憲法は、人々が多様性を認めあう社会をめざしています。しかし、現在、憲法改正や教育基本法の改正で一部の政治家たちが目指しているように、天皇を中心とした日本民族の国などということになると、同質性を追求することになってしまいます。今の憲法が目指そうとしている方向と180度向きが逆です。
同質性を追求するとどうなるでしょうか。前にもお話したように、同質性の中にいる人間にとっては心地よくて安心です。確かに私も気心知れた仲間と一緒にいると気が休まります。ですが同時に外との間に壁ができてしまいます。差別や排除の論理につながっていくことになります。
憲法は壁をできるだけ取り払い、多様性を認め合う社会を目指しています。かけっこの遅い子ども、勉強の理解が遅い子ども、体育や音楽の得意な子ども、いろいろな子どもがいていいのです。このように、憲法では、多様性を認め合うオープンな社会を目指していこうとしているのに、今進められている教育基本法の改正などでは、正反対に、日本民族の文化や伝統を重んじ愛しなさいと、同質性を追求する方向への教育が行われようとしています。もちろん教養として知識としてそれらを学ぶことは必要です。ですが、それは漢字やかけ算や理科と同じはずです。この部分だけを取り出して憲法や法律で特別扱いするのはいかがなものでしょうか。
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