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今年2月、アメリカのAP通信が、日本にまつわる興味深いニュースを報道しました。
戦後まもなくに行われていた、ある「CIA工作」の内容とは?

第37回
公開された戦後のCIA工作
芳地 隆之芳地 隆之(ほうち たかゆき)
1962年東京生まれ。 大学卒業後、会社勤めを経て、東ベルリン(当時)に留学。 東欧の激変、ベルリンの壁崩壊、ソ連解体などに遭遇する。 帰国後はシンクタンクの調査マン。 著書に『ぼくたちは革命の中にいた』(朝日新聞社) 『ハルビン学院と満洲国』(新潮社)など。
アメリカのスパイとなった戦犯容疑者

 CIA(米国中欧情報局)が戦後、日本の戦犯容疑者を反共スパイとしてリクルートしていたことを示す文書をアメリカ公文書記録管理局が公開し、AP通信がそれを検証した。スパイには満洲の関東軍や日本軍作戦参謀を務めた辻政信、戦中は右翼運動家、戦後は政界のフィクサーとして君臨しながら、ロッキード事件の被告となった児玉誉士夫らがおり、CIAは彼らに国内の共産主義者の監視、ソ連や北朝鮮への潜入、中華人民共和国から台湾を防衛するための傭兵工作といった任務を与えた。

 CIAはドイツでも旧ナチス軍人を使って、対ソ連諜報活動に当たらせていたのだが、ドイツ人に比べると日本の諜報員はほとんど役に立たなかったという。CIA文書には、サハリンに極秘上陸するためのボートの購入資金を与えると、金と一緒に姿を消してしまった者、同じ情報をアメリカの複数の機関に同時に売った者など、諜報員としてのスキルの欠如を指摘するものもあった。

情報軽視のツケ

 辻政信は、戦時における情報収集活動を軽視し、多くの自軍兵士を死に導いた軍人の1人である。関東軍参謀だった辻は、満蒙国境でソ連軍と対峙したノモンハンの戦いで、ソ連軍恐れるに足らずと過小評価して大敗を喫した。それでも責任を問われることなく、辻は対米戦争開始後、シンガポール、フィリピンで作戦指導に当たった。戦後には衆議院議員を務めることにもなるのだが、彼を工作員としたCIAは1954年の時点で「その性格と経験のなさから、政治家としても諜報員としても見込みなし」と判断し、「機会さえ与えられれば、ためらいなく第3次世界大戦を引き起こせるような人物」と評している。

 児玉誉士夫に対するCIAの評価は低いどころか、1953年の文書では「彼は大嘘つき、ギャング、いかさま師で大泥棒……彼にインテリジェンス(情報収集)の能力は皆無、関心があるのは金儲けだけだ」とこき下ろしている。

ウルトラダラーはCIAの工作なのか

 これらの文書は同時に、CIAの日本と日本の軍国主義者に関する認識の甘さを露呈しているといえるだろう。イラク攻撃の根拠となったイラクの大量破壊兵器保持の疑惑もそうだが、CIAの意図的な情報操作、あるいは情報分析の過ちが戦争を誘導することがある。

 今年の1月、 ドイツ『フランクフルター・アルゲマイネ』紙に、北朝鮮による偽ドル紙幣=ウルトラダラー製造の疑惑はCIAによる工作ではないかとする記事が掲載された。

 北朝鮮がドル紙幣を偽造しているのではないかとの疑惑が出たのは1998年である。在モスクワ北朝鮮大使館の経済担当官が極東のウラジオストクで3万ドル分の偽ドル札を保持していたとして逮捕された。彼は2003年に西側へ亡命し、自分が金正日の個人的な金庫番で、ウルトラダラーの作成にかかわっていたと証言した。

 しかし『フランクフルター・アルゲマイネ』紙によれば、精巧な偽札はフォードリニア抄紙機によって、綿75%、麻25%の割合で造られたものであり、これはアメリカにしかない技術であるという。しかも偽札を分析した専門家は、その綿がアメリカ南部産であり、市場で自由に買えるものだと指摘している。

 インターポール(国際刑事警察機構)もウルトラダラーの問題解決を最優先事項として捜査を進めているが、もし、ウルトラダラーがCIA工作によって偽造されたものであったとすれば、北朝鮮への金融制裁はその根拠を失うことになる。そして、自らの後ろ盾であったアメリカ政府が従来の北朝鮮に対する強硬姿勢を軟化させ、金融制裁も実質解除の方向で動いていることに戸惑う日本の姿が見えてくる。

軍国主義の系譜

 話を戦犯容疑者のスパイに戻せば、CIAの反共工作が日本で始まったのは、1947年に日本国憲法が誕生してまもなくのことだった。冷戦構造が確実なものとなり、アメリカ政府は日本に対する再軍備の要求を急速に強めていく。当時の国際情勢を考えれば、憲法、とりわけ9条が生れたのは、やはり「奇蹟」だったのかもしれない。
 先の記事のなかで、『敗北を抱きしめて』の著者、ジョン・ダワー氏は、最近の日本で強まるネオナショナリズムのルーツは、戦後のアメリカによる日本の軍国主義者へのサポートにあると指摘している。

 1946年1月、児玉誉士夫はA級戦犯の疑いで巣鴨刑務所に収容された。巣鴨には同じくA級戦犯とされた岸信介がいた。1948年12月釈放された児玉が、後にロッキード社のエージェントとして働きかけた日本政府の要人のなかにも岸はいた。そして、いま、彼の孫が首相として憲法改定を公約として掲げている。まさにダワー氏のいう「ルーツ」である。

児玉誉士夫から岸信介、そして安倍首相へと綿々とつながる「ルーツ」。
その中にあって、9条が今にまで受け継がれてきたことに、
いっそうの重みを感じます。
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