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伊藤真のけんぽう手習い塾
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5月12日の大阪地裁に引き続き、8月4日の広島地裁でも、
「原爆症認定訴訟」の全面勝訴となりました。
今、なぜこのような訴訟が行われているのか、そこから見える国の姿勢や、
核兵器はどういった被害を及ぼすのか、について考えてみましょう。
いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら

同質性と多様性(一段高い日本国憲法のレベル)
今なお続く、広島、長崎に投下された原爆の被害
 広島、長崎に原爆が投下されてから61年目の夏が来ました。7年前の8月6日にベルリンでタクシーの運転手さんに「今日は何の日か知っていますか」と聞いたところ、「Hiroshima!」と返ってきました。たまたまかもしれませんが、うれしかったものです。ベルリンにある日本大使館は「ヒロシマ・シュトラーセ(通り)」にあります。それまでナチスの海軍提督の名前がついていた通りを市民グループが市に働きかけて、1990年にヒロシマ通りに改名されたものです。

ドイツでも平和の象徴となっているヒロシマですが、ナガサキと共に私たちが知らないことが多くあります。そのひとつが原爆症かもしれません。全国で183人、15の地裁で行われている原爆症認定訴訟の先頭を切って、今年の5月12日に大阪地裁で9人の原告全員の勝訴判決を勝ち取ることができました。これに続いて41人が提訴している広島地裁の判決が8月4日に言い渡されました。全面勝訴でした。

原子爆弾の熱線や爆風による被害は直接的なものですから、その凄惨さについては私たちも想像することができます。しかし、原爆による被害はこれにとどまりません。やけどを負わなくても、放射能の影響により、数年後、数十年後にガンなどさまざまな病気を発症させます。被爆直後だけでなく、現在に至るまで被爆者の身体をむしばみ続けています。

しかし、病気になってしまった被爆者の方が、医療費の補助が得られるように「原爆症」として認定されるように国に申請しても、ほとんどの人は却下されてしまいます。国は被爆者26万人のうち2200人しか認定していません。1%にも満たないのです。爆心地からの距離などの形式的な基準で機械的に判断するものですから、実際に苦しんでいる人を救済するにはほど遠い実態があるのです。

5月の大阪地裁判決は、多面的な判断基準を求める原告被爆者らの思いをくみ取り、これまでの国の機械的判断を批判し、あとから被爆地に入った被爆者(入市被爆者)や爆心地から2キロ以上離れた被爆者も原爆症と認定するなど、救済対象を広げた画期的な判断でした。

ところが、国はこの画期的判決に対しても控訴したのです。これにより高齢化する被爆者の救済はさらに引き延ばされることになりました。これだけ司法による批判が繰り返されているのですから、広島地裁判決に対する控訴は是非とも断念してほしいものです。

このように国は、戦争を引き起こして国民を痛めつけただけでなく、現在においても救済を求めている国民を冷たくあしらい、手をさしのべようともしない。これが戦争の結果であり、そして国家の本質です。私たちがしっかりと監視していかないと、弱いところにはとことん理不尽を押しつけてくるのです。

近代憲法が想定する国家とは?
 渋谷の伊藤塾で先日実施した原爆症に関する公開講座(明日の法律家講座)で、肥田舜太郎医師の話を聞くことができました。広島の陸軍病院で軍医をしていて被爆されました。直後から6000人の被爆者を見てこられました。そこで地獄を見て、ショックを受け、被爆者を見捨てることができなくなって、そのとき以来、89歳になる今日までずっと面倒をみるようになったとおしゃっていました。

その肥田医師が、アメリカは2つのウソをついていると指摘されます。ひとつはあの原爆は戦争を終わらせるために必要な正義の行為であり間違っていなかったというもの。もうひとつは、現場に残った放射性物質を体内に入れても何の害もないというもの。

日本政府もアメリカの不利になることは一切いわない。厚生労働省もアメリカのいうとおりの方針だから、後から広島に入った人は放射線の影響を受けていないと言い張るわけです。

原爆症の認定の際に使う放射線量を量る基準も、アメリカのネバダでの実験に基づく判断基準を形式的に持ってきているだけです。
 あんたは爆心地から3キロも離れていたじゃないか。
 そのとき広島にいなかったじゃないか。
 親戚を捜しに来ただけじゃないか。
 救援に来ただけではないか。

といって、こうした遠距離被爆者や入市被爆者を一切、原爆症に認定しないで切り捨ててきました。後から広島に入った人は原爆とは関係ないんだと60年間言われ続けてきたのです。
 厚生労働省の役人は、おまえ達はアメリカの核に守ってもらっているのだから、その悪口をいうなんて国賊だとまでいうそうです。こんなところまでアメリカべったりの日本政府の主体性のなさが見事に現れています。

このように原爆の問題は、歴史教科書の中の単なる過去の事実ではありません。こうして現在でも苦しんでいる方が大勢いる、いま現在進行中の問題なのです。
 原爆の放射線がこんな身体にした。70歳、80歳になって、もう我慢はしない。被爆の被害は何十年も続き、61年たった今でも苦しめられている。原爆の放射線のせいだと認めろという裁判です。

多様性を認め合うための共通点の抽象性
 核兵器の脅威はすべての人類にとって共通の脅威であるはずです。被爆した人が現に裁判で訴えているということ自体が、核兵器がいかに非人道的なものかを世界の人々に知ってもらうために極めて効果的です。

こうした戦争や原爆被害から学べる教訓はいくらでもあるはずです。多数の犠牲を払って、多くの教訓を得たはずですから、私たちは核への恐怖から解放されて安心して暮らせるようになっていないとおかしいはずです。しかし、なぜか、私たちは現在も核の恐怖にさらされています。横須賀の原子力空母入港問題、イラクでの劣化ウラン弾問題、北朝鮮の核ミサイル開発問題、イランの核開発問題などきりがありません。

こうしたあらゆる核の問題に私たちはどう向き合っていったらいいのでしょうか。

抽象的に戦争や核の問題を捉えるのではなく、具体的に苦しんでいる人が、現在もこれだけいるんだということを認識するところから、平和や9条の問題が始まると思います。

これまで何回か書いてきたように、憲法は個人の尊重を基本理念として、一人ひとりに着目して、その幸せの実現をめざそうとします。近代市民革命前の時代は人間を身分や集団でとらえて、一人ひとりに着目することはありませんでした。それを身分から個人に着目するようになったのが、近代憲法の特徴です。

一人ひとりの苦しみに思いをはせてみると、人の命を必要なコストのように考え、抽象的に「戦争なんだからある程度の犠牲もやむを得ない」と割り切って考えることなど、けっしてできないはずです。

国家は私たちの権利と自由を守るために私たちが創りあげたものです。国家にどのような働きをさせるかは、結局は私たち一人ひとりの国民の意思にかかっています。歴史を振り返りながら、これからはどのような社会にしていきたいと考えるのか、8月は多くの考えるきっかけを与えてくれます。

広島、長崎で莫大な数の死傷者を出し、61年経ても被害に苦しむ人がいる原子力爆弾。
その恐ろしさについて、私たち人類は十分に知ったはずなのに、
核兵器を保有する国が地球上にいくつも存在し、人々は核の脅威から逃れることができないでいます。
被爆国である私たちの役目は、今、ますます大きくなっているのではないでしょうか。
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