|
|
|
安倍政権は昨年の臨時国会において、新教育基本法と防衛省昇格法を成立させてしまいました。こらから始まる通常国会においては、国民投票法を成立させる勢いです。「美しい国」を目指して、憲法改正、特に9条改憲へ向けて着々と地固めを進めているわけです。
安倍総理は、内閣総理大臣の立場で行った4日の年頭記者会見において、次のように述べています。
「今年は憲法が施行されて60年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指していきたいということは、当然参議院の選挙においても訴えてまいりたいと考えております。」
この発言に関連して無視できない点が3点あります。
1つは内閣として改正を目指すという点
2つめはその内容がすでに発表されている自民党案であるという点
3つめはそれを参議院選挙で争点として訴えていくと明言している点
このコラムの第1回に自民党の新憲法案についてコメントしました。その冒頭で、これは政治的なクーデターだと指摘しました。なぜなら、国会には憲法改正発議権があり(憲法96条)、国会議員には憲法改正を論議する権限は認められるけれども、新憲法制定の権限など与えられていないからです。
憲法改正は現行憲法と連続性を保ちつつ、内容のマイナーチェンジをすることですから、改正後は現行憲法と一体をなすものとして公布されます(96条2項)。しかし、新憲法の制定は、新たな憲法秩序をうち立てるわけですから、既存の憲法の価値を否定しなければなりませんが、これは、まさに現行憲法価値の否定となります。これは明確に憲法99条の憲法尊重擁護義務違反となります。
国会議員には新憲法制定の権限はなく、改正発議権が与えられているだけです。ましてや、この憲法改正発議権は国会にのみ与えられています。つまり、96条で国会に改憲の発議権が与えられているために、国会議員だけは99条の憲法尊重擁護義務がその限りで解除されて、改憲に必要な限りで現行憲法を批判する発言が許されるにすぎないのです。
これは憲法が憲法改正発議権を国会に与えたことの効果として、憲法自体が認めた国会議員の憲法尊重擁護義務の例外といってよいでしょう。 |
|
|
ですが、あくまでも憲法は国会に憲法改正の発議権を与えたのであって、内閣に発議権はありません。つまり、内閣の構成員である総理大臣と国務大臣は、99条の明文どおり大臣として憲法尊重擁護義務を負い続けているわけです(99条の国務大臣には内閣総理大臣も当然に含まれます)。よって、内閣として憲法改正をめざすことはできません。ましてや新憲法の制定をめざすことなど許されるはずもありません。
ところで、法律は国会議員による発案いわゆる議員立法の他に、内閣が発案することが認められています(内閣法5条)。実際に成立する法律も内閣提出法案がほとんどという現状です。
これと同じように内閣に憲法改正における改憲案の発案権があるかという議論がありますが、私はこれを否定するべきだと考えています。あくまでも国会議員に発案権があるだけであって、通常の政府提出法案のように内閣には憲法改正発案権を認めることはできません。憲法改正は国民主権の現れであって、その点で、法律制定とはまったく意味が違うからです。
憲法改正手続法の議論においても、憲法改正案の原案の提出は、国会議員に限られる方向で議論がなされています。当然のことです。
さて、国会に憲法改正の発議権が認められるだけで、内閣に発議権も発案権もないのですから、内閣構成員として、憲法尊重擁護義務が解除されることはありません。つまり、単に現行憲法に従って行動すればよいだけでなく、これを尊重し、擁護しなければならないのです。国会議員や政党として改憲をめざすことと、内閣として改憲をめざすことは、憲法論としては、まったく意味が異なるのです。
内閣総理大臣として発言をする際に、憲法尊重擁護義務との緊張関係をまったく意識することなく、年頭からこのような発言を堂々とする総理大臣の態度は、立憲主義そのものを軽んじるものであり許されません。これは9条に賛成反対という立場を越えて、立憲民主主義のもとで主権者として生活するすべての者が批判しなければならないことです。
このことは目指すべき改憲案の内容とは関係がありません。たとえば、一国会議員としての立場ではなく、内閣として天皇制の廃止を進めようとすることも同様に許されないと考えることになります。
次回は目指されている新憲法草案の内容の確認と、こうした改憲を選挙の争点にすることについて考えてみたいと思います。
| |
| |