんな皮肉で複雑な世界に私たちはいる。そのことを認識しておきたいと思います。

'11.01.26

VOL.290

サッカー観戦のあとで

 26日深夜のサッカーアジアカップ。PK戦にもつれ込み、劇的な勝利の興奮さめやらぬ中、テレビ画面に飛び込んできたのは、先の参議院での「一票の格差」をめぐって争われた裁判の「違憲判決」のニュース。ということで、ご覧になった人も多いのではないでしょうか。

 高松高裁や仙台高裁秋田支部で次々と出された、「違憲」「違憲状態」との判決を受け、雪の中でも笑顔だった我らが塾長、伊藤真弁護士は「投票価値の不平等を明確に認めた。不平等状態を是正する上で、大きな意義がある」とコメント。

 伊藤弁護士らは、全国15の高裁・高裁支部で同じ裁判を起こしており、この日までに判決が出た8件すべてで「違憲」または「違憲状態」との判断が示されています。(となると、これまで長い間、合憲判断を出してきた裁判官は何だったのか、という疑問もわいてくるのですが・・・)

 しかし伊藤塾長は、これらの判断や国会での「選挙制度改正」への動きについて、歓迎はしながらもそれがゴールではない、ということについて、次のように繰り返し語ってきています。
 「主権者である我々が「自分事」の問題として、1 人1票を実現する活動をしていく必要があるのです。それにより多くの国民が理不尽に気づき、世論が作られ、常識としての1人1票であるべきだという声を無 視する最高裁判事を国民審査で罷免して、最高裁が1人1票の判決を出すようになって、初めて国会が本気になって改正に動くようになるのです。国民1人1人 の参政権(国民審査)によって1人1票を実現しなければなりません。」(塾長のこちらのコラムに詳しくあります)

 偶然とはいえ、昨夜のニュースのタイミングや扱いをみて、これは「一人一票」運動が2011年の大きなうねりになる! と予感させられたのでした。

'11.01.19

VOL.289

あるミュージシャンの発言

 先日、ある日本人男性ミュージシャンのライブに行きました。超有名なロック系のその人が、ライブ途中のMCで語ったのは、昨年9月の中国漁船衝突事件や尖閣諸島のこと。政治的な問題とは無縁のイメージがあったので意外でしたが、大げさな意味ではなく、その態度に感銘を受けました。

 発言内容は「対立する二者がいれば、それぞれの側に信じる正義がある」「お互いが正義を振りかざしていては何も解決しない」「(事を荒立てないようにした)日本政府の今回の対応を弱腰だとは思わない」といったようなことです。また、今回の問題に限らず、世論が一つの方向に勢いよく流れているときこそ、「本当にそうなのか?」と立ち止まって考えることが大事だとも。

 その発言内容もさることながら、自らの考えをステージ上で表明すること自体が素晴らしいと思います。欧米では俳優や歌手などが、旗幟を鮮明にしたうえで政治や社会問題に対する考えを述べることは珍しくありません。それに比べて日本では、環境や人権等に関する発言は最近増えてきたものの、政治そのものへのエンターテインメントの世界からの発言は少ないのが現状です。

 ネット上では、先のミュージシャンの発言に対する否定的な意見も数多く見られます。内容に関して多様な意見が出るのは当然ですが、「素人は黙っていろ」的な、発言すること自体を批判するのはいかがなものでしょうか。権力の動向次第では、真っ先に規制や弾圧の対象となるのが歌や映画、文学などエンターテインメントの世界。だからこそ、その分野の方たちには、普段から政治や国のあり方について、もっと語ってほしいと思います。

'11.01.12

VOL.288

新しい年が明けました。

 みなさん、いいお正月でしたでしょうか。

 私たちの『マガジン9』は、今年の3月で創刊以来、丸6年になります。毎週欠かさず、ボランティアの力だけで、よくここまで続いてきたものだと思います。
 何度も財政的危機に陥りました。そのたびに、有料サイトへの移行などの案が出ましたが、あくまで無料配信を続けたいと、歯を食いしばって続けてきました。現在も、食いしばった歯が磨り減りそうな状況です。
 そんなわけで、年明け早々申し訳ないお願いですが、みなさんのカンパを心からお願いいたします。カンパしてくださったみなさんには、『マガジン9』特製の素敵なポストカード(8枚組)を差し上げます。
 また、私たちのパトロンになってくださる方々も大募集中です。
 まだまだ、新機軸に挑戦していきたいのです。新しい筆者への原稿依頼、あっと驚くような方々のインタビューや対談。そして、「マガ9学校」の充実や、読者の方々との交流。
 少なくとも、私たちがとても大事に思う憲法9条が、ゆるぎなく根付くまで続けようと思っているのです。
 どうかよろしくお願いいたします。

'11.01.05

VOL.287

決して悲観することなく

 あけましておめでとうございます。
 皆さんはお正月をどのように過ごされましたか? 故郷で家族や親戚との再会を喜んだり、寝正月でゆっくりしたり、正月返上でお仕事をされていたり、人それぞれだと思います。ただ、「今年がいい一年でありますように」と願う気持ちは変わらないのではないでしょうか。
 政権交代から1年4カ月が過ぎました。民主党政権の誕生当初に寄せられた国民の期待は、いまではすっかり萎んでいます。新政権の多少の失政には目をつむり、いつかよくなると辛抱強く、寛容な目で見守っていた国民の堪忍袋の緒も、さすがに切れそうになっている。
 とはいえ、今度はまた自民党へというような揺り戻しが起こるとは思えません。歴史という時計の針は回り続けており、むしろ既存の政党に期待できないのであれば、自分たちで社会を動かしていこう――そんな気分も私たちのなかに生まれていると思うのです。
 世の中を批判的に見るのと、悲観的に見るのとでは大違いです。後者からは何も生まれません。批評の精神を失うことなく、その先にある希望を読者の皆さんと一緒に探したい。
 そんな新年の抱負を胸にしたマガジン9を、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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