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自分の気に入らないことを、話し合いではなく、
銃によって抹殺する、封じ込めるといういまわしい事件が国内外で起こりました。
議会における多数派による強行採決ということもまた、
同じ側面を持っているのだと、塾長は指摘しています。
いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら。
インターネットの世界ではときどき、暴言の応酬がなされていて、読むに耐えないことがありますが、それでも物理的に相手を殴りつけたりすることはできませんから、まだ、かわいいものです。勇ましい発言を繰り返している人でも、実際に会ってみると借りてきた猫のような人も何人もいました。匿名性が大きな盾と鋭い鉾になっているようです。
さて、通常の理性を持った人間であれば、自分の考えていることを相手にわかってもらいたいときにまず、相手に話して説得しようとすると思います。ですが、中には力に訴えようとする人たちがいるようです。
先日、伊藤一長・長崎市長が銃撃されて死亡しました。長崎から発せられる市長の平和メッセージは常に信念に裏付けられたものでした。とても残念です。銃撃した人の動機ははっきりしませんが、自分の思うとおりにならないことがあって恨んでいたようです。
アメリカでもバージニア工科大学で32人が死亡する惨劇がありました。報道によるとこの犯人もいろいろな悩みを抱えていたようです。しかし、自分の思うとおりにいかないことがあっても、暴力という力に訴えることは、許されません。私たち人間社会では暴力ではなく話し合いなどの理性によって物事を解決するルールになっているからです。それが民主主義社会です。
もし誰かと意見が対立したときに、自分と意見の違う人から暴力を受ける恐れがあると感じると、怖くて異なる意見を言えなくなります。日本社会ではただでさえ、人と違うことを言ったりやったりすると、場の雰囲気を壊すとか、空気が読めないなどとのけ者にされがちです。
そのうえ、人の批判を口にするとやられるかもしれないと思ってしまったら、安心して人の意見を批判することもできなくなります。みんなが黙っていようと思ってしまったら、多様な意見が出てこなくなり、民主主義が成り立たなくなります。
民主主義はそもそもどのような結論が正しいかわからないからこそ必要なルールです。誰の意見も平等に価値があり、それをみんなで聞いてから判断しようとするものです。自由にものが言えなくなったらそれは民主主義ではありません。
こうして銃で撃つなどの暴力に訴えることが民主主義をこわしてしまうことは理解していても、議会などで数の力に訴えることも同じように民主主義に対する脅威になることを理解していない人がいます。国会の中で十分な審議をしていないにもかかわらず、多数決を強行して法律などを決めてしまうことも力に訴える解決方法という点では暴力と何も変わりません。
暴力で相手を威嚇して何も言えなくするのと、まだ意見を言いたいのに強行採決をして意見を封じてしまうのとでは、実は力によって相手をねじ伏せようとする点でまったく同じ態度だと言えるのです。暴力という力と多数の力はときに同じように民主主義を危うくします。
自由な討論を十分に行ない、それぞれの意見のメリット、ディメリットをしっかりと議論の中で明らかにしたうえで、最後は多数決で決めるのが民主主義に則った手続です。多数決はお互いが納得するだけの十分な審議討論を経た上であるからこそ正当性を持ちます。単なる多数決は憲法が予定する民主主義とはいえません。少数派の人たちが、自分たちが意見を言っても無駄だ、聞いてもらえないし、どうせ強行採決されてしまうのだからと諦めてしまうようになったら立憲民主主義は成り立たないのです。
議会での審議内容が十分に国民に伝われば、国民が次の選挙のときには、少数意見の方を支持しようと考えて選挙結果が変わるかもしれません。そうやって、現在の少数派が将来の多数派になる可能性を秘めているところが民主主義の特長です。
多数の力に任せて強行採決をし、少数派が十分納得するだけの審議をしたといえない状況のときに力で押し通すのは、理性によって物事を解決しようとする姿勢ではありません。暴力によって自分の主張を押し通そうという態度となんら異なることはありません。
暴力反対であるのならば、多数の横暴も、資金力など経済力による横暴も、そしてもちろん軍事力という力によって紛争解決しようとする姿勢も止めるべきです。そうでなければ一貫しません。暴力を憎むという言葉がそらぞらしく聞こえてしまいます。何事も強引な力によって解決する姿勢を憎むところに真の民主主義の理念があるのです。
国際紛争は、軍事力という力ではなく外交で解決するべきです。市民の間の紛争は暴力ではなく、裁判などで解決するべきです。そして、政治的意見の違いは、数の力で押し切るのでなく、十分な話し合いをもとに解決していくべきなのです。それが、強い力をもった為政者や特定グループから少数派を守るという役割を持つ憲法の理念に合致する態度だからです。
「何事も強引な力によって解決する力を憎むところに、
真の民主主義の理念がある」と塾長は言います。
「暴力反対を言うのであれば、多数の横暴も経済力による横暴も、
軍事力という力による問題解決にも反対すべき」であるとも。
この一貫性についてよく考えてみたいと思います。
塾長、ありがとうございます!
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