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現在、日本に住むクラウス・シルヒトマンさんは、
以前から日本国憲法9条の意義を 発信してきました。
今回は9条誕生の歴史的な背景にも光をあて、
その世界的な価値 を述べていただきます。

第32回
ドイツ
歴史から見る日本の平和憲法(1)
クラウス・シルヒトマンクラウス・シルヒトマン(Klaus Schlichtmann)
1944年ハンブルク生まれ。
1992年日独センターの奨学資金で来日(初来日は1987年)。
1997年『外交官・幣原喜重郎』をドイツ語で出版(同書の英語版“Japan in the World. Shidehara Kijuro, Pacifism and the Abolition of War”も近々出版予定)。日本大学教員。現在、様々なメディアに日本国憲法9条についての論文を発表するとともに、国連改革キャンペーンのためのウェブサイト“UNFOR 2007”を運営している。


9条と国連の集団安全保障システム

 日本政府は戦後60年、憲法9条を掲げ、その理念を傷つけることなく保持し、日本の平和への願いを世界に示してきました。そして、政治家以上にそれに貢献したのは日本の市民、とりわけ知識人、教師、学生、平和運動家です。私は彼/彼女らの姿勢に感嘆しています。
「日本政府は過去に9条を葬ろう、あるいは改定しようとした」と言う人もいます。しかし、私は賛同できません。むしろ、日本は9条の核心部分を守るために全力を傾けてきたのではないでしょうか。これまで9条に対しては様々な解釈がなされましたが、それらは9条を現状に合わせようとした法的救済策であり、実際には9条を守るための行為だったと思うのです。
「9条は国連の集団安全保障と矛盾する」とも言われますが、これも正しくはありません。問題は、国連の集団安全保障システムが――国連憲章が施行されて60年以上が経ったにもかかわらず――いまだに機能していないことでしょう。そのため世界は「集団的自衛権」や「バランス・オブ・パワー」の方が有効なシステムであるという認識に傾き、そうした認識が戦争を招いたのです。すでに歴史が示しているように。
1949年に制定されたドイツの憲法(基本法)の第24条は「ドイツは、国際機関による集団安全保障のためであれば国家主権を制限する」としています。1946年に制定されたフランス憲法前文15項にも「フランスは平和の組織および防衛に必要な主権の制限に同意する」とあります。イタリア、デンマーク、オランダ、その他多くの国の憲法でも同様なことが定められています。
 これらの歴史は1899年および1907年にオランダのハーグで開かれた平和会議にさかのぼります。同会議では2つの重要な原則について協議が行われました。ひとつは「軍縮」、もうひとつは国家間紛争の平和的な解決のために拘束力のある「国際司法制度」を確立することです。ハーグ平和会議は残念ながらあまり有名ではありません。ドイツの歴史教科書にも記されていないほどです。おそらくヨーロッパの崇高な理念がその後の世界大戦により潰えたからでしょう。

国連設立の目的と機能

 しかし、この2つの原則は第一次世界大戦後に誕生した国際連盟によって引き継がれました。国際連盟は新たな原則を付け加えます。それが「集団安全保障」です。ハーグ平和会議では、国際法を執行する機関についてまでは言及されませんでした。
 ところが、国際連盟は、加盟各国に対する法的拘束力を発揮できず、第二次世界大戦が勃発してからは機能不全に陥り、活動の休止を余儀なくされます。加盟各国は、国際機関のために自国の主権を制限するなど思いもよらず、国際連盟も軍事的手段の行使を放棄させるメカニズムを確立していませんでした。
 その経験と失敗は、第二次大戦後、国際連合憲章および多くの国々の憲法がもつ4番目の原則、すなわち「国家主権の制限」に結実します。これによってのみ集団安全保障システムは機能する――日本国憲法9条はこの流れから生まれました。ちなみにここでいう集団安全保障システムとは、しばしばメンバー国の利害が対立する国連安全保障理事会(安保理)とは別のものです。安保理の位置づけ、国連加盟国との関係については国連憲章第5章「安全保障理事会」を参照してください

ヨーロッパ諸国は戦後60年が過ぎて、
ようやく9条の意義を認識し始めたというシルヒトマンさん。
次回は憲法押し付け論の間違いを指摘し、9条の生かし方を提言しま す。
お楽しみに。
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