地球温暖化や環境破壊に対して、私たちの憲法は何かコミットしているでしょうか。確かに日本国憲法には、環境権という個人の人権レベルの規定は明文として見あたりません。しかし、13条や25条によって十分に保障されています。こうした個人レベルの環境権保障とは別に、地球環境に配慮した発想を前文と9条の中に読みとることができます。
1つは戦争という国家による最大の環境破壊を禁止している点。これだけでも地球環境の保護にとって最大の味方となります。原爆や劣化ウラン弾のみならず、通常兵器であっても土壌、水質、大気を限りなく汚染します。化石燃料を大量に消費し、まだまだ使えるあらゆる物を破壊して無駄にします。地球にとっては、戦争の名目は関係ありません。たとえ自衛戦争であっても、人道のための戦争であっても環境を破壊し温暖化を促進する点ではまったく同じです。9条はすべての戦争を放棄することによってこれらを防ぎます。
2つめは、人類にとっての脅威は戦争だけではないという思想を明確に示している点です。憲法前文第2段において、「われらは、全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあります。
ここには、世界の構造的暴力(飢餓、貧困、人権侵害、差別、環境破壊)をなくすために積極的な役割を果たそうとする決意が読みとれます。つまり、「国どうしで戦争なんかして戦っている場合じゃないよ。もっと大きな地球規模の危機、すなわち人々の本当の脅威に対して、人類として立ち向かっていかなければダメでしょ。」という高い意識レベルを読みとることができます。
もちろん、憲法制定当初はそのような意識はなかったかもしれません。しかし、現在の地球の状況に照らし合わせて解釈するとこのように理解することは十分に可能です。こうしてみると、憲法の前文と9条は不十分ながらも、地球や人類を意識した最先端をいくものであることがわかります。
資源のない日本が生き残るには、物量に頼る物質的、軍事的強さではなく、智恵を生かし、理念において尊敬される国であることをめざそうとしているのです。軍事大国でなくても、十分に国際社会で名誉ある地位を占めることはできるはずです。いくらアメリカや財界の要請だからといって、何もわざわざ憲法まで変えて、アメリカのマネをして環境破壊国家になる必要はありません。
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