第2の問題点は、公の強調でしょう。従来の公共の福祉、つまり人権相互の矛盾衝突の調整という概念を否定し、個人を越える価値として、国家とつながる公益や公の秩序を強調しています。
本来、公とはpublicつまり人々のはずですが、この国では天皇や国を示す言葉として使われてきました。個人の尊重が最高価値とは言えなくなります。また、国民の義務や責任を強調(前文、12条、13条、29条、91条の2第2項)し、軍事裁判所の規定(76条3項)を置くことで、人権保障規定という憲法の本質を変容させようとしています。前文では国に対する愛情を義務付けて強制することで私たちの内心にまで干渉しようとします。
さらに、憲法改正要件を緩和することによって、国家権力への歯止めという最も根本的な憲法の本質を変えてしまう危険性を持っています。
第3に地方自治の問題です。地方自治に関してはずいぶんと条文が増えて、充実しているように見えます。多くは地方自治法の規定をそのまま持ってきたようなものですが、それでもいくつか重要な意味があります。
まず、91条の2の2項によって、住民に地方自治体の役務の提供の負担を分担する義務を負わせます。憲法に義務負担の規定を置くことの問題は先に述べたとおりです。
そして、92条では、国と地方自治体の適切な役割分担を規定します。誰が適切と判断するのでしょうか。どのような役割分担がなされるのでしょうか。この規定によって、国防や外交、軍事、国際協力などは国の役割であって、地方は口を出すなといわれる危険性があります。横須賀市や神奈川県が原子力空母入港反対と声を上げることができなくなります。沖縄県が独自に米軍と交渉したり意見を述べたりすることもできなくなります。無防備地域宣言などの平和活動も大きく制限されることになるでしょう。まさに地方が国の言いなりにならざるをえなくなるわけです。
それを決定づけるのが95条の削除です。現行憲法の95条では、特定の地方公共団体だけに不利益に適用される法律を作るときには、その地域の住民の住民投票が必要となっています。つまり、国がかってに特定の地域に不利益な法律を押し付けることができないのです。この条文を削除してしまうのですから、国は特定の地域に不利益な法律も自由に作れることになります。まさに地方は国のいいなりです。地方自治体は法律の範囲内でしか権限を与えられていませんから、国が法律によっていくらでも自治体の権限を制限することができてしまうのです。これで地方の時代などといえるのでしょうか。
国民は、新憲法に何かを期待するのかもしれません。しかし、現在の憲法の下でもその価値を実現できているとはいえない状況で、権力への歯止めを緩やかにして国民は何を得られるのでしょうか。
憲法は魔法の杖ではありません。人に頼ったり、強いものに依存して何かを与えてもらうことを期待したりするだけではだめです。自分自身が主体となって、獲得する努力をしなければ何も得られません。閉塞感から抜け出すには、自分で道を見つけること、自分でもがくこと、自分で苦しむこと、そして自分で獲得することが必要なのです。