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四半世紀以上にわたって、
憲法の意義を多くの人に伝える活動を続けてきた伊藤塾長。
60回目となった今年の憲法記念日によせて、改めて塾長からの提言です。
いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら。
5月3日は憲法記念日でした。同時に、私の主宰する会社(法学館・伊藤塾)の創立記念日でもあります。1995年5月3日に憲法価値を実現する法律家の養成と憲法の普及を目的とした会社を設立しました。私にとっては弁護士登録を抹消して実務家とは別の方法で、憲法と共に生きることを決意した日でもあります。
それ以前から憲法の講義をずっと続けてきましたから、かれこれ憲法を伝えることをこの26年間ずっと行ってきたことになります。この間、話していることの骨子はまったく変わっていません。以前はそれを右だ左だと言う人はいませんでしたが、次第に世の中が右傾化するにつれて、右派の人たちなどから左派、護憲派というレッテルを貼られるようになりました。
さらに25年ほどすれば、また違ったレッテル貼りがなされるのだろうなと考えると、それもまた楽しみです。仮に憲法改正が行われた際には、今の改憲派は護憲派となるのでしょうか。私など今度は改憲派の急先鋒、旧体制への復古主義者ということになるのでしょうか。
そのときどきの国民の意識は変わります。憲法が大切にしている、自由や個の尊重、平和という概念への意識や評価も時代とともに変わります。それは幸福感の変化と言ってもいいかもしれません。何を幸せと感じるかが時代によって大きく変わってくるのだと思っています。
戦争直後は平和の価値など人に言われなくても皆がわかっていました。体験の中で、戦争の悲惨さ、軍隊の理不尽さ、暴力の無意味さを誰もが言葉を越えた皮膚感覚として理解し、その価値観を共有することができたからです。
しかし、平和な時代が続き、戦争などないことが当たり前の生活に慣れ親しむと、平和が切実な欲求ではなくなります。無意識のうちに今の平和を前提に物事を考え、平和よりも日々の生活、目の前の現実の方がよほど大切なことになってきます。
これは仕方のないことなのかもしれません。よりよく生きるためには、経験の中から学び取った智恵(私は経験的知性と言っています)が必要ですが、経験できないことについては、より一層の想像力と知性を必要とします。そしてそれは努力しなければ身につけることができません。
私はそうした努力の一つとして歴史を学ぶことが大切だと考えています。時代によって人々の価値観が変わったとしても歴史の事実は変わらないからです。もちろんその評価はときの権力者によって変えられることがあります。しかし、一つ一つの事実そのものを変えることはできません。
忘れ去られ、なかったことにされそうな事実であっても、掘り起こしてしっかりと私たちが意識することができれば、その事実は私たちの中に刻まれます。私は、憲法記念日は憲法のもとでの私たちの歴史を再認識する機会だと思っています。
国民の祝日に関する法律の2条には、5月3日に関して次のようにあります。
「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。」ここでも「国民一人一人じゃなくて、国の成長か」とちょっとがっかりですが、気を取り直して善意に解釈すると、国の成長とは国民の成長と置き換えることができると思います。今年は憲法施行60年ですから、還暦です。まさに60年たってどれほど私たちが成長したかを確認する日ともいえるわけです。それは歴史を振り返ってみて、この日本という国がどのような歩みをしてきたのか、国民は憲法をめぐってどのような問題意識を持ってきたのかを再確認する日でもあるはずです。
新聞各社の世論調査によると、憲法を変えた方がいいと考える人が半数以上いるという結果が出ます。その理由は、古くなったとか、時代に合わなくなったというような、抽象的な理由が多数を占めます。これは改憲派の政治家から主張される理由とほとんど同じです。
しかし、自民党の新憲法草案の内容をまったく知らない人が大半ではないでしょうか。そもそも憲法が国家権力への拘束で、権力者から見れば常に押しつけられたものであること、フランスでは今でも1789年の人権宣言が使われていること、アメリカ憲法にはプライバシー権どころか、生存権や労働基本権などの社会権条項すらないこと、50回以上改正しているドイツ憲法でもその基本的価値にはまったく手をつけようとしていないこと等々。憲法について自分の考えを持つために、私たちが知っておかなければならないことはたくさんあります。
そして、日本が近代史の中で歩んできた歴史と事実を知ることも適切な判断には不可欠です。NHKでも憲法制定の歴史を丁寧にたどる番組などを放送していましたが、こうした番組をきっかけにもっと多くの人が憲法に関心を持ってくれることを期待しています。
「戦争をしない国 日本」というドキュメンタリー映画があります。戦前の日本の歩んできた「戦争をする国、日本」が180度方向を変えて、「戦争をしない国、日本」になり、その後60年間、戦争をしない国であり続けた歴史が描かれています。90分の本編と35分の短縮版があり、自主上映会などで利用しやすいようになっていますから、各種講演会や催しの際に多くの方に観ていただきたいと思っています。上映申込は制作委員会上映センターまでご連絡ください。
私はこの映画を観て、かつては「今のような、こんな日本ではなかった」とつくづく思いました。ふたつの意味においてです。ひとつは、「こんなに平和な日本ではなかった」ということ。もうひとつは、「今のように憲法をないがしろにしてきた日本ではなかった」ということ。
憲法価値の危機に際して、本当に多くの国民が闘ってきた歴史を目の当たりにすると、国民はこの憲法をしっかりと選び取ってきたのだと再認識します。そのうえで、私たち一人一人にも今できることがまだまだあるはずだと勇気が湧き、この国で生活する誇りを取り戻すことができます。こうした点でも、お薦めの映画です。ぜひ各地で上映会を実現していただければと思っています。
皮膚感覚で平和を語れる人が少なくなっていく今だからこそ、私たちはあらゆる手段によって知性と感性により一層の磨きをかける必要があるように思います。
戦争体験者の数が減るにつれて、
「皮膚感覚で平和を語れる」人が少なくなってゆくのは当然のこと。
だからこそ、私たちはもっと平和や憲法について学び、
知り、話し合う必要があるのでしょう。
伊塾長、ありがとうございました!
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