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伊藤真のけんぽう手習い塾
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ここ数日、ニュースを独占している、
北朝鮮のミサイル発射への制裁について。
そして、凶悪犯罪の被告人への厳罰を求める声。
実はこれら二つの根っこは非常に似通ったものだと、
塾長が鋭い指摘をされています。
これらの本当の意味での「抑止力」となるのは、
何なのか? を考えます。
いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら


 「個人の尊重」の観点から、無罪の推定や死刑反対、さらには被害者の救済と刑事裁判は別であると、前回までこのコラムで書いてきたことを、公開の場で発言すると、必ず主張される批判があります。

 おまえは被害者の身になって考えたことがあるのか、と。

 もちろん、あります。だからこそ、被告人を死刑にすることで問題を終わらせたくないのです。現在の犯罪被害者救済制度は、まだまだ不十分です。犯罪被害にあった方へ給付金として数百万円が支払われますが、あくまでもお見舞い金にすぎません。

 補償金ではありませんから、重傷をおって、後遺症などに苦しんでいる方の治療代はもとより、休業補償、精神的苦痛の慰謝などまったく公的にはなされません。交通事故と同じ扱いですから、保険の支払も難しいのが現状です。当然、犯人には資力がありませんから、数千万円にわたる治療費を被害者が負担せざるをえないのが日本の現状です。
 外国には、犯罪被害者補償制度が確立していて、日本の10倍近くの補償が支払われる国もあります。

 こうしたことを放置したままで、凶悪犯罪は死刑にすればいいんだという感情論だけでよいとはとても思えません。死刑にすべきだ、厳罰化を図るべきだという前にやるべきことが多くあるということです。

 被害者救済と厳罰化を同時に進めればよいと言われてしまいそうですね。ですが、厳罰化が犯罪抑止にどれほど貢献するかは、もっと検証が必要です。特に死刑に処すべき場合を増やすことが、凶悪犯罪の防止につながるかどうかは慎重に判断しなければなりません。なんとなく、死刑判決を増やせば、凶悪犯罪を予防できるようにも思ってしまいますが、そう話は簡単ではありません。

 もちろん、日本ではずっと死刑を存置してきましたから、日本で死刑と犯罪抑止との関係を実証することはできません。ですが、外国の統計比較研究を参考にすることは意味のあることだと思います。そしてその結果は、死刑廃止国の多くで、死刑相当犯罪とりわけ殺人罪が顕著に増加したという結果は見いだされてきませんでした。つまり、死刑が凶悪犯罪の抑止力として十分に機能しているという科学的な検証はできていないのです。
 そうでなければ、日本以上に凶悪犯罪が横行している欧米で、死刑廃止が主流になるはずがありません。中国は大量の死刑を執行していますが、そのことで凶悪犯罪が減少している様子もありません。

 そもそも、死刑に値するような犯罪を犯す人間は、その犯罪を実行する際に、この犯罪を犯せば死刑になるかもしれない、だから止めておこうと冷静な判断をすることはまずありません。いわば理性が働かない状態に陥って犯罪を実行するのですから、死刑による抑止力という理性を前提にした期待をすることは、楽観的すぎるように思います。

 もしはっきりと、死刑が凶悪犯罪の防止に役立つということが実証されたら、凶悪犯罪を防止するために死刑を増やそうという議論も成り立つ余地があると思いますが、現在ではそのように考えられていません。そこで私は、誤判の可能性のある現実の裁判制度の下では、死刑という回復不可能な制度は採用するべきではないと考えているのです。個人の尊重というもっとも重要な価値を否定することになるからです。

 死刑の憲法上の問題についてはまた改めて考えてみましょう。 ただ、私は、こうした厳罰化が犯罪抑止につながるという考えと、軍事力の脅威によって侵略やテロを防ぐことができるという考えが同根のような気がしてなりません。

 テロリストが冷静に判断して、死刑や自滅を怖れて、テロ攻撃してこないのならいいのですが、実際には、自爆テロなどの場合、軍事力による抑止はまったく意味をなしていません。アメリカを相手にしたら、勝つ見込みがまったくないことは素人でもわかります。ですが、狂信的な人たちはそのアメリカを相手にテロ攻撃をしかけます。

 これでは抑止力としての軍事力が、まったく機能していないと言わざるを得ません。いや、アメリカが軍事力をもっていなかったらもっとテロリストにひどい目に遭わされているはずだ。軍隊をもっているからあの程度ですんでいるんだ、という意見もあるでしょう。

 しかし私にはテロリストがそうした合理的な計算のもとにテロを行っているとはとても思えないのです。また、世界中の反米テロリストをすべて殺害することも不可能なことです。

 そして何より、アメリカほどの軍事力をもっていても、テロから国民を守ることができないということは9.11で実証されました。となれば、軍事的にはアメリカにはとうてい及ばない日本が軍隊を持ったとしても、テロから国民を守れないであろうと考えることは、十分に合理性のあることだと思います。

 いまニュースの中心になっている、北朝鮮によるミサイル発射事件も、これを契機にミサイル防衛を進めるべきだ、テロや侵略、ミサイル攻撃に備えて、軍備を増強するべきだというわかりやすい議論が行われがちです。

 ですが、それと共にまったく逆に、今回の事件は、どのような軍事力を持っていても、結局、ミサイル発射は防げないということの例証ともいえるのです。前にも述べたとおり、ノドンを発射されると10分以内に日本に着弾し、有効な対抗手段は今のところありません。ですから、いかに発射させないかが重要なのですが、軍事的には先制攻撃しかありません。

 今の時点で、報復を覚悟で先制攻撃をしかけるのでしょうか。それで日本国内におけるテロを防げるのでしょうか。どう考えても不可能です。暴力の連鎖を日本から始めてしまうことは、とても冷静な判断とは思えません。

 冷静な判断ができない国やテロリストを相手には、軍事力による抑止力は意味をなしません。また、冷静な判断が可能な相手であれば、軍事力による脅しよりも、何が相手の利益になるかという説得の方がより効果的です。相手も損得勘定ができるからです。それが外交交渉です。

 外交交渉を有利に進めるためには軍事力を背景に持っていた方がいいのだと考えることもできるでしょう。私はそうした考えがあることを認めながらも、今の日本では軍隊を持つことのメリットとディメリットを比較するとディメリットの方が大きいと考えています。

 もちろん、どちらの考えをとるかを一人一人がしっかりと考えなければならないのですが、重要なことは、冷静さを失って、制裁や力で物事を解決できると短絡的に考えてしまうことは、避けたいということです。

 つまり、ものの見方は一つではないということです。ある事象が起こったときにそれをどう評価するかは、その人の人間性や価値観、生き方にかかってきます。どのような考えであっても、自分でしっかりと考えたことであれば、それは価値があると思います。マスコミやコメンテーターの発言に安易に左右されるようであってはなりません。
北朝鮮のミサイル発射は、北朝鮮自身の立場を、
国際社会の中でますます孤立させる、きわめて無謀な行為です。
そのような冷静さを欠いた判断をする国を相手に、
日本政府や自民党からは、次々と強行な発言や声明発表がなされています。
しかし、果たしてそれは有効な「外交交渉手段」なのでしょうか? 
私たち一人ひとりが、じっくりと考える時です。
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