これまで憲法改正手続法の問題点について、何度か指摘してきました。特に、テレビの有料意見広告の全面規制については、表現の自由という観点から考えてもこの規制は不可欠です。こうした規制がなされない国民投票手続法はとても公平性が担保されたものとはいえません。絶対反対の声をより大きくしなければなりません。
今回は、国民投票の過半数の賛成の意味について考えてみます。自民党も民主党も、この点、投票総数の過半数で承認があったものとしています。そして、最低投票率の規制はまったく考えていないようです。こうした国民投票手続法は、以下の理由から、国民主権にかなったものとはいえません。
そもそも、通常は間接民主制をとっている憲法がなぜ、この憲法改正のところでは直接民主制をとったのでしょうか。憲法は国政レベルでは3カ所、直接民主制を採用しています。この憲法改正(96条)と最高裁判所の国民審査(79条2項)、そして95条の地方特別法の住民投票です。
憲法改正以外の2つに共通している点があります。それは、間接民主制がうまく機能しないときの安全弁として直接民主制を採用しているという点です。
本来、国政レベルでは、間接民主制を原則としています。それは、全国民の代表者である国会議員が十分な審議討論をした方が、少数者の人権へも配慮できて、より妥当な結論を導けるであろうと考えたためです。
特定の利益集団の代表ではなく、全国民の代表である国会議員が、十分に少数者のことも配慮した議論を展開して、お互いに譲歩しあい、妥協することによって、よりよい合意点を見つけることができるという考えに基づいています。
国民は代表者を信頼して、こうした審議討論を経た国政運営を国会議員に委任しているわけです。国会議員は自らの政治的信念にしたがって全国民のために行動し、その行動の結果は選挙によって国民から評価されることになります。つまり、国政選挙は新たに国会議員を選ぶ場でもありますが、同時に、これまでの国会議員の行動を国民が審判し評価を下す場でもあるのです。
しかし、選挙という場における国民のチェックは、国会議員の行動の一つ一つについて個別に判断することを予定していません。あくまでも、国民は自分たちが委任して任せるのに相応しい人物かどうかを判定することができるだけです。
そこで、とくに重要な国会議員の行動については、国民が直接、具体的に審査しチェックすることができる場を憲法は用意しました。それが最高裁判所の国民審査と地方特別法の住民投票なのです。
つまり、国会議員の行動に対して、国民がノーを突きつけることができるという点に、この2つの直接民主制的制度は意味を持っているということです。
最高裁判所裁判官の国民審査は、国会議員が選んだ首相によって組織された内閣が任命した最高裁裁判官が、本当に国民にとってふさわしい人物かどうかを国民が直接、最終判断できるというものです。つまり、国会議員や内閣の最高裁判所裁判官の人事に関する判断に対して、国民がノーを突きつけることができるのです。
同様に95条の地方特別法の住民投票も、国会議員が特定の地域にとって不利益となるような法律を作ろうとしたときに、その地域住民が住民投票でノーをつきつけて拒否できるというものです(ちなみに自民党の新憲法草案ではこの規定は削除されています)。
これらの直接民主制の制度は、代表民主制のもとでの国会議員の行動に対して、それが国民の考えと違う行動であるときに、主権者たる国民が、直接、ノーをつきつけて主権者としての意思を明確にすることを認めたものなのです。
ですから、たとえば、最高裁判所裁判官の国民審査は一種のリコール制だといわれますが、積極的にノーの声がどれだけあるか、つまり罷免するべきだという有権者の数が投票者の多数になっているかどうかが問題なのです。積極的に罷免するべきだという意思を表明していない人(棄権した人など)は、まあ、政府の人選でいいだろうという消極的賛成と評価してもかまわないということです。地方特別法の住民投票も同様の性質といってよいでしょう。
こうしてこれらの直接民主制は国会の行為に対する、国民からの歯止めであり、積極的なノーの数が問題となるのです。
|