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世界から見た今のニッポン

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ロシア出身で、現在はドイツに暮らすタチアーナ・ヴィルトさん。
故郷・ロシアがかかわった戦争について思うこと、
そしてロシアとアジアの関係について、語っていただきました。

第38回

公開された戦後のCIA工作
John Junkermanタチアーナ・ヴィルト(Tatjana Wild)
1965年ロシア(旧ソ連)の東シベリア・クラスノヤルスク市生まれ。ベルリン・フンボルト大学卒業後、ドイツの大手コンピュータソフト会社、銀行勤務を経て、現在は企業コンサルタント。ミュンヘン在住。
シベリアの軍事都市に生まれて

 「マガジン9条」にコメントを求められて光栄です。ただ、私は日頃から日本の動向をフォローしているわけではないので、戦争に関する私なりの経験や意見を述べたいと思います。
 私の故郷、クラスノヤルスクは軍需産業を中心とする東シベリア最大の都市でした。軍事機密が外部に漏れないよう、1980年代末まで外国人の町への立ち入りは禁じられていたので、1985年に留学した東ベルリン(当時)が、外国人が多く、お店にあるモノも豊富で、とても華やかに見えたことを覚えています。ベルリンの壁が崩壊する4年前なので、壁の向こうの西ベルリンから見れば、「東」は灰色だったかもしれません。でも、私には、町の中に国境があって、そこで西側世界と接している。その近さも新鮮でした。クラスノヤルスクから国境までは数千キロもありましたから。

メディアが報じる戦争、帰還兵の語る戦争

 ソ連がアフガニスタンに軍事介入したのは1979年末のことです。私はまだ14才だったので、記憶は定かではないのですが、「アメリカがゲリラに軍事支援をしてアフガンの国民を困難に陥らせている。だから、われわれ(ソ連)は友好国(アフガニスタン)を助けてあげなくてはならない」。これが介入の理由であり、私もそれを信じていました。
 私の周囲では、通っていた高等学校から2人の男子生徒、両親の幼馴染みの息子がアフガンに派遣されました。彼らは使命感をもって戦地に向かったのですが、帰還した彼らの語る戦場と、テレビや新聞の報道では印象がぜんぜん違う。両親の幼馴染みの息子は帰還後、しばらく精神を病んでしまった。「これはどうやらおかしいぞ」と人々が思い始めたのはそのころです。
 帰還兵が語る経験と公式報道にギャップが生じ、次第に戦場の実態が国民に明らかになってくるところは、当時のアフガニスタン戦争と現在のイラク戦争の似ている点かもしれません。2つの戦争は、正規軍(ソ連軍または米英軍)対非正規軍(アフガン・ゲリラまたは反米武装勢力)という戦いですし、ソ連兵には山岳地帯でゲリラと戦う訓練がなされていなかったと同様、アメリカ兵もバクダッドほか都市でのテロ攻撃に対する用意はできていなかったのではないでしょうか。

国際社会の無力感

 イラク戦争がショックだったのは、国際社会がアメリカの開戦をとめられなかったことです。国連安全保障理事会は機能せず、戦争に反対した人々は無力感を味わいました。
 ロシアがフランス、ドイツとともにイラク戦争に強く反対したのは、政治的、また経済的な共通の利害があったからでしょう。とくにロシアはイラクと関係が深く、石油開発のための技術支援なども行っていた。アメリカを同国に入れたくなかったのだと思います。

チェチェン戦争について

 この戦争は、アフガニスタンやイラクでの戦いと違って、ロシア政府が国内のチェチェン分離独立勢力を軍事力で制圧するというものでした。ロシア軍の軍事侵攻は何によっても正当化されるものではありませんが、チェチェンの武装勢力が行ったこと、たとえば北オセチア共和国ベスランでの学校占拠やモスクワの劇場での立てこもり事件は多くの犠牲者を出しました。これらは多くのロシア人にショックを与えただけでなく、過剰な愛国心をもたせてしまったと思います。いままでチェチェン人に対して悪い感情をもっていなかったロシア人にさえ、チェチェン人は野蛮だというイメージを植えつけてしまったのですから。

アジアの変化は経済の発展から

 ロシアはヨーロッパから極東にまたがる大きな国土をもっています。アジアはロシアにとってますます重要な地域になっていくでしょう。その最たる国が長い国境線を接する中国です。クラスノヤルスクへの中国人の進出もすごく早く、すでにチャイナタウン、中国人のショッピングモールができています。
 私はミャンマーに行ったことがあるのですが、そこでたくさんのロシア人を見かけました。駐ミャンマー・ロシア大使と会う機会があったので、なぜこんなにロシア人が多いのか聞いてみると、ロシアのミャンマーに対する関心の高さからだというのです。ミャンマーは現在も軍事独裁国家だが、長期的にみれば、将来ロシアにとって重要な経済パートナーになるだろう、と。
 10〜15年後にはアジアにも政治的な変化が現れることでしょう。中国で共産党の一党独裁による市場経済がこのままで続いていくとは思えないですし、北朝鮮だっていつまで金正日体制が続くかわからない。
 アジアでは、ゴルバチョフ(元ソ連大統領)やゲンシャー(元ドイツ外相)が欧州の冷戦を終結させたように、政治家たちが状況を一気に変えるようなことは起こらないと思います。経済成長によって個人主義が浸透し、じわじわと社会を変えていく。それに政治も追いつこうとする。そんな気がするのです。
 この先、何が起こるかはわかりません。15年前、自分が仕事を兼ねて日本にくるなんて想像すらできなかったのですから。時代の変化はより速くなっていると思います。

アジアが、ロシアを含む周囲の国々と、これからどんな経済関係を築いていくのか。
それは、この先のアジアの政治情勢にも、大きな変化を与えることになるのでしょう。
タチアーナさん、ありがとうございました。
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