この24条の規定は、憲法で保障する人権の本質である、「個人の尊厳」(個人の尊重ともいいます)と「平等」をともに具現化したもので、とても意義深い条文です。戦前の「家制度」の下で女性が一人の人間として、個人として尊重されず、男性と対等に扱われなかったことに対する切実な反省から規定されました。よく知られているように、この規定を憲法に盛り込むことに尽力されたのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんという当時22歳の女性です。戦前の日本の女性差別の実態をよく知っていたベアテさんは、アメリカ合衆国憲法にもない男女平等条項を世界のさきがけとなってほしいとの願いも込めて日本に贈りました。
「私は日本の社会のなかに入っていたから、女性が圧迫されていることを自分の目で見ていました。奥さんは家にいて、旦那さんのためにお食事をつくって、いろいろなことをして、旦那さんが会社からお友達を連れて帰ってくると、お食事を食べるでしょ。奥さんが全部やって、サービスして、あんまり会話にも入らないで、一緒にお食事も食べなかった。外に出るときは旦那さんがいつも前にいて奥さんが後ろから歩いていたでしょ。そういうことはとても不思議だと思いました。」(ベアテさんのインタビューでの発言『映画 日本国憲法読本』/フォイルより)
今の時代、家庭における個人の尊重と男女平等は世界の趨勢といってよいと思います。韓国でも2005年の3月には男性中心の家制度を支えてきた「戸主制」が廃止されました。家という集団を重視するのではなく、一人ひとりに着目してその個人を尊重していこうという発想は、アジアでも共通の価値観となりつつあると思います。
結婚はあくまでも個人と個人の問題であって、けっして家と家の問題ではありません。それが憲法の個人の尊重という価値の帰結です。戦前のように家に縛られて自由に離婚もできなかった女性は、財産権を保障されないだけでなく、人間としての尊厳も認められませんでした。夫の家に入り、家のために尽くし、ときに家のために犠牲になる。個人が家という制度のために犠牲になることを美徳とする価値観があったのです。それを否定し、あくまでも一人ひとりの個人が大切であり、女性も家の一員だから存在価値があるのではなく、一人の個人としてかけがいのない価値があるのだという価値観です。戦前は国家のために個人が犠牲になることを美徳としました。同様に家のために女性が犠牲になることも美徳だったのです。