ホームへ
もくじへ
最新へ 世界から見た今のニッポン
バックナンバー一覧へ

中国在住の班忠義さんが、またコラムを寄せてくださいました。
日本で学び日本語を流暢にあやつる班さんは、
原稿も日本語で書いてくださっています。彼が研究調査した、
戦争の爪あとについて、真摯に耳を傾けましょう。

第27回
ドイツ
恒久の平和をつくりだす近隣関係のために〜日中100年の歴史から外交を考える〜 班忠義
班忠義バン・チュンイ/作家・映画監督  
1958年中国遼寧省撫順市生まれ。
82年黒竜江大学日本語学部卒業。
92年中国残留日本婦人の人生を描いた、
『曾おばさんの海』で第7回朝日ジャーナルノンフィクション大賞受賞。
96年『近くて遠い祖国』ゆまに書房出版。
2000年ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』日本や台湾で上映。
2005年日中戦争の旧日本軍による性暴力被害者についての調査を『蓋山西(ガイサンシー)と彼女の姉妹たち』というドキュメンタリー映画にまとめ、中国、香港で上映。
  最近日本では、中国の軍事予算の増加を理由に“中国脅威論”が盛んに持ち出され、憲法を改定して日本安保条約を強化し、自衛隊を自衛軍にすべきという論調が主流となったようだ。一方、A級戦犯を祀る靖国神社を小泉首相が参拝し続けることで、「日本は過去の戦争犯罪を反省せずに、再び戦争への道に走るのではないか」と危機感を抱いた中国市民は去年の春から大規模な抗議行動を繰り広げた。
  日中関係は国交回復以来の冷え込みだ。こういう時期こそ、両国民が叡智を働かせ冷静を保ち、深く長いビジョンを見通した上での意志表明が問われていると思う。


真の脅威とは何か

  日本では与野党トップの発言からマスコミ、一般国民まで“中国軍事脅威論”は広がっているようだが、何が脅威なのか? 中国の軍事力を増加させたのは誰か? なぜそうなったのか? いくつかの問題から検討すべきだと思う。
  まず、近年の中国の軍備拡張だが、これは政府独自の決定であり、中国国民全体の意思ではない。ここ数年、中国沿海部は著しい経済成長を遂げたものの、中国社会全体は豊かになったとはいえない。内陸部の農民はいまだ充分に医療を受けられず、子どもは学校に行けないという現実がある。失業、貧困、環境破壊など、さまざまな課題が山積みで財政措置が必要なのに、軍事費だけを増やし続けるのが国民の意思といえるだろうか。
  “政策に異議を唱えることがいまだ許されない政治体制のなかでの政権側の独走”という中国側の事情もあるだろう。様々な国内問題を抱えているため、延命策として軍事費を増加し、政権の存在感を国民に示していると見る人もいる。中国の軍備拡張が脅威であるというなら、国民の意思を問わない政治決定、一党独裁制度による政権がそうだと見るべきである。しかし、中国が民主政治に転じれば、政府に対する牽制勢力の存在によって、政府が国民生活を優先し軍事削減することも考えられる。巨大な軍事産業が民需に転じる可能性もあるだろう。

  単純に数字上の軍事力を脅威だといえば、ずっと世界のトップを走っているアメリカの軍事支配は脅威というべきだろう。その大国の傘下にあって、日本が他国の相対的な軍備増加を指摘するのも実に不公平であり、自国都合主義の面があるのではないだろうか。
  しかし、日本では、政府から世論までが中国の発表した国防予算の増加額に過剰な反応を起こし、戦後保持してきた平和理念を放棄して戦争ができる軍隊の設立を呼びかけ、軍事競争に拍車をかけようとしているようだ。情報化の発達、経済のグローバル化によって、アジアが共存している現在、日本が依然として国際関係における大局を見ず、表面的にしか物事を捉えられないのは実に危険であると思う。

中国の近代化、民主化、国家統一と日本

  現在の日本の中国や朝鮮半島に対する見方は、戦前の日本人の思考パターンにとても似ているところがあり、平和を願う戦争体験者からは“戦前の日本と同じ間違いを起こすのではないか”という危惧もよく聞かれる。

  19世紀末から20世紀初め、中国も他のアジアの国と同じく近代化に向けて努力していた。1911年に始まる孫文率いる辛亥革命は、中国の長い封建支配を終焉させ、近代化へ一歩踏み出すものだった。その後、封建勢力の反対により社会情勢が混乱すると、日本はそれに乗じて、中国・山東半島での権益拡大、南満鉄道の利用時期の延長などを含む21か条の要求を中国政府につきつけた。

  1919年の中国の近代化と民主化を求める五・四運動に続き、孫文は1924年に中国の民主政治、統一を目指して、国共合作の方針を打ち出した。その後、蒋介石が国家統一をめざし、国民革命軍をひきいて北伐を開始した。国際社会では、その時すでに日欧米9カ国が1922年にワシントンで会議をし、中国の主権尊重、門戸開放、機会均等などの条約を結んだ。当時の日本政府は対中不干渉政策を尊重しようとしたが、日本の軍部の急進派、国家主義団体がそれを軟弱外交と非難した。そして1927年から日本政府は3回も山東出兵を行い、翌年には中国東北の実力者、張作霖を爆死させたが、張作霖暗殺は中国人の民族感情を引き起こし、中国の近代化、民主化、そして統一国家を目指す力を挫折させる結果となった。

  1930年代、国民党政府は依然として共産主義を脅威とし、中国国内にある共産軍を精力的に討伐して大きな成果を成し遂げた。そのころ、日本は中国内陸部への侵略を本格化したが、日中全面戦争の機に乗じて共産党勢力が息を吹き返して勢力を広げていった。日本による17年間の侵略戦争は中国の資源を略奪し、中国の民間人を含めた大きな犠牲を払わせた一方、結果的に共産党国家の樹立を促したといえるのではないか。

  思うに、明治維新が進めた国家主義色の強い近代化は、封建的な思想や社会体制を引きずりながら、「富国強兵」というスローガンに代表されるような、工業や軍事という物質的なハードウエアの近代化を実現させたのではないか。それは、デモクラシー、いわゆる内面の変革は停滞したまま、政府主導による軍事と工業に限られたものだったのである。そのため近隣アジア諸国に近代化を波及させる牽引力にはならず、ナショナリスティックな領土の拡大、資源の略奪、植民地の確保に腐心し、中国に対しても近視眼的な政策を行い続けた。
  そして戦後、新しい憲法の下で、日本は受身ながら民主国家になったが、アジア最初の民主国家である日本は、近隣国家の民主化努力にどんな役割を果たしたのか。

  1970年代、30年ぶりに日本と中国は国交を回復した。1980年代に入ると、ソ連共産党の改革路線により東欧の共産圏国家は相次いで民主化を進めたが、中国もその波に乗り1989年に天安門広場で大規模な学生運動が起こった。同年6月4日に共産党政権が軍事行動により学生たちを鎮圧したが、西欧の民主主義国家は中国政府の鎮圧に抗議し、外交を一時的に中断した。中国政権が外交上一時孤立状態にあるとき、中国へ手を差し伸べたのは日本だった。1991年の海部首相の訪中、翌年の天皇訪中もその孤立した中国独裁政権に国際社会への復帰の機会を与える役目を果たしたのである。

東アジア共同体への展望と障害

  グローバル化による国境を越えた経済を軸とした連合や統合は一つの流れである。世界経済に中心的な役割を果たしている東アジア諸国も現実には経済的に相互依存関係にあり、今後の課題は一つの共存共同体としての絆を強めていくことであろう。
  そうした共同体を実現するには、まず国家間の障碍をクリアしなければならない。東アジアの統合を阻むものはなにか? 私はハードウエアとソフトウエアの両面にそれがあると思う。

  ハードウエアの問題としては、社会体制の相違の克服という基本課題があろう。ヨーロッパ共同体が民主主義国家を基盤として成り立ったのと同じように、東アジア共同体のメンバーとなる国家には、基本的に民主体制が求められるべきである。アジア諸国における経済成長に伴う中産階級の出現は、市民社会による民主化を目覚めさせるであろうことから、中国の民主化は時間の問題であると思っている。

  民主化以上に東アジア共同体を妨害している障害は、過去の歴史に対する責任を清算できていないこと。日中両国民の間に深刻な心の隔たりが残されていることだ。そもそも“歴史認識”という言葉は非常に曖昧な表現であり、正確に言えば“戦争認識”あるいは“戦争犯罪認識”と言うべきだと私は思う。
  日本と朝鮮半島で“植民地支配”の是非に対する意見の相違が存在するように、日本と中国では15年戦争における日本の中国における数々の“戦争犯罪”に対する認識の差が大きな問題となっている。
  たとえば、南京大虐殺、毒ガス、一般市民の殺害、強姦などの戦争犯罪に対する認識である。

  南京大虐殺に対する日本の否定的な論調は、中国側が主張する30万人の死者はありえないという理由から、虐殺の事実も否定するものである。しかし一方では、中国側の証言だけではなく、南京の虐殺に参加した日本の旧軍人の証言がある。中国奥地に撤退しようとするも揚子江に阻められて沿岸に集結した中国軍兵士を、日本軍は国際法に違反して彼らを捕虜とせず、全員を機関銃で撃ち殺したという証言も存在する。
  中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

  その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。Kさんが駐在していた山西省旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。

  こうした日中双方で確認しうる非人間的な犯行事実を日本では教えられていない。日中間での歴史認識の違いという時、“戦争の歴史認識”、そして“戦争犯罪の歴史認識”の違いを考えなければならない。このような具体的な“戦争犯罪”があまり深く認識されていない日本の現状が中国人の怒りを買っているのである。

戦争の歴史を再認識する

  当時の日本軍による数々の具体的な戦争犯罪の残酷さを知らされていない日本の戦後世代には、中国人の行動を理解できない。そのために“反日・嫌中”が生じる。
  終戦後、昭和天皇は不処罰のまま旧体制が温存され、“戦争犯罪”の歴史認識も曖昧なまま今日に至った。日本の戦争犯罪を徹底的に清算できず、罪の部分の歴史をそのまま抱えてしまったのだ。
  北京で「独立中文作家筆会」(独立中国作家ペンクラブ)という、いわゆる政府から独立した知識人たちと日中関係について話したことがある。その会長は小泉首相の靖国参拝についてこう指摘した。「日本人の歴史認識に本質的な問題がある。靖国参拝賛成派はもちろんだが、靖国参拝反対を唱える人たちも『アジアの隣国と関係が悪くなるからやめるべきだ』という。そこには、戦犯が祀られている神社を参拝することは戦争犯罪を認めないことと同義である、という認識がないように思える。そうだすると賛成派も反対派も本質的に変わらないのではないか」という。中国人が求めるのは罪の歴史との決別なのだ。

  戦争の歴史にしっかりと向き合い、それと決別した上で、アジアの隣人である中国の未来を視野におく。そして、日本国憲法の理念をアジアへ広げる。そうした人類の普遍的価値に立って、中国とつきあったらどうかと私は提言したい。
日本が好きで、日本で学び、日本での友人も多い、
班忠義さんには、両国の関係が悪くなる要因を作ることは、
なんとしても避けて欲しいという気持があります。
「政治と経済は関係がない」とまたもや短いフレーズで言い切ったのは、
小泉首相ですが、歴史から見ても、関係がないはずがありません。
班忠義さん、ありがとうございました!
ご意見募集!
ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。
このページのアタマへ