実はこうした問題は、あらゆるところで起きるものです。会社の中でも、いわゆる総論賛成、各論反対という言葉で象徴されるような事態は頻繁に起こります。この場合も、総論の課題よりも各論の課題の方が大切だという価値基準によって判断するのかというだけのことです。 これが法律の世界では、裁判において深刻な結論の違いとなって現れます。 たとえば、裁判所の結論は、評議という裁判官どうしの議論によって出されますが、3人の裁判官のそれぞれの結論が分かれたときに最後は多数決で決めることになっています。 A裁判官は有罪。B裁判官は正当防衛で無罪。C裁判官は責任無能力で無罪。 このとき有罪無罪の結論で多数決をとると2対1で無罪になります。理由ごとに多数決をとると、正当防衛だという裁判官は1人だけですから、否決。責任無能力という裁判官も1人だけですから否決。よって、被告人は有罪となります。 この場合には、刑事司法で重要なことはその被告人がその犯罪について、処罰されるべきかどうかですから、結論を基準にするべきです。それは正当防衛かどうかという点よりも有罪か無罪かの方が重要だという価値基準に立つべきだからです。 ですが、犯罪ごとに結論が分かれた場合はまた別です。 A裁判官は窃盗については有罪。詐欺は無罪。B裁判官は窃盗については無罪。詐欺は有罪。C裁判官はすべて無罪だとします。このときに、犯罪ごとに決をとると無罪。なんらかの犯罪で処罰するべきかという点で決をとれば有罪となります。 しかし、現行法は「犯罪を犯すような危険な奴は処罰するべきだ。どんな犯罪でもかまわない。」という立場をとっていません。あくまでも具体的な特定の犯罪があるかないかを問題にして裁判が行われることになっています。この点で、「およそ被告人を処罰する」ということよりも「具体的な犯罪の成立」の方が重要だという価値基準に立っていることになります。 このように多数決で物事を決めようとする場合には、どのような判断対象を設定するかが重要な意味を持ってきます。選挙の場合には、国民自身が先のような議論をして立候補者を絞り込んだり、または何人か並立して票が分散することもやむなしという意思決定を国民自らが行うことができます。 こうした議論自体が国民相互の価値基準の違いを際だたせ、さらに議論を深めていく上では重要な意味を持っているといえます。
しかし、国民がこのように判断対象を自らの意思で設定できないときには、問題はより難しくなります。国民投票において、国民が議案を発案できるのであれば、国民自身がどのような判断を求めるのかを設定できますから、先のような議論をして国民投票にかける議案を深めていけばいいということになりますが、憲法改正国民投票の際には、国会が発議することになります。その際にどのような議案として発議されるかがより重要な問題となってきます。 よく、新聞の世論調査として行われるように、改憲自体について賛成かと問われれば、賛成。しかし、9条改正はどうかと言われると反対という人もいるはずです。また、9条1項を残して2項削除は賛成だけれど、自衛軍の創設には反対という人もいます。自衛軍の創設には賛成だけれど、国会の承認が不要となっている部分には反対という人もいます。 このときにどのようなくくりで国民の判断を求めるのかは、発議する国会の権限となります。 発議された場合、国会議員の多数派は当然に改憲賛成となっていますから、改憲が通りやすい方向でのくくり方をすることになります。 憲法改正国民投票の際には発議された議案ごとに個別に、国民は自分の意思が反映されているかどうかを判断して、妥協できる範囲内のくくり方になっているかによって賛成、反対の意思決定をします。 「軍隊を持つことには反対だけれども、自主憲法制定自体に意味があるのだから、賛成」という人もいれば、「国民自らが憲法を作ることには賛成だが、軍隊を持つべきではないから反対」という人もいて当然です。 それは、人それぞれの価値観に優先順位があるからです。内容はどうあれ、自主憲法自体に意味を見いだす人と、自主憲法という手続的な問題よりも軍隊を持たない憲法という内容に意味があると考える人の違いです。要するに自主憲法と軍隊を持たない憲法のどちらがより重要であると考えるかということです。 たとえ、条文ごとに投票することになっても同じ問題は生じます。たとえば、自民党新憲法草案9条の2で自衛軍を創設することになっていますが、2項での文民統制は「国会の承認は必ずしもいらない」という骨抜き文民統制になっています。この9条の2という条文についても、「1項で自衛軍を持てるのなら、多少、2項の文民統制が緩くてもいいや」と考えて賛成する人、「1項で軍隊を持つことには賛成だけれど、こんなずるずるの2項による文民統制では危険だから反対」という人に分かれることになります。 仮に項ごとに投票する場合でも同じです。9条の2の3項についても、その中には、@国家を守る活動、A国際的な活動、B治安維持活動と3つの自衛軍の活動が規定されています。そのうちの@には賛成だがAは反対とか、@Bには賛成だがAには反対とか、いろいろな声があるはずです。 さらにAの国際的な活動には賛成だが、自衛軍の派遣を法律で自由に決められる点については反対という人もいます。つまり、 どこまで細かくしても必ず、総論賛成、各論反対という人がでてくるのです。結局はどこで妥協できるかの判断を投票権者が求められているということです。 そして、その判断には投票権者が自分の中で物事の優先順位を決めることができるだけの判断材料が与えられていて、かつ、その判断ができるだけの知性を備えていることが必要となります。