最近、多くの中国人の間では、日本が本当に中国に対して戦争についての謝罪をしたのかという疑問が強まってきています。
戦後60周年の節目に、中国のある新聞が「日中国交回復当時、田中首相は中国人民に“大変迷惑をかけた”と言ったが、なぜ中国人民に過去の戦争に誠心誠意の謝罪を言わなかったか」という論点を取り上げました。そして、「結局、毛沢東がアメリカの存在を意識して、“迷惑をかけた”という程度のお詫びを容認し、田中首相も謝罪に強く反対する自民党内部の勢力を納得させるために、この程度の軽いお詫びで済ませたのだろう」と分析しました。
当時の中国は、その後の日中共同声明に、日本国が過去の戦争で中国人民に大きな損害をもたらし、深く反省するというような文言で反省を表明したので、中国人民に“謝罪”したというようなムードをつくったのです。民主主義国家ではない中国では、国民の声がそのまま日本に伝えられることなく、政府の政策都合による被害を無視した友好ムードが演じられたのでした。
加えて日本国憲法9条の存在のおかげか、それ以来――中曽根氏が総理として靖国神社を参拝し、第一次教科書問題が発生する時まで――中国人は日本人のことを信用し、経済の格差もあって日本人に対して、ある意味で羨望、尊敬の念を抱いていたようです。
しかし、1980年代から次第に日本国内では過去の戦争を美化、非を認めない風潮が芽生え、強まってきたので、中国人は戦争問題で裏切られた、騙されたという気持ちを抱きました。その後、日本側の過去の戦争への肯定的な言動があるたびに、中国人は反感を募らせています。特に日本の国家元首が靖国神社を参拝するたび、中国国民は大変憤り、両国間の緊張が高まります。
「なぜ日本の首相が靖国神社へいくと、中国人はそんなに反発するのか?」と不思議に思う日本人も多いことでしょう。多くの中国人にとって靖国神社参拝は、参拝行為そのものより、日本が過去に起した侵略戦争を日本政府がどう考えているのか? また侵略戦争に対しての日本人の認識に変化があるのか? そのバロメーターだと思っているからです。
今まで中国人は日本人の「深く反省する気持ち」を信用し、戦争被害賠償を放棄しました。しかし、人命と財産の損失の賠償は、まったくなされなかったのに、ここにきて返ってきたのは、「中国侵略は非であることさえ認めたくない」という少なくない日本人の心の中の声でした。これは何なのでしょう? 殺された遺族の心情、痛みを感じることはないのでしょうか? 殴った人はすぐ忘れるが、殴られた人はその痛みをいつまでも忘れません。
このような歴史認識の差は、日中両国の社会形態、制度の違いもあって、中国人と日本人の相互理解、心の交流の隔たりも生み出しています。