いよいよ2005年も終わります。どんな年だったのでしょうか。私は一人ひとりが大切にされなかった年、そして過去の歴史の教訓を忘れ去ってしまった年だと思っています。
一人ひとりが大切にされていないということはいろいろな場面で現れました。JR福知山線での大きな列車事故では、多くの方の命と生活が犠牲になりました。そこでは、定時運行とか収益をあげるといったことが優先され、一人ひとりを安全に運ぶという鉄道会社において最も大切なものが忘れ去られてしまったようです。
最近のマンション構造計算偽装問題もそこに住む一人ひとりの住民というもっとも大切にしなければならないものをないがしろにして、それぞれの企業や政治家、行政が責任のなすりつけあいをしています。
郵政民営化の議論の際にも、構造改革だの、民営化だの、大きな抽象的な議論は盛んになされましたが、私たち一人ひとりの具体的な生活がどうなるのか、一人ひとりが幸せになる方法なのかという議論はほとんど聞かれませんでした。
自衛隊を自衛軍にすることを最大の眼目とする自民党の新憲法草案が発表されました。最近、国益、公益、国を守る、日米同盟、国際貢献、人道支援、こうした大きな勇ましい言葉はよく耳にするようになりましたが、これらのビッグワードと私たちの生活がどうも結びつきません。強い国、軍隊をもった大国、戦争という最大の環境破壊をする国がどのように私たちの幸せとかかわるのか、納得できる説明を聞いたことがありません。
つい先日も法律家をめざす塾生を連れて、毎年恒例の沖縄視察旅行に行ってきましたが、沖縄へ行くたびに、司馬遼太郎氏が『街道を行く』の中で指摘するように「軍隊は住民や国民を守るものではない」。あくまでも軍そのもの、国そのものを守るだけだと強く感じます。
制度や仕組みはとても大切です。ですが、それらはすべて、一人ひとりの国民、住民、人間を守り、幸せにするためのものでなければなりません。憲法は個人の尊重、個人の尊厳を最大の価値としています。一人ひとりが幸せになることが社会の発展につながり、国の反映にもつながると考えています。具体的な一人ひとりの人間を犠牲にして国が強くなってもなんの意味もありません。
今一度、何のための国であり、何のための制度なのか、そしてあらゆる政治家の議論が私たち一人ひとりの幸せにつながるものなのかをしっかりと見定めていかなければなりません。