広島、長崎に原爆が投下されてから61年目の夏が来ました。7年前の8月6日にベルリンでタクシーの運転手さんに「今日は何の日か知っていますか」と聞いたところ、「Hiroshima!」と返ってきました。たまたまかもしれませんが、うれしかったものです。ベルリンにある日本大使館は「ヒロシマ・シュトラーセ(通り)」にあります。それまでナチスの海軍提督の名前がついていた通りを市民グループが市に働きかけて、1990年にヒロシマ通りに改名されたものです。
ドイツでも平和の象徴となっているヒロシマですが、ナガサキと共に私たちが知らないことが多くあります。そのひとつが原爆症かもしれません。全国で183人、15の地裁で行われている原爆症認定訴訟の先頭を切って、今年の5月12日に大阪地裁で9人の原告全員の勝訴判決を勝ち取ることができました。これに続いて41人が提訴している広島地裁の判決が8月4日に言い渡されました。全面勝訴でした。
原子爆弾の熱線や爆風による被害は直接的なものですから、その凄惨さについては私たちも想像することができます。しかし、原爆による被害はこれにとどまりません。やけどを負わなくても、放射能の影響により、数年後、数十年後にガンなどさまざまな病気を発症させます。被爆直後だけでなく、現在に至るまで被爆者の身体をむしばみ続けています。
しかし、病気になってしまった被爆者の方が、医療費の補助が得られるように「原爆症」として認定されるように国に申請しても、ほとんどの人は却下されてしまいます。国は被爆者26万人のうち2200人しか認定していません。1%にも満たないのです。爆心地からの距離などの形式的な基準で機械的に判断するものですから、実際に苦しんでいる人を救済するにはほど遠い実態があるのです。
5月の大阪地裁判決は、多面的な判断基準を求める原告被爆者らの思いをくみ取り、これまでの国の機械的判断を批判し、あとから被爆地に入った被爆者(入市被爆者)や爆心地から2キロ以上離れた被爆者も原爆症と認定するなど、救済対象を広げた画期的な判断でした。
ところが、国はこの画期的判決に対しても控訴したのです。これにより高齢化する被爆者の救済はさらに引き延ばされることになりました。これだけ司法による批判が繰り返されているのですから、広島地裁判決に対する控訴は是非とも断念してほしいものです。
このように国は、戦争を引き起こして国民を痛めつけただけでなく、現在においても救済を求めている国民を冷たくあしらい、手をさしのべようともしない。これが戦争の結果であり、そして国家の本質です。私たちがしっかりと監視していかないと、弱いところにはとことん理不尽を押しつけてくるのです。 |