刑法は刑罰を科す法ですから、刑法で予定している違法性はある程度強いものでなければなりません。たとえば、刑法235条には「他人の財物を窃取したものは窃盗の罪と」すると書いてあります。隣に座っている友人の机の上のチィッシュ1枚(これは「他人の財物」にあたります)を黙ってもらって鼻をかんだとします。これは窃盗罪の構成要件にあたると考えることができます。
このときに10年以下の懲役刑が科される窃盗罪で処罰することは不当です。とても処罰の必要性があるとはおもえません。処罰に値するほどの違法性がないので処罰するべきではないのです。なぜでしょうか。
刑罰は最大の人権侵害ですから、ほんとうに必要最小限の刑罰を科すことが許されるだけだからです。刑罰に値するような行為をやっていない場合には処罰するべきではないのです。
そしてその行為が処罰に値するかどうかは、そこで行われた行為の目的や方法、相手方の侵害された利益の大きさなどをいろいろと考慮して決められます。何のためにそのような行為をしたのかも重要な判断要素となります。憲法上の重要な権利を行使しようとして行われた行為であれば、被害者の側の被害の大きさを考えた上で、刑罰を科さないこともあるのです。
たとえば、出版のような表現行為によって、他人の名誉を侵害したとします。公然と、事実を摘示して他人の社会的評価を下げてしまった場合には、それがたとえ真実であっても名誉毀損罪(刑法230条)の構成要件に該当します。条文には「その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若くは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」とあるからです。
しかし、その表現行為が政治家の不正を暴く内容であった場合には、真実だと証明されれば処罰されません(刑法230条の2第3項)。公務員に関する事実の場合は、その表現行為が公益目的でなされたものであり、そこで摘示された事実が公共性を持つものと考えられるので、憲法の表現の自由を重視して処罰しないことにしたのです。ここでは、公務員のプライバシー権よりも表現の自由を尊重したわけです。
また、労働者が使用者と交渉しているときに、要求を受けてもなかなか事務所から立ち退かなかったとします。これは不退去罪(刑法130条後段)にあたる行為です。ですが労働基本権(憲法28条)の行使なので処罰されないことがあります。ここでも使用者の住居権よりも労働者の人権の方を優先しているわけです。
同様に住居侵入罪も、住居権者の意思やプライバシー権とここでビラを配りたいという人の表現の自由の衝突をどう調整するかの問題となります。そこで表現の自由を重視しようとする立場に立つのであれば、被害者の損害の大きさを考慮しつつ、その被害がそれほど大きくなければ、処罰に値するほどの違法性はなく犯罪不成立とすることは十分に可能なことなのです。逆に表現の自由にあまり重きをおかないのであれば、違法性は阻却されないと判断することになります。
刑法は住居侵入を犯罪として処罰することで、住居権者の利益を守りかつ社会の秩序を維持しようとします。ですが、刑法でも憲法上の価値とぶつかるときには、一定限度で犯罪にすることを差し控えなければなりません。それは刑法よりも憲法の方が上にあるからです。刑法によって国家権力が刑罰権という権力を行使しようとしたときに、それに歯止めをかけることもまた憲法の役割です。